映画評「ジャケット」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督ジョン・メイベリー
ネタバレあり
1992年湾岸戦争で負った脳の損傷から奇跡的に蘇った青年エイドリアン・ブロディが、雪道で立ち往生している母娘の車を直し少女に認識票をプレゼントした後、警官殺害の罪で訴追されるが、心神喪失として犯罪者専用の精神病院へ収監される。
というのが序盤のお話で、暫くは先が予想しにくい展開で興味をそそる。ヒッチハイクして乗った車がパトカーに追われ、次の場面が追いかけてきた警官の殺害に関する裁判模様、という省略のセンスがなかなか宜しい。
担当の医師クリス・クリストファースンは彼をジャケット(拘束衣)に包んで死体安置棚へ入れてしまう。
一種の告発ものかと考える間もなく、舞台は突然2007年に飛ぶ。青年はダイナーのウェイトレスをしているキーラ・ナイトリーと知り合うが、彼女が15年前に認識証を渡した少女であることが判明、彼女の母が煙草による火事で死に、彼も1993年の元日に死んだと教えられる。
ジャケットを着て安置棚に入れられるとタイムスリップすることに気付いた彼は次第にそれを望むようになり、キーラとのデートを兼ねながら自らの死因を探り、92年の世界では女医ジェニファー・ジェイスン・リーに少年の病気の原因を教えたり、キーラの母親を火事から救おうと手紙を渡す。
近年流行気味の過去を変える(若しくは変えない)タイム・トリップもので、「バタフライ・エフェクト」が過去を変えようとあくせくするのに比べてこちらは誠に単純、二つの出来事に絡むだけである。
単純なのは結構だが、前半の暗鬱なものものしいムードを考えると、終盤の穏やかな展開は些か物足りない。穏やかなのが問題なのではなく構成の問題で、かかる幕切れにするなら前半恐怖を煽るような描写は極力避けるべきだったと思われる。予想に反する展開とは言え、肩すかしのような印象を覚えさせるのは勿体ないからである。
タイム・トリップものとしては非常に良く出来ていて、タイム・パラドックスを上手く避けている。例えば主人公は死んだことになっているので、その彼が2007年にいてもSFの世界ではおかしくない。彼の死因が未来(2007年)に行ったことだったり、クリストファースン本人から教えられる施術患者の名前についても同様で、未来と現在を往復したことが既に内包されていたお話なわけである。
その観点では、母親が助かってキーラが病院関係者になり、彼自身がジャケットに包まることで救われる幕切れに違和感が残る。2007年に彼がタイムスリップした時に主人公が二人存在することになるのだ。
バランスのとれた配役の中でも、キーラは背伸びした感じのあった「ドミノ」よりずっと適役。
エンド・クレジットの最初に流れるのは僕の友人が惚れ込んでいた名曲、ルイ・アームストロングのだみ声が懐かしい「女王陛下の007」の主題歌である。
2005年アメリカ映画 監督ジョン・メイベリー
ネタバレあり
1992年湾岸戦争で負った脳の損傷から奇跡的に蘇った青年エイドリアン・ブロディが、雪道で立ち往生している母娘の車を直し少女に認識票をプレゼントした後、警官殺害の罪で訴追されるが、心神喪失として犯罪者専用の精神病院へ収監される。
というのが序盤のお話で、暫くは先が予想しにくい展開で興味をそそる。ヒッチハイクして乗った車がパトカーに追われ、次の場面が追いかけてきた警官の殺害に関する裁判模様、という省略のセンスがなかなか宜しい。
担当の医師クリス・クリストファースンは彼をジャケット(拘束衣)に包んで死体安置棚へ入れてしまう。
一種の告発ものかと考える間もなく、舞台は突然2007年に飛ぶ。青年はダイナーのウェイトレスをしているキーラ・ナイトリーと知り合うが、彼女が15年前に認識証を渡した少女であることが判明、彼女の母が煙草による火事で死に、彼も1993年の元日に死んだと教えられる。
ジャケットを着て安置棚に入れられるとタイムスリップすることに気付いた彼は次第にそれを望むようになり、キーラとのデートを兼ねながら自らの死因を探り、92年の世界では女医ジェニファー・ジェイスン・リーに少年の病気の原因を教えたり、キーラの母親を火事から救おうと手紙を渡す。
近年流行気味の過去を変える(若しくは変えない)タイム・トリップもので、「バタフライ・エフェクト」が過去を変えようとあくせくするのに比べてこちらは誠に単純、二つの出来事に絡むだけである。
単純なのは結構だが、前半の暗鬱なものものしいムードを考えると、終盤の穏やかな展開は些か物足りない。穏やかなのが問題なのではなく構成の問題で、かかる幕切れにするなら前半恐怖を煽るような描写は極力避けるべきだったと思われる。予想に反する展開とは言え、肩すかしのような印象を覚えさせるのは勿体ないからである。
タイム・トリップものとしては非常に良く出来ていて、タイム・パラドックスを上手く避けている。例えば主人公は死んだことになっているので、その彼が2007年にいてもSFの世界ではおかしくない。彼の死因が未来(2007年)に行ったことだったり、クリストファースン本人から教えられる施術患者の名前についても同様で、未来と現在を往復したことが既に内包されていたお話なわけである。
その観点では、母親が助かってキーラが病院関係者になり、彼自身がジャケットに包まることで救われる幕切れに違和感が残る。2007年に彼がタイムスリップした時に主人公が二人存在することになるのだ。
バランスのとれた配役の中でも、キーラは背伸びした感じのあった「ドミノ」よりずっと適役。
エンド・クレジットの最初に流れるのは僕の友人が惚れ込んでいた名曲、ルイ・アームストロングのだみ声が懐かしい「女王陛下の007」の主題歌である。



この記事へのコメント
いえいえ、問題ございません。
折角ですから連絡させて戴きました。
最後にジャケットに包まれたのは、2007年に生きることが目的だったと思いますよ。それは同時に93年の死の回避をも意味するはずです。
するとパラレル・ワールドの存在を考えないと矛盾するわけですが、パラレル・ワールドがあるならわざわざタイム・トリップをする必要もない、という矛盾も出てきます。(笑)
難しいですね。