映画評「椿三十郎」(1962年版)
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1962年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
後に外国の映画界に少なからぬ影響を残すことになる「用心棒」のヒットに気を良くして東宝が黒澤明に作らせたと言われる続編だが、こちらには山本周五郎「日々平安」という原作がある。続編として成立させる為に換骨奪胎したというほうが正確。
今回はリメイクが公開中ということと黒澤作品を暫く観ていないということで再鑑賞することにした。
とある城下町の社殿に、上級武士の汚職を追及しようとした九人の若侍が飄然とした城代家老(伊藤雄之助)ではなく口の巧い大目付の言うままに集う。
そこへ浪人(三船敏郎)が現れ、彼らの話しぶりから大目付が彼らを一網打尽にしようとしていると見抜き、機転により若侍たちは難を逃れるが、浪人は青臭い彼らを見かねて手助けを決意して行動開始、案の定城代家老は妻(入江たか子)と娘(団令子)共々拉致されたことが判明する。妻女を救出した浪人は有志たちが頼りにならず大目付の懐刀・室戸半兵衛(仲代達矢)が強敵なので、味方になるふりをして様子を探りに出る。
攪乱作戦であるのは「用心棒」と変わらないが、一人で二組を相手にする前者に対し、敵は一組だが足手まといがいるケースという、双方に甲乙付けがたい状況の面白さがある。明らかにこちらのほうがお話は作り易い、というのも頭脳明晰な浪人が烏合の衆とも言うべき若侍群に指示を出すという構図に作劇の幅があり、台詞で作戦を説明しながら展開できるという利点もあるからである。そこに先を予想する楽しみを犠牲にする弱点が内在しているわけだが、その隙間は敵側との智恵合戦が埋めている。
「用心棒」を先に観ている方に関しては、景色を見ながら「椿三十郎」と名前を決定したり顔をさすったりする愉快な台詞や動作が二番煎じになってしまうので、面白さが減じたように感じる可能性が高いものの、ルーティンが楽しさに通ずる場合もあるので一概には言えない。
仮にそれをマイナスとしても、十分に補う秀逸なお楽しみがある。妻女たちののんびりとした言動であり、敵方ながら若侍たちと意気投合してしまう見張り番(小林桂樹)のユーモラスな点出である。実はかなり殺伐たる内容に軽さを与えるという効果があり、この部分はもっと評価されても良いと思う。
翻って主人公であるが、前作以上に剣豪であり、策略にも長けているのは確かで、その分主人公のキャラクターに頼った部分が多い一方、目の演技者・仲代達矢の凄味も指摘しておかねばならない。それが長い間互いの呼吸を探るあの有名な決闘シーンの迫力へと繋がっている。
一番印象が違うのが撮影で、望遠を駆使しロングショットの魅力で見せた「用心棒」に対し、三十郎を始めとする人物のキャラクターを強調する目的の為もあろう、こちらは人物が大きく捉えられる傾向にある。
といった次第で、より映画的なスケールを感じる撮影の貢献大で「用心棒」に軍配を上げたいが、全体評価としては観た順番の影響も否定しきれない。
三船敏郎と仲代達矢は圧倒的。特に三船の天衣無縫の豪傑ぶりは無類で、リメイクの織田裕二君が逆立ちしても落ちてくるのは財布ばかり、この馬力には程遠かろう。未だ見ぬ織田君がどうのこうのというのではなく、三船が例外ということである。
三船氏の居合いの速さは僅かに5ないし6コマ、時間にして0.2秒なり。「シェーン」のアラン・ラッドに匹敵する素早さ。改めて感心しました。
1962年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
後に外国の映画界に少なからぬ影響を残すことになる「用心棒」のヒットに気を良くして東宝が黒澤明に作らせたと言われる続編だが、こちらには山本周五郎「日々平安」という原作がある。続編として成立させる為に換骨奪胎したというほうが正確。
今回はリメイクが公開中ということと黒澤作品を暫く観ていないということで再鑑賞することにした。
とある城下町の社殿に、上級武士の汚職を追及しようとした九人の若侍が飄然とした城代家老(伊藤雄之助)ではなく口の巧い大目付の言うままに集う。
そこへ浪人(三船敏郎)が現れ、彼らの話しぶりから大目付が彼らを一網打尽にしようとしていると見抜き、機転により若侍たちは難を逃れるが、浪人は青臭い彼らを見かねて手助けを決意して行動開始、案の定城代家老は妻(入江たか子)と娘(団令子)共々拉致されたことが判明する。妻女を救出した浪人は有志たちが頼りにならず大目付の懐刀・室戸半兵衛(仲代達矢)が強敵なので、味方になるふりをして様子を探りに出る。
攪乱作戦であるのは「用心棒」と変わらないが、一人で二組を相手にする前者に対し、敵は一組だが足手まといがいるケースという、双方に甲乙付けがたい状況の面白さがある。明らかにこちらのほうがお話は作り易い、というのも頭脳明晰な浪人が烏合の衆とも言うべき若侍群に指示を出すという構図に作劇の幅があり、台詞で作戦を説明しながら展開できるという利点もあるからである。そこに先を予想する楽しみを犠牲にする弱点が内在しているわけだが、その隙間は敵側との智恵合戦が埋めている。
「用心棒」を先に観ている方に関しては、景色を見ながら「椿三十郎」と名前を決定したり顔をさすったりする愉快な台詞や動作が二番煎じになってしまうので、面白さが減じたように感じる可能性が高いものの、ルーティンが楽しさに通ずる場合もあるので一概には言えない。
仮にそれをマイナスとしても、十分に補う秀逸なお楽しみがある。妻女たちののんびりとした言動であり、敵方ながら若侍たちと意気投合してしまう見張り番(小林桂樹)のユーモラスな点出である。実はかなり殺伐たる内容に軽さを与えるという効果があり、この部分はもっと評価されても良いと思う。
翻って主人公であるが、前作以上に剣豪であり、策略にも長けているのは確かで、その分主人公のキャラクターに頼った部分が多い一方、目の演技者・仲代達矢の凄味も指摘しておかねばならない。それが長い間互いの呼吸を探るあの有名な決闘シーンの迫力へと繋がっている。
一番印象が違うのが撮影で、望遠を駆使しロングショットの魅力で見せた「用心棒」に対し、三十郎を始めとする人物のキャラクターを強調する目的の為もあろう、こちらは人物が大きく捉えられる傾向にある。
といった次第で、より映画的なスケールを感じる撮影の貢献大で「用心棒」に軍配を上げたいが、全体評価としては観た順番の影響も否定しきれない。
三船敏郎と仲代達矢は圧倒的。特に三船の天衣無縫の豪傑ぶりは無類で、リメイクの織田裕二君が逆立ちしても落ちてくるのは財布ばかり、この馬力には程遠かろう。未だ見ぬ織田君がどうのこうのというのではなく、三船が例外ということである。
三船氏の居合いの速さは僅かに5ないし6コマ、時間にして0.2秒なり。「シェーン」のアラン・ラッドに匹敵する素早さ。改めて感心しました。
この記事へのコメント
これとリメイクの差が如実に現れているのがラストの決闘シーンでの素早さでしょうね。
織田君がもし三船敏郎と同じ程度の速さを持っていたならば、あのような小細工を入れた殺陣に変更する必要性はなかったわけですしね。
ただ自分のところでも書いてますが、森田監督と織田君は新しい三十郎像を作っているので、違うからダメなどという無意味な批判はしませんし、リメイクに挑んだ勇気には拍手を送りたいですよ。
ではまた!
>リメイク
僕もそんな無粋な批判はしませんが、やはり主役を張る役者は演技力だけでは駄目で、やはりスケール+多少の演技力でしょう。
これは織田君に限らず、現在の役者全般に本来のスター性が欠けるのですよね。それはやはりTVなどに出て軽々しい面を示したりするのがスター性云々に繋がっていると思います。
監督が仰るように、「リメイクが古い映画を見直すことに繋がる」か、については些か疑問なのですけどね。
繋がんないでしょうね…。残念ですが。
心配なのはこれらリメイクがアメリカのようにそこそこ受けたとして、調子に乗った各メジャーが勘違いをして、溝口作品や小津作品に手を出したりしたらば、目も当てられない惨状になるのは確実ですね。
それを一番恐れています。ではまた!
常々言っているのは「リメイクよりリバイバルを」なんですが、そうすると役者を目当てに行くミーハーたちを呼び込めないんですね。
残念ながら映画ではなく役者だけを見に行く人々もいて、それが映画ファンより多いというのが恐らく実情でしょう。
>小津
はTVドラマ化されていますが、現在に舞台をシフトするのがTVの宿命であり、弱さです。
>溝口
原作ものが別のものとして映像化される可能性はあるでしょうけどね。あったら大変です。^^;
わたしはリメイクの予習のつもりできっちり観ておこうと思い、本作を観たのですが、これを観てしまったら、リメイクを観る気なんかすっかり失せました。(笑)で、続けて「用心棒」も見てしまった。
それからもレンタル屋さんへいくたびに三船が呼ぶんですよ、
ミフネが!(笑)
用心棒との比較記事興味深かったです。
やっと鑑賞しました。(笑)
リメイクは脚本が同じと聞いたので改めて今の段階で観る必要もないかななどと思っております。
黒澤やヒッチコックをリメイクするに当たり同じ脚本を使うなんて無謀ですよ、演出力の差を見せつけてしまうだけ。「サイコ」をご覧あれ!
まして役者のスケールが年ごとに小さくなっている昨今では・・・
>ミフネ
そうでしょうとも。^^
彼が希望通りに撮影監督になっていたら全く別の邦画史となったわけですね。運命というのも不思議なものです。
>比較
どもども。
贔屓目かもしれませんが、ああいう大げさな挙動や台詞が似合う役者は、三船さんの外にちょっといませんよねえ。
やはり黒澤映画でのやんちゃな三船敏郎が僕は好きですね。現代劇のしかつめらしい三船氏は他の役者でも代理がききそうですし。
>「団令子」
あははは。括弧付きで知らせるとは人が悪いなあ。
いや、老練と言うべきでしょうか。さすがですね。
団令子の令子が令子であること(笑)はよく知っているのですが、変換ミスでした。しょっちゅうやっていますので、ご遠慮なくご指摘くださいね。
後で直しておきます。
>図書館にはVHSなら
現在山に引込んでしまいまして、山の図書館には映画のビデオは1本もありません。とほほ。
こちらの市営図書館にはDVDはなくてVHSばかりでS・トレイシーの「おかしなおかしな世界」まであります。おかしなは3回でしたっけ?。J・フォードの「ハリケーン」もあるんです。
>団令子
直しておきました。
>おかしな・・・世界
「おかしな」は三回です。
しかし、これに「ハリケーン」とはかなり面白い品揃えですね。
「ハリケーン」はTVで観てなかなか楽しんだ記憶があります。
先ほど、TV放映をみていましたが、正直に言いますが、途中でみるのをやめようかと思うほど、黒澤作品のリメイク作品に意味を見出せませんでしたよ。
元来、原案(作)が同じものを異なる作品とすることがリメイクであって欲しい。
リメイクとは、前回に映像化したものを基本にすべきではないように思いました。作り手の前作への意識に工夫が必要なのではないかな?
>ラストの決闘シーン
正直に言うと意味がない。超えられないものに挑戦することに意味があるとは思えません。
>新しい三十郎像
確かに用心棒さんのおっしゃるとおりかもしれませんが、どうも虚無的にならざるを得ませんでした。
あの題材における登場人物を演ずることの可能な俳優は現在存在しているのかな?
>「リメイクが古い映画を見直すことに繋がる」
無意味だと思います。
リメイクは前作を批判するだけの力量が製作者サイドになければならないし、旧作を賛美するにしても、それを超えるだけの意気込みと自信が必要だと思います。
>「リメイクよりリバイバルを」
オカピーさんのおっしゃるようにミーハー戦略にはならないかもしれませんが、これだけのDVD普及時代、うまく行けば、そこそこ若い良識的なファンもつかめるかもしれません。
不可能かもしれませんが、旧作とリメイクの同時上映などどうでしょう?
それをリメイク制作の前提にするなら、失敗作であったとしても、旧作を超えられなくても、つくり手の勇気に拍手を贈りたくはなるかな?
しかし、それを前提に旧作を制作する才能や勇気をもっている映画人がどれだけいるでしょう。
「ジャンヌ・ダルク」を再映画化したロベール・ブレッソン クラスの高レベルの作家でないと・・・。
では、また。
年内のうちにリメイクの記事をUPしようかなあなどと思っていたのに、機先を制せられてしまった(笑)。
>原案(作)が同じものを異なる作品とすることがリメイクであって欲しい
極めて正論です。
が、世の中にはオリジナルと変えることを嫌がる人もいて、変えると「あれはリメイクとは言えない」などと言うのですよ。原作ファンと同じで、愛着がフレキシブルな考えを奪っている典型です。
ある程度同じ風に作って良いのはセルフ・リメイクだけです、多分(ヒッチコックはそれすら嫌がりましたが)。それから日本の古い映画のようにオリジナルが紛失している場合ですね。
>ラストの決闘シーン
案の定でした。
織田君が逆立ちしても、落ちてくるのは財布ならぬ袂に入れた小銭だけですので、ああいう変化球になる。
だったらやるな、とがっかりしました。
>「リメイクが古い映画を見直すことに繋がる」
ちょっと違う話ですが、「さらば、ベルリン」という40年代スリラーへのオマージュ作品で、古い映画スタイルを見直す契機になればという意見を言ったところ「それには作品に質が伴わなければならない」と意見されました。それ自体は正論ですが、極端な話、あの映画を観た若い人の1%でもモノクロ・スタンダードをベースにした古い映画の簡潔性に目を開いてくれれば成功と思うわけです。
しかし、リメイクの場合はどうでしょうか。
同じようなことが言えるような気もしますが、方法自体が新しい為に、古い映画の見直しにはまず繋がらない気がするのです。
>旧作とリメイクの同時上映などどうでしょう?
これは面白いアイデアですね。
しかし、「七人の侍」のアクション・シーンに対し「CGではない、ワイヤーアクションがないので迫力がない」なんてずれたことを言う人が少なからずいる時代ですから、難しいでしょう。
他方、ベテラン・ファンからは(仮に出来が良くても)批判されるでしょうね、「やっぱり駄目だあ」なんて(笑)。
昨日UPした「ザ・シンプソンズ」でも映画を良くするには客の底上げが必要だというニュアンスの意見を述べたのですが、本物の映画ファンは昔から質が高く決して下がっていず、映画観賞を趣味としていない人の質を高めなければならないのですが、これは殆ど不可能なわけですね。
例えば、僕や用心棒さんが口を酸っぱくして啓蒙しようとしても、読むのは元々良識のあるブロガーなはずですから効果は薄い。せいぜい僕の記事を読んで納得されたブロガーさんが家族にお話しされたりすれば、(僕が正論を言っているとの仮定において)裾野が広がる可能性はあるわけですが、道のりは遠いなあ。
一応これが今年最後のトムさんへのコメントバックとなると信じて(笑)
ごあいさつ。
本年は色々とお世話になりました。
来年もよろしくお願い致します。
それでは、良いお年を。