映画評「東京流れ者」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1966年日本映画 監督・鈴木清順
ネタバレあり
鈴木清順の作品、特に日活晩年以降の作品はストーリーを追っても大した意味がないわけだが、本作はストーリーを無視できるほどお話がないわけでもない。結局評価の最終判断としては<物語の面白さ>がかなりの要素を占めることになる。
ヤクザを止めて実業家に転身したボス北龍二を崇拝して堅気として生き始めた渡哲也が敵対していた暴力団に嵌められた為に流れ者の生活に入っていくが、佐世保でボスの舎弟に当たる玉川伊佐男に命を狙われると、東京に戻って裏切ったボスを倒し、恋人の歌手・松原智恵子とも別れていく。
「おふくろさん」騒動で世間を騒がしている川内康範が書いた原作・脚本は古風なもので大して面白くないが、映画として最初に強い印象を残すのは、例によって例のごとき色遣い。単色で彩られた壁の色、モノクロ若しくは淡色の中の強烈な赤など、相変わらず面白い。清順はカラーの方が楽しいと思う所以。
日活引退作「殺しの烙印」では文法を無視したショット編成が面白かった。今回も債権者の秘書・浜川智子が射殺される場面はこの作品を代表する変則ぶりで大いに楽しめるわけだが、それ以上に今回は描き切らずに各場面を繋ぎ続ける実験を行ったという印象が強い。それ故にもやもやした感じが残る一方で、前の場面で描かなかった部分が次の場面で説明され一定の面白さを出すケースもある。例えば、迫り来る列車を背後にして渡が川地民夫を撃つと次の場面に移行し、骨休めをしている渡を怪我を負った川地が襲撃してくる。前の場面の最終状況が一遍に解るのである。
本作に限らないが、セットは極めて簡略化され様式的。真白いスタジオの中だけで構成されるラスト・シーンの様式美は、まるで夢の中のようなイメージを与え、記憶に値する。
また、主題歌「東京流れ者」を14回も繰り返し、清順が時に見せる歌謡映画趣味を大々的に展開している。
この歌は本来「蔵王の山男」という歌だったが、日本全国で替え唄として流行り、その一つが竹越ひろ子でヒットした「東京流れ者」。映画ではそれとはまた違う歌詞に変えられ、かつメロディーも改変されている。因みに、我が老父が戦後憶えたという上州版は以下の如し(一部曖昧)。
流れ流れて 大利根の
坂東しぶきも なんのその
男 栄えある 白だすき
おいら 碓氷の愚連隊
あゝ ○○○○ わが心
1966年日本映画 監督・鈴木清順
ネタバレあり
鈴木清順の作品、特に日活晩年以降の作品はストーリーを追っても大した意味がないわけだが、本作はストーリーを無視できるほどお話がないわけでもない。結局評価の最終判断としては<物語の面白さ>がかなりの要素を占めることになる。
ヤクザを止めて実業家に転身したボス北龍二を崇拝して堅気として生き始めた渡哲也が敵対していた暴力団に嵌められた為に流れ者の生活に入っていくが、佐世保でボスの舎弟に当たる玉川伊佐男に命を狙われると、東京に戻って裏切ったボスを倒し、恋人の歌手・松原智恵子とも別れていく。
「おふくろさん」騒動で世間を騒がしている川内康範が書いた原作・脚本は古風なもので大して面白くないが、映画として最初に強い印象を残すのは、例によって例のごとき色遣い。単色で彩られた壁の色、モノクロ若しくは淡色の中の強烈な赤など、相変わらず面白い。清順はカラーの方が楽しいと思う所以。
日活引退作「殺しの烙印」では文法を無視したショット編成が面白かった。今回も債権者の秘書・浜川智子が射殺される場面はこの作品を代表する変則ぶりで大いに楽しめるわけだが、それ以上に今回は描き切らずに各場面を繋ぎ続ける実験を行ったという印象が強い。それ故にもやもやした感じが残る一方で、前の場面で描かなかった部分が次の場面で説明され一定の面白さを出すケースもある。例えば、迫り来る列車を背後にして渡が川地民夫を撃つと次の場面に移行し、骨休めをしている渡を怪我を負った川地が襲撃してくる。前の場面の最終状況が一遍に解るのである。
本作に限らないが、セットは極めて簡略化され様式的。真白いスタジオの中だけで構成されるラスト・シーンの様式美は、まるで夢の中のようなイメージを与え、記憶に値する。
また、主題歌「東京流れ者」を14回も繰り返し、清順が時に見せる歌謡映画趣味を大々的に展開している。
この歌は本来「蔵王の山男」という歌だったが、日本全国で替え唄として流行り、その一つが竹越ひろ子でヒットした「東京流れ者」。映画ではそれとはまた違う歌詞に変えられ、かつメロディーも改変されている。因みに、我が老父が戦後憶えたという上州版は以下の如し(一部曖昧)。
流れ流れて 大利根の
坂東しぶきも なんのその
男 栄えある 白だすき
おいら 碓氷の愚連隊
あゝ ○○○○ わが心
この記事へのコメント
竹越ひろ子のヒットが65年ですからそれより前ですね。
恐らく戦前から応援歌のような形で歌われているうちに、様々なバージョンができたんでしょう。
面白いですよね。
>スタイリッシュな映像構成
彼の場合は「他人が解らなくても関係ない」といったスタイルで、しかも独善とは言い切れないところが良いですね。
ある人々のススタイルは「こうすれば観客に受けるだろう」という計算がある場合があり、そういうのは好きになれないことが多いです。
>本当はだいこんでは・・・
あははは。
僕には何とも言えません(誤魔化したな^^;)が、スター俳優に必要なのは演技力ではない、というのは確かでしょう。
>替え歌
多分そこら中でいっぱいあるのではないのでしょうか。
僕も偶然父が歌っているのを聞きまして『「東京流れ者」じゃん」と思って調べてみたんですよ。
完全にそれはそっちのけで、自分の美学を追及しているところがいいですねー!こういう作家が若い監督にもどんどん出てきて欲しいです。商業的に苦しくなるから、難しいのかも知れませんが…。
>スター俳優に必要なのは演技力ではない
裕次郎もしかりですね。墓穴を掘ることになりそうなので、この話題はこれで終わりにします^^;)。
>商業的に苦しくなるから
実際単独興行に回される作品を作る監督さんには有望な監督もいるんですけどね。今は昔以上にそういうのが難しい時代になりました。TT
>裕次郎
海の向こうの<あの方やこの方>もそうですねえ(誰のことかなあ?)。
中には魅力すら解らない人もいますが。^^;