映画評「リトル・ミス・サンシャイン」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2006年アメリカ映画 監督ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
ネタバレあり
全米で異例の大ヒットとなったというインディ映画。監督のジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス、脚本のマイケル・アーントは日本初登場なので、お手並み拝見と行きましょう。
アリゾナに住む9歳の少女オリーヴ(アビゲール・ブレスリン)が<リトル・ミス・サンシャイン>なる美少女コンテストへ出場が決まり、家族揃って千キロ以上も離れたカリフォルニアへおんぼろワンボックスカーで出かけることになって繰り広げる珍道中を描いているのだが、その珍道中の前に登場人物を紹介する必要がある。
父親(グレッグ・キネアー)は成功論提唱者で著書を販売しようと目論んでいるが現在資力は殆どなし。
祖父(アラン・アーキン)はヘロイン常用の助平爺さん、兄(ポール・ダノ)は航空学校に受かるまでは無言で通すと決めたニーチェ読者、母方の伯父(スティーヴ・カレル)は自称プルースト研究の第一人者だが、研究対象者同様に同性愛者で失恋した挙句に自殺未遂を起こして妹に引き取られたばかり。眼鏡姿が可愛らしいオリーヴちゃんは腹がぽこっと出ているので優勝は夢の夢。
そんな負け組でバラバラ状態の家族を何とかまとめているのは比較的バランスが取れている母親(トニ・コレット)。
しかし、おんぼろ車のクラッチが故障して途中から押しがけ(三速発進)で旅を続けることになり、次から次へと降りかかる災難に、出場手続の期限が迫ってくる。
21世紀になってアメリカ映画は家族再生映画のオンパレード、そのきっかけとなったのは9・11テロだと思っているが、インディ映画である本作も「LMS、お前もか」状態ではある。しかし、ありきたりのテーマもアングル次第と言うべし。
アングルの一つは成功と失敗という枠の中で家族を考えようとしたこと。
最初から失敗者として登場する伯父に続いて、成功論を提唱している父親も出版を拒否され、兄は色弱が判明して航空学校へ進めず、何とか会場に辿り着いたオリーヴちゃんもストリップまがいの踊りで顰蹙を買う。結局この家族は成功とは無縁で、脚本が誠に徹底している。アメリカ映画の家族再生は成功者と落伍者との間で行われることが多いから、これは立派な変化球である。
もう一つは壊れかけた自動車を<家族>の解り易いメタファーとして活用したことで、押しがけは家族一丸とならないとできない作業である。ずっこけの連続の中に家族の再生が徐々に形を成していく辺りが上手い。
そこにブラック・ユーモアが乗る。実は祖父は宿泊した翌朝死んでしまい、遺体はきちんとした手続きをしないと州越えができないので死体を奪って逃げ去る。これは典型だが、物を壊しまくって会場であるホテルにアクセスしたり、子供にストリップまがいを演じさせる、つまり軽犯罪的な行為を次々と繰り出すのもジャブ的なブラック・ユーモアである。
これを他人に迷惑を掛けるから怪しからんなどと言ってはこの手のコメディは楽しめない。映画は人間社会の現実を反映しなければならないが、現実に拘り過ぎるのは映画の観方を狭めるだけである。
「失敗は成功の元」「涙の後には虹が出る」「雨降って地固まる」・・・何でも良いが、この家族にも失敗を糧にいつか明るい日も訪れるだろう、と思わせる幕切れが仄々として大いに宜しい。
2006年アメリカ映画 監督ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
ネタバレあり
全米で異例の大ヒットとなったというインディ映画。監督のジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス、脚本のマイケル・アーントは日本初登場なので、お手並み拝見と行きましょう。
アリゾナに住む9歳の少女オリーヴ(アビゲール・ブレスリン)が<リトル・ミス・サンシャイン>なる美少女コンテストへ出場が決まり、家族揃って千キロ以上も離れたカリフォルニアへおんぼろワンボックスカーで出かけることになって繰り広げる珍道中を描いているのだが、その珍道中の前に登場人物を紹介する必要がある。
父親(グレッグ・キネアー)は成功論提唱者で著書を販売しようと目論んでいるが現在資力は殆どなし。
祖父(アラン・アーキン)はヘロイン常用の助平爺さん、兄(ポール・ダノ)は航空学校に受かるまでは無言で通すと決めたニーチェ読者、母方の伯父(スティーヴ・カレル)は自称プルースト研究の第一人者だが、研究対象者同様に同性愛者で失恋した挙句に自殺未遂を起こして妹に引き取られたばかり。眼鏡姿が可愛らしいオリーヴちゃんは腹がぽこっと出ているので優勝は夢の夢。
そんな負け組でバラバラ状態の家族を何とかまとめているのは比較的バランスが取れている母親(トニ・コレット)。
しかし、おんぼろ車のクラッチが故障して途中から押しがけ(三速発進)で旅を続けることになり、次から次へと降りかかる災難に、出場手続の期限が迫ってくる。
21世紀になってアメリカ映画は家族再生映画のオンパレード、そのきっかけとなったのは9・11テロだと思っているが、インディ映画である本作も「LMS、お前もか」状態ではある。しかし、ありきたりのテーマもアングル次第と言うべし。
アングルの一つは成功と失敗という枠の中で家族を考えようとしたこと。
最初から失敗者として登場する伯父に続いて、成功論を提唱している父親も出版を拒否され、兄は色弱が判明して航空学校へ進めず、何とか会場に辿り着いたオリーヴちゃんもストリップまがいの踊りで顰蹙を買う。結局この家族は成功とは無縁で、脚本が誠に徹底している。アメリカ映画の家族再生は成功者と落伍者との間で行われることが多いから、これは立派な変化球である。
もう一つは壊れかけた自動車を<家族>の解り易いメタファーとして活用したことで、押しがけは家族一丸とならないとできない作業である。ずっこけの連続の中に家族の再生が徐々に形を成していく辺りが上手い。
そこにブラック・ユーモアが乗る。実は祖父は宿泊した翌朝死んでしまい、遺体はきちんとした手続きをしないと州越えができないので死体を奪って逃げ去る。これは典型だが、物を壊しまくって会場であるホテルにアクセスしたり、子供にストリップまがいを演じさせる、つまり軽犯罪的な行為を次々と繰り出すのもジャブ的なブラック・ユーモアである。
これを他人に迷惑を掛けるから怪しからんなどと言ってはこの手のコメディは楽しめない。映画は人間社会の現実を反映しなければならないが、現実に拘り過ぎるのは映画の観方を狭めるだけである。
「失敗は成功の元」「涙の後には虹が出る」「雨降って地固まる」・・・何でも良いが、この家族にも失敗を糧にいつか明るい日も訪れるだろう、と思わせる幕切れが仄々として大いに宜しい。
この記事へのコメント
は、いいんですが・・・・
プロフェッサー、はたして、点数は?^^
なかなかオーソドックスめの
やんわ~りロードムーヴィーでしたでしょ?^^
本作以外のことのほうが
やたら長めの拙記事お持ちしました。^^
かの用心棒さんとお知り合いになれまして
たいへん嬉しゅうございました。
かけ橋となってくださったプロフェッサーに
あらためて感謝を!
拙宅で掲載させていただいた記事での
有意義なコメントにトムさんの元気な
文章が。
当方もすっかりご無沙汰ですが
トムさんは、最近、お元気なのかしら?
あれ?ぶーすかさんは?
>採点
ああ、やっちまいましたね。^^;
これは偏にVISTAが悪いんです。
自分で作った略語などが反映しないのを基本とするVISTAでは、サイトごとに反映するように設定できるのですが、結構気分屋で。
その日はたまたまパソコンが不機嫌でしてね。^^;
で、すっかり忘れていました(結局は自分が悪い)。
>用心棒さん
礼儀正しい彼からも、連絡がありました。
こちらも恐縮しております。
>トムさん
それが全く解りません。TT
用心棒さんと心配し合っているところです。
優一郎さんと同じ頃から音信不通になっているので、
実は同一人物だったのでは?などという
つまらないことを考えているのですが。
>ぶーすかさん
まだ本調子にはほど遠いようですが、お元気になられたようです。
近々コメントもあると思います。