映画評「グッドナイト&グッドラック」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2005年アメリカ映画 監督ジョージ・クルーニー
ネタバレあり
僕は目的と手法が合致した映画が大好きである。出演と共同脚本も兼ねているジョージ・クルーニーの二度目のメガフォンとなる本作は正にそうした作品の代表格と言って良い。
50年代前半アメリカに吹き荒れた上院議員ジョゼフ・マッカーシーによる赤狩りをテーマにしたのは「真実の瞬間(とき)」であるが、そのマッカーシズムに真向から対決したCBS放送とキャスターのエド・マローの姿を捉えた一種の伝記映画である。
マローとCBSの報道関係者が自由と公正を真摯に求め狂信的な議員を失脚に追い込むまでのお話だが、チャールズ・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ジュールス・ダッシンなど赤狩りの犠牲になった映画人が少なくないので映画ファンなら赤狩りとマッカーシズム、上記三名の名前くらいは憶えておいた方が良いであろう。
さて本作の目的は、マッカーシズムにあらで、自由と公正の為に困難に立ち向かうジャーナリズムのあるべき姿を描くことである。
従って、赤狩りへの追及の甘さを指摘するのは的外れであり、彼らの土壌がTVであったので当時と同じモノクロ映像による、TV同様に寄りの映像がほぼ全編を占めている。これは挿入される当時のフィルムと違和感を持たせないという理由やTV局からカメラが殆ど出ないという理由もあるだろうが、当時の空気を再現するという狙いのほうが強そうだ。
映画に比べて寄りが多いTVは人物の心情を緻密に描くのに向いているのだが、本作のクロースアップは必ずしもそれが目的ではなく、緊張した表情を見せることで寧ろ強い緊迫感を醸成する手法として用いられている。
その手法で極まった緊迫感を弛緩する目的で、というよりは映画の緩の部分であることを示す為に局の別スタジオで収録中のジャズ・ボーカリスト(ダイアン・リーヴズ)の歌唱場面が挿入される。打合せ中と番組進行中の場面は全く音楽を使わず、かかる目的の為だけに音楽を用いるという手法は記憶になく、非常に感心させられた。
マローが番組を閉めるルーティンの言葉が映画のタイトルになっている「グッドナイト&グッドラック」なのだが、これが4年後の集会での占め言葉として使われるのも大変気が利いている。つまり、TVが娯楽と逃避に使われている21世紀の現状を風刺する仕掛けとなっている映画全体が彼の番組のように締めくくられる。全く上手いものである。
TVの商業主義による堕落は彼がマッカーシーを追い詰めた53~54年に既に胚胎していたことが示される挿話も考えさせられる。
マローを演じたデーヴィッド・ストラザーンが抜群。
2005年アメリカ映画 監督ジョージ・クルーニー
ネタバレあり
僕は目的と手法が合致した映画が大好きである。出演と共同脚本も兼ねているジョージ・クルーニーの二度目のメガフォンとなる本作は正にそうした作品の代表格と言って良い。
50年代前半アメリカに吹き荒れた上院議員ジョゼフ・マッカーシーによる赤狩りをテーマにしたのは「真実の瞬間(とき)」であるが、そのマッカーシズムに真向から対決したCBS放送とキャスターのエド・マローの姿を捉えた一種の伝記映画である。
マローとCBSの報道関係者が自由と公正を真摯に求め狂信的な議員を失脚に追い込むまでのお話だが、チャールズ・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ジュールス・ダッシンなど赤狩りの犠牲になった映画人が少なくないので映画ファンなら赤狩りとマッカーシズム、上記三名の名前くらいは憶えておいた方が良いであろう。
さて本作の目的は、マッカーシズムにあらで、自由と公正の為に困難に立ち向かうジャーナリズムのあるべき姿を描くことである。
従って、赤狩りへの追及の甘さを指摘するのは的外れであり、彼らの土壌がTVであったので当時と同じモノクロ映像による、TV同様に寄りの映像がほぼ全編を占めている。これは挿入される当時のフィルムと違和感を持たせないという理由やTV局からカメラが殆ど出ないという理由もあるだろうが、当時の空気を再現するという狙いのほうが強そうだ。
映画に比べて寄りが多いTVは人物の心情を緻密に描くのに向いているのだが、本作のクロースアップは必ずしもそれが目的ではなく、緊張した表情を見せることで寧ろ強い緊迫感を醸成する手法として用いられている。
その手法で極まった緊迫感を弛緩する目的で、というよりは映画の緩の部分であることを示す為に局の別スタジオで収録中のジャズ・ボーカリスト(ダイアン・リーヴズ)の歌唱場面が挿入される。打合せ中と番組進行中の場面は全く音楽を使わず、かかる目的の為だけに音楽を用いるという手法は記憶になく、非常に感心させられた。
マローが番組を閉めるルーティンの言葉が映画のタイトルになっている「グッドナイト&グッドラック」なのだが、これが4年後の集会での占め言葉として使われるのも大変気が利いている。つまり、TVが娯楽と逃避に使われている21世紀の現状を風刺する仕掛けとなっている映画全体が彼の番組のように締めくくられる。全く上手いものである。
TVの商業主義による堕落は彼がマッカーシーを追い詰めた53~54年に既に胚胎していたことが示される挿話も考えさせられる。
マローを演じたデーヴィッド・ストラザーンが抜群。
この記事へのコメント
めちゃくちゃほれました!
ジョージ・クルーニーはでばらずさりげなく出演しててそれも高感度大!です。あまり評判はよくなかったけれど、彼の監督デビュー作、「コンフェッション」もわたしはかなり好きです。
あれもゴングショーというテレビ番組を楽屋裏から見るようなところがあって、キャスターだったという父とテレビ局への子ども時代の特別なものが詰まっているのでしょうね。
とにかく男たちのかっこよさとジャズのサウンドトラックにしびれました。
>ストラザーン
本物に結構似ておりました。
似ている、いないというコメントは野暮ですが、
名演でしたね。
>クルーニー
最初は出演していないのかと思っておりました。^^;
>「コンフェッション」
体調不良の時に観たせいか、語る資格がないんです。^^;
「本格的な演出に感心した」としか当時のメモに残されていないんです。
>子ども時代の特別なもの
なるほど、本作と併せて観た後観るとまた違ったように見えるかもしれないなあ。
>サウンドトラック
本文に書いたように、音楽の使い方に感心しました。
最初の曲は初期のR&Bに通ずるものがありまして、
ジャズとR&Bの姻戚関係にも注目したのが音楽ファンとしての私です。
シンプルで的確でわかりやすい
“verse”として、名文ですね、プロフェッサー!^^
ジョージ・クルーニー!
ツボを心得た映画ゴコロとグッド・センスの持ち主!
と彼には太鼓判を押しますね、私は。
しゅべる&こぼるさん宅でも申しましたが、とにかく
私好みのタイプ映画、ド真ん中!でございます。
>かかる目的の為だけに音楽を用いるという手法は
記憶になく、非常に感心させられた。
全く、同感。
おもわず、スクリーンを前に、
やたら、にやつく私がいたはずですわ。(笑)♪
>名文
いや、どうも有難うございます。<(_ _)>
良い映画のように簡潔に行きたいとは思っていますが、
何しろ子供の頃から文章を書くのが苦手なもので
上手く行かずにめげる日々です。^^;
そもそも映画評を書き始めた理由が
文章を作る力を付ける為だったのですよ。
知って驚く新情報でしょ?(笑)
まさかそれが三十余年も続くことになるとは!
>ド真ん中!
モノクロというのが形が良く出ますし、
煙の表情など見事ですよね。
何年か後でも良いですから名文で一つやっつけて下さい。^^
>音楽
ええ、こういう使い方もあるんだなあと脱帽。
最初のR&B寄りの曲から音楽的にもご機嫌でしたね♪