映画評「麦の穂をゆらす風」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2006年イギリス映画 監督ケン・ローチ
ネタバレあり
IRA(アイルランド共和軍)を本格的にテーマとした最初の作品は恐らくジョン・フォードの「男の敵」であろう。戦後キャロル・リードが発表した「邪魔者は殺せ」はスリラー仕立てでIRA活動家を描いた。これが二大娯楽傑作である。
近年ではIRAの情報部長を描いたニール・ジョーダンの「マイケル・コリンズ」が印象深いが、支配者側だった英国人ケン・ローチがアイルランド独立運動における悲劇を描いて見せたのが本作である。
12世紀以来700年以上英国の支配下にあるアイルランド、南部の町に暮らす医師志願キリアン・マーフィがロンドンの病院への就職が決まり故郷を離れようとしたその時、英国の武装警察隊“ブラック・アンド・タンズ”が名前を英国風に発音しなかった友人を殺すという事件が起きる。駅で彼らの暴力を再び目にし駅員の抵抗に触発された彼は医師の道を諦め、独立運動の中心にいた兄ポードリック・ディレイニーと行動すべく武器を取るのである。
日本も他国のことは言えないが、前半の英国警察隊の暴力は人情のかけらもなく酸鼻を極め、そうでなくとも貧困に苦しむアイルランド人を独立運動に向かわせる気持ちがよく解る。
マーフィが山の草地で領主と通じた裏切り者を処刑する場面は、相手が幼馴染だけにやりきれない思いがひしひしと伝わって来るが、映画的にはこれが情勢の変わる後半のさらに酷烈なムードへの伏線となっていることに注目せねばらならない。
1922年彼らの戦いが功を奏して英国は停戦を申し出るが、その講和条約は依然英国王を元首とする半独立に過ぎず、指導者グループが容認派と完全独立派とに二分された結果、国防軍に回った兄と独立派の弟が敵味方に分かれて戦うことになる。
かかる作品を見る度に思うのが人間の愚かさである。争いの元は常に人間の所有欲にあるわけだが、人間の原罪にまで論点を広げると収拾がつかないので一般的な理解の範囲で話を進めましょう。
ローチは勿論誰に荷担するわけでもなく、家族も同胞も分かつ、アイルランドで起きたであろう悲劇を真摯に描き上げる。「ケス」以降の殆どの作品を見ているので今更その自然主義スタイルを指摘するのも野暮というものだが、描写の感覚の良さは特筆しても良いと思う。鮮やかな緑の小道からマーフィの恋人オーラ・フィッツジェラルドが自転車に乗って現れるショットの瑞々しさ・・・こうした映画的な豊潤があってこそ悲劇性が際立ち、映画は輝く。
旧作よりぐっと平明なのが筋金入りのローチ・ファンには物足りない印象を与えるかもしれないが、大衆映画ファンたる僕はそこに好感を覚えた。
今何故このテーマなのか疑問を呈する方もいらっしゃるが、単に1920年代のアイルランドのお話と見るのは視野狭窄と言わねばならない。この瞬間においてもイラクでは宗派が違うだけで同胞が戦っている現実があり、将来どの国においても内戦が起こる可能性は否定できず、極めて普遍的な人間的な悲劇なのである。恐らく反戦映画は永久に作り続けられることだろう。
引きの映像が多い為に配役陣の印象は弱めだが、「プルートで朝食を」の好演に感心したキリアン・マーフィは引き続き好調。
2006年イギリス映画 監督ケン・ローチ
ネタバレあり
IRA(アイルランド共和軍)を本格的にテーマとした最初の作品は恐らくジョン・フォードの「男の敵」であろう。戦後キャロル・リードが発表した「邪魔者は殺せ」はスリラー仕立てでIRA活動家を描いた。これが二大娯楽傑作である。
近年ではIRAの情報部長を描いたニール・ジョーダンの「マイケル・コリンズ」が印象深いが、支配者側だった英国人ケン・ローチがアイルランド独立運動における悲劇を描いて見せたのが本作である。
12世紀以来700年以上英国の支配下にあるアイルランド、南部の町に暮らす医師志願キリアン・マーフィがロンドンの病院への就職が決まり故郷を離れようとしたその時、英国の武装警察隊“ブラック・アンド・タンズ”が名前を英国風に発音しなかった友人を殺すという事件が起きる。駅で彼らの暴力を再び目にし駅員の抵抗に触発された彼は医師の道を諦め、独立運動の中心にいた兄ポードリック・ディレイニーと行動すべく武器を取るのである。
日本も他国のことは言えないが、前半の英国警察隊の暴力は人情のかけらもなく酸鼻を極め、そうでなくとも貧困に苦しむアイルランド人を独立運動に向かわせる気持ちがよく解る。
マーフィが山の草地で領主と通じた裏切り者を処刑する場面は、相手が幼馴染だけにやりきれない思いがひしひしと伝わって来るが、映画的にはこれが情勢の変わる後半のさらに酷烈なムードへの伏線となっていることに注目せねばらならない。
1922年彼らの戦いが功を奏して英国は停戦を申し出るが、その講和条約は依然英国王を元首とする半独立に過ぎず、指導者グループが容認派と完全独立派とに二分された結果、国防軍に回った兄と独立派の弟が敵味方に分かれて戦うことになる。
かかる作品を見る度に思うのが人間の愚かさである。争いの元は常に人間の所有欲にあるわけだが、人間の原罪にまで論点を広げると収拾がつかないので一般的な理解の範囲で話を進めましょう。
ローチは勿論誰に荷担するわけでもなく、家族も同胞も分かつ、アイルランドで起きたであろう悲劇を真摯に描き上げる。「ケス」以降の殆どの作品を見ているので今更その自然主義スタイルを指摘するのも野暮というものだが、描写の感覚の良さは特筆しても良いと思う。鮮やかな緑の小道からマーフィの恋人オーラ・フィッツジェラルドが自転車に乗って現れるショットの瑞々しさ・・・こうした映画的な豊潤があってこそ悲劇性が際立ち、映画は輝く。
旧作よりぐっと平明なのが筋金入りのローチ・ファンには物足りない印象を与えるかもしれないが、大衆映画ファンたる僕はそこに好感を覚えた。
今何故このテーマなのか疑問を呈する方もいらっしゃるが、単に1920年代のアイルランドのお話と見るのは視野狭窄と言わねばならない。この瞬間においてもイラクでは宗派が違うだけで同胞が戦っている現実があり、将来どの国においても内戦が起こる可能性は否定できず、極めて普遍的な人間的な悲劇なのである。恐らく反戦映画は永久に作り続けられることだろう。
引きの映像が多い為に配役陣の印象は弱めだが、「プルートで朝食を」の好演に感心したキリアン・マーフィは引き続き好調。
この記事へのコメント
日本はこういうことがないから、どうしても歴史に鈍感になっていくんでしょうね。アイルランド紛争をこんな風に真正面から取り組んだ作品って案外少ないんですよね。P様の言われるようにケン・ローチの姿勢にも交換がもてました。キリアン・マフィーもこれから楽しみな役者です。
「夜よ、「こんにちは」でもそうですけど、こういった歴史的事件、政治的な事件についても、どちらの側にというんではなく、その時代を冷静な目でもって捉える映画作家の視線は欲しいですね。滋味だけれど、やはりこれにグランプリを与えたカンヌ映画祭の審査員にも拍手を送りたいですね。劇場でも見たのですが今月CSでも放映されているんで再見するつもりです。
「蝶の舌」については軽く御ブログに書きました。
本作の緑の、自然の豊かさに比べて、人間の心の貧しいこと。抗戦し内戦を展開したアイルランド人ではなく、支配を続けた英国人への思いです。
英国人ローチとしては英国警察隊の描写はかなり酷烈であり、恐らく保守的な英国人からは批判されたでしょうが、きっとこれが歴史的事実なのでしょう。
>日本
自虐史観などという言葉がありますが、国民は自虐的に国を眺めるくらいではないと、いずれ国や為政者に利用されると思います。ナチスに引き寄せられていき、とんでもないことをしでかしたドイツ人の二の舞になってしまうでしょう。
交換→好感 滋味→地味 見直ししたつもりが…
一口に英国というけれどイギリスの正式な呼び名をみると、この紛争のいかにその根が深いかを感じますね。ユアンなどは頑としてスコットランド訛りを直そうとしませんしね、
レスが遅くなりまして、すみません。
>誤入力
私の場合はてにをはがかなり出鱈目になっていることが多いです。
自分の文章はすらすらと読めるので、見直しても意外と見落とすものですね。
ラグビーやサッカーでは、スコットランドやウェールズは別国扱いですしね。北アイルランドは80年以上もくすぶってテロの原因となっています。現在のIRAと戦前のアイルランド共和軍は必ずしも同じではないようですね。
形式上ですが、オーストラリアの元首は未だにエリザベス女王でしたよね?