映画評「太陽」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2005年ロシア=イタリア=フランス=スイス映画 監督アレクサンドル・ソクーロフ
ネタバレあり
「エルミタージュ幻想」ではビデオ撮影の利点を生かして全編をワン・カットで撮るという離れ業で評判になったアレクサンドル・ソクーロフが、終戦直前直後の天皇を描いて見せた、これまた問題作である。尤もこれは日本人にとって問題作というに過ぎない。
ノンポリで天皇制を否定も肯定もしない僕には天皇の人間宣言にも大した感慨はないが、その辺の事実関係その他に関する考察や批判は興味のある方に任せたい。フィクションにせよ、実話に基づくにせよ、芸術は素材にテーマを与えるのが目的であって、事実と違う云々は大して重要ではないのである。
皇后(桃井かおり)と子供たちを疎開させ、地下壕に避難した昭和天皇裕仁(イッセー尾形)は本土決戦もやむなしという陸軍大臣の具申に対し、明治天皇の和歌を引き合いに出して平和への道を遠回しに訴える。
戦後、研究所から出てきた天皇はGHQの最高司令官マッカーサー(ロバート・ドースン)の許へ連れて行かれ、外交の基本に反する相手国の英語で話す。司令官は天皇を子供のようだと微笑ましく感じる。
天皇は二度目の会談後神格を否定する文言を完成させて長年の重荷を肩から下し、疎開先から皇后たちを迎えるが、人間宣言を録音した技術者が自殺したと聞き、憮然たる思いに苛まれる。
のっぺりとした印象を回避できないビデオ撮影なのが気に入らないものの、小品的な味わいと室内劇の面白さが味わえる異色作である。
天皇の苦悩が感じられないというご意見もあるが、のたうち回るような苦悩の表現や描写がないというだけでそう述べているのではないか。僕には十分以上に感じられ、最後の憮然たる(=がっかりした)表情が「神格否定の難しさ」を雄弁に物語っているように思われる。太陽は、少なくとも天皇自身には、そう簡単にはやって来ないのかもしれない。
映画はここで終わる。しかし、実際の日本人は、天皇という一種の宗教的アイコンを失って糸の切れた凧のような無節操な民族になり果てる。映画の出来栄えとは関係ないので、それ以上は言うまい。
GHQで天皇が蝋燭の火を消して回るショットにおける無邪気な姿は、写真撮影の場面で兵隊たちに想起させたように「チャップリン」的アクションとして強烈な印象を残す。恐らくマッカーサーは子供のようなこの人物を罰することはできないと思ったにちがいない。
話す前に唇が細かく動く様子など、形態模写として相当優秀なだけでなく、現人神故の孤独をにじませたイッセー尾形の演技は特筆したい。一人芝居で培った演技力が最大限に発揮された好演である。
Что же солнце?
2005年ロシア=イタリア=フランス=スイス映画 監督アレクサンドル・ソクーロフ
ネタバレあり
「エルミタージュ幻想」ではビデオ撮影の利点を生かして全編をワン・カットで撮るという離れ業で評判になったアレクサンドル・ソクーロフが、終戦直前直後の天皇を描いて見せた、これまた問題作である。尤もこれは日本人にとって問題作というに過ぎない。
ノンポリで天皇制を否定も肯定もしない僕には天皇の人間宣言にも大した感慨はないが、その辺の事実関係その他に関する考察や批判は興味のある方に任せたい。フィクションにせよ、実話に基づくにせよ、芸術は素材にテーマを与えるのが目的であって、事実と違う云々は大して重要ではないのである。
皇后(桃井かおり)と子供たちを疎開させ、地下壕に避難した昭和天皇裕仁(イッセー尾形)は本土決戦もやむなしという陸軍大臣の具申に対し、明治天皇の和歌を引き合いに出して平和への道を遠回しに訴える。
戦後、研究所から出てきた天皇はGHQの最高司令官マッカーサー(ロバート・ドースン)の許へ連れて行かれ、外交の基本に反する相手国の英語で話す。司令官は天皇を子供のようだと微笑ましく感じる。
天皇は二度目の会談後神格を否定する文言を完成させて長年の重荷を肩から下し、疎開先から皇后たちを迎えるが、人間宣言を録音した技術者が自殺したと聞き、憮然たる思いに苛まれる。
のっぺりとした印象を回避できないビデオ撮影なのが気に入らないものの、小品的な味わいと室内劇の面白さが味わえる異色作である。
天皇の苦悩が感じられないというご意見もあるが、のたうち回るような苦悩の表現や描写がないというだけでそう述べているのではないか。僕には十分以上に感じられ、最後の憮然たる(=がっかりした)表情が「神格否定の難しさ」を雄弁に物語っているように思われる。太陽は、少なくとも天皇自身には、そう簡単にはやって来ないのかもしれない。
映画はここで終わる。しかし、実際の日本人は、天皇という一種の宗教的アイコンを失って糸の切れた凧のような無節操な民族になり果てる。映画の出来栄えとは関係ないので、それ以上は言うまい。
GHQで天皇が蝋燭の火を消して回るショットにおける無邪気な姿は、写真撮影の場面で兵隊たちに想起させたように「チャップリン」的アクションとして強烈な印象を残す。恐らくマッカーサーは子供のようなこの人物を罰することはできないと思ったにちがいない。
話す前に唇が細かく動く様子など、形態模写として相当優秀なだけでなく、現人神故の孤独をにじませたイッセー尾形の演技は特筆したい。一人芝居で培った演技力が最大限に発揮された好演である。
Что же солнце?
この記事へのコメント
製作にあたって、イッセー尾形のアドリブは、相当取り入れられたんではないかと、思いますね。
>イッセー尾形
アドリブについては仰る通りかもしれませんね。
映画にもそれなりに出ていますが、もっと重用しても良い才能だと思います。
これは「天皇ヒロヒト」を描いた映画では実はないということ。そんな気がします。
>ビデオ撮影
ソクーロフは撮影をビデオで行い、ビデオ原版を作り、それをフィルム化していると思います。
一旦フィルムに乗せると、ビデオそのものの薄っぺらなイメージは大分弱まりますが、本作も結構気になるところがありました。
現在の映画はビデオで撮ってフィルム映写という形が結構多い(ドキュメンタリー映画は殆どそう)と思いますよ。ハイビジョン自体はフィルムの質感に大分近づいていますが、どうもビデオ撮影は余り好かないですね。
ソクーロフは「エルミタージュ」「ロストロポーヴィッチ」しか観たことがなくて、所謂ドラマ映画らしいドラマは本作が初めてなので何とも言えないのですが、
強く印象に残ったのは【人間宣言】をした後天皇が見せる憮然とした表情であり、そこに、彼自身さえ御することができない天皇の神格という途方もなく大きな精神的存在が日本を戦争に導いた、という基調を感じました。
それがシュエットさんの考える趣旨と同じか否か解りませんが、天皇自身を描いたのではないということはほぼ確かなような気がします。
さすが!私そこまで、はっきりと言葉にして読み取れなかったけれど、ソクーロフの本作に限らず、いわゆる20世紀3部作で彼が描こうとしたテーマもそのあたりにあると思う。でもいろんなブログ読んでも、殆んどが「天皇」そのものの描き方のコメントに終始しているようで…。ロシアでもソ連崩壊、ヨーロッパでも収容所から生き延びた人も、責任者もいまも生きているわけで、ソ連崩壊のあとの小国の内紛と…彼らにとっては20世紀後半に起こったことについてまだまだ敏感だと思う。海外の監督が日本の天皇を描いたという、そんな話題性で終わっているような気がして、そういうことにはちょっと反撥したくなったりする(笑うとしましょう)
エキサイトも少し前、不具合があったり、ブログの数が多すぎるんでしょうかしら…
>話題性
そういう点も少なくないでしょう。
その一方で、日本人が今まで取り上げられなかった聖域に外国人が踏み込んだ・・・ということで、これが嚆矢となることを期待する方も少なくないですね・・・日本人が最初に踏め込めなかったことに忸怩たる思いを抱きつつ。
他のソクーロフ作品も観ようと思っているのですが、田舎では衛星放送に乗るのを待つしかないようなのです。ふーっ。
>ライブドア
コメントについてはモデム等との相性の問題もあるのでしょうが、ブログ同士の相性と言うしかないTBはともかく、コメントだけは勘弁してほしいですね。懲りました。