映画評「ナヴァラサ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2005年インド映画 監督サントーシュ・シヴァン
ネタバレあり
性同一性障害を本格的に扱った作品と言えば「ボーイズ・ドント・クライ」というアメリカ映画くらいしか思い付かないほど性先進国ですらなかなか扱わない素材であるが、カースト制度があり宗教色の強い国から出てきたからびっくりである。
南インドの13歳の少女シュエータが、尊敬する叔父さんクシュブーが女装をしているのにショックを受ける。女性に変身してアラバン王子と結ばれたクリシュナ神の神話に倣って寺院で結婚式を挙げ女性として生きると宣言してヒジュラ(男でも女でもない第三の性と理解される男性)のフェスティヴァルの為に家出してしまった叔父を連れ帰ろうと会場まで出かけ、その途中でミス・コンテストで優勝を狙うボビー・ダーリンと知り合い、彼の話から「体は男、心は女」という、西洋風の言葉で言えば<性同一性障害>の男性が少なからずいることを理解していく。
「ボーイズ・ドント・クライ」が終盤の乱暴な展開故に真面目にこの障害を考えようとしたのかと疑問を覚えたのに対し、本作の真摯さには心を打つものがある。女性や大人の不自由さを生み出している因習に敏感になりつつある思春期少女の目を通したのが微妙な素材に対する緩衝材として機能した点も認めたい。
監督は撮影監督出身のサントーシュ・シヴァン。インド的な実に大らかな作風で、序盤のインド特有の音楽映画的ムードから少女が町へ繰り出すとドキュメンタリー・タッチに急変してしまうように相当ちゃらんぽらんではあるが、それがインド的ムードを構成しているのも確かで、本作に見られる野趣性の一つとして楽しめないことはない。
南インドで実際に行われ30万人も集まるというヒジュラの大祭が演出なく紹介されているのが大変興味深い。ただ、ヒジュラに厳しいはずの環境なのにこうした大きな大会が開かれる辺りの矛盾がよく解らないように、外国人にはその社会的実態が正しく掴めない憾みはある。
2005年インド映画 監督サントーシュ・シヴァン
ネタバレあり
性同一性障害を本格的に扱った作品と言えば「ボーイズ・ドント・クライ」というアメリカ映画くらいしか思い付かないほど性先進国ですらなかなか扱わない素材であるが、カースト制度があり宗教色の強い国から出てきたからびっくりである。
南インドの13歳の少女シュエータが、尊敬する叔父さんクシュブーが女装をしているのにショックを受ける。女性に変身してアラバン王子と結ばれたクリシュナ神の神話に倣って寺院で結婚式を挙げ女性として生きると宣言してヒジュラ(男でも女でもない第三の性と理解される男性)のフェスティヴァルの為に家出してしまった叔父を連れ帰ろうと会場まで出かけ、その途中でミス・コンテストで優勝を狙うボビー・ダーリンと知り合い、彼の話から「体は男、心は女」という、西洋風の言葉で言えば<性同一性障害>の男性が少なからずいることを理解していく。
「ボーイズ・ドント・クライ」が終盤の乱暴な展開故に真面目にこの障害を考えようとしたのかと疑問を覚えたのに対し、本作の真摯さには心を打つものがある。女性や大人の不自由さを生み出している因習に敏感になりつつある思春期少女の目を通したのが微妙な素材に対する緩衝材として機能した点も認めたい。
監督は撮影監督出身のサントーシュ・シヴァン。インド的な実に大らかな作風で、序盤のインド特有の音楽映画的ムードから少女が町へ繰り出すとドキュメンタリー・タッチに急変してしまうように相当ちゃらんぽらんではあるが、それがインド的ムードを構成しているのも確かで、本作に見られる野趣性の一つとして楽しめないことはない。
南インドで実際に行われ30万人も集まるというヒジュラの大祭が演出なく紹介されているのが大変興味深い。ただ、ヒジュラに厳しいはずの環境なのにこうした大きな大会が開かれる辺りの矛盾がよく解らないように、外国人にはその社会的実態が正しく掴めない憾みはある。
この記事へのコメント
インドは多民族国家ですし、場所によって宗教・宗派によっても考えが違うようで、外国人向けというよりそうした人々への啓蒙的意味合いもあったのかもしれませんね。
どうもヒジュラの行われる地方では、伝統のあるヒジュラという存在が崇められているところもあると、書かれていました。
やはり多民族国家だあ。(笑)