映画評「ニュールンベルグ裁判」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1961年アメリカ映画 監督スタンリー・クレイマー
ネタバレあり
映画少年だった頃僕がご贔屓にしていたリチャード・ウィドマークが亡くなった。
93歳なので大往生であるし、一時代が終わったと言うには遅きに失するが、感慨を覚えないと言ったら嘘になる。彼を追悼するには50年代の「襲われた幌馬車」とか「太陽に向って走れ」といった中級作品が適当と思うがとても見ることが出来ないので、数日前に偶々BSで放映された本作を見ることにした。
製作者上がりのスタンリー・クレイマーの裁判映画の傑作だが、誤解してはいけないのはこれは実話ではないことである。一部事実に則った部分こそあれ、登場人物その他創作で、大胆にテーマを取り上げられるという長所を大いに利用している。
第二次大戦後、ドイツのニュールンベルクで国際軍事裁判が行われる。主席判事はスペンサー・トレイシーである。
検事である大佐ウィドマークは、戦前のドイツ法曹界で大きな業績を成しナチ政権時代に法務大臣を務めたバート・ランカスター以下4名の法関係者を訴追する。
僕が大胆と思ったのは軍関係者ではなく、法の実効者たる法律家を俎上に載せるというアイデアで、観客にも彼らはドイツの法に則って仕事をしただけではないかという疑問が湧く。
彼らを弁護するのは彼らの大後輩にあたる若いマクシミリアン・シェルで、ドイツの威厳を守る為になかなか巧妙に演説をぶつ。
序盤ドイツ語を英語に通訳するという形式で進むが、最初の大弁論を行うシェルをズームアップする途中でドイツ語が英語に変わる。通訳は省略しますという約束事をこうした明快な手法で行ったことは評価したい。ずっとそのままでは些か煩わしく、劇的興奮も停滞してしまったであろう。
裁判で争点となるのは各国で認められているという断種法と、アーリア人種と交わった他の民族は処罰されるというニュールンベルク法。この悪法を実施し、それに則って判決を下したことで彼らは裁かれるのだが、断種法絡みの証言者はモントゴメリー・クリフト、ニュールンベルク法絡みの証言者はジュディ・ガーランドである。
シェルはこの二人を恫喝せんばかりに責め上げるが、これに対し当の被告ランカスターがシェルに「君はまた(ナチスの悪夢を)繰り返すのか」と反論、自らの非を認める。
実際的に考えれば彼が自分の罪を積極的に認めるのは戦中の行為を考えると自己撞着的な感じがするが、僕はこの場面に本作の基調を成す真のテーマを見出した。
僕は国の威厳など個人の尊厳の前にはどうでも良いと思うので、シェルが如何に巧妙に論理を展開しようと同感はできず、やはりトレイシーの「国家の危機に際して真に必要なのは、正義と真実と人間の命の重さである」という言葉の方にぐっと来る。
当たり前なんて言う勿れ。ナチス・ドイツだけではなく、それができる国はないのだから。
そして、トレイシーはニュールンベルク法により一人のユダヤ人に有罪判決を下したことがホロコーストの始まりであるとして、法律の善なる実施者たるランカスターを断罪するのだ。
恐らく個の生命の尊重は時代を問わずアメリカ映画界にほぼ共通する認識であろうが、僕が感じ入ったのはそこではなく、映画が直接語っていない底流のテーマである。
トレイシーとランカスターは法律の実行者として同じくらい優れた人物と看做すことができるのにこうして裁く側と裁かれる側に分かれている。同時に裁判の最中にアメリカとソ連の間がきな臭くなり、判決がその行方を決定しかねないことが説明される。この部分では人類の底なしの愚かさが滲み出し、愚かなはずがないランカスターからは保身に走る人間の弱さが見い出せる。
どちらが良い悪い、強い弱いということではない。結局人間は愚かで弱いものだ、そしてそこに戦争の真の原因があるのだ、という作者の思いが底に流れているのである。
ウィドマークを追悼するには余りにも特殊な作品だが、性格俳優としての一面は十分に出ているので代表作と言って良いと思う。ご冥福を祈る。
1961年アメリカ映画 監督スタンリー・クレイマー
ネタバレあり
映画少年だった頃僕がご贔屓にしていたリチャード・ウィドマークが亡くなった。
93歳なので大往生であるし、一時代が終わったと言うには遅きに失するが、感慨を覚えないと言ったら嘘になる。彼を追悼するには50年代の「襲われた幌馬車」とか「太陽に向って走れ」といった中級作品が適当と思うがとても見ることが出来ないので、数日前に偶々BSで放映された本作を見ることにした。
製作者上がりのスタンリー・クレイマーの裁判映画の傑作だが、誤解してはいけないのはこれは実話ではないことである。一部事実に則った部分こそあれ、登場人物その他創作で、大胆にテーマを取り上げられるという長所を大いに利用している。
第二次大戦後、ドイツのニュールンベルクで国際軍事裁判が行われる。主席判事はスペンサー・トレイシーである。
検事である大佐ウィドマークは、戦前のドイツ法曹界で大きな業績を成しナチ政権時代に法務大臣を務めたバート・ランカスター以下4名の法関係者を訴追する。
僕が大胆と思ったのは軍関係者ではなく、法の実効者たる法律家を俎上に載せるというアイデアで、観客にも彼らはドイツの法に則って仕事をしただけではないかという疑問が湧く。
彼らを弁護するのは彼らの大後輩にあたる若いマクシミリアン・シェルで、ドイツの威厳を守る為になかなか巧妙に演説をぶつ。
序盤ドイツ語を英語に通訳するという形式で進むが、最初の大弁論を行うシェルをズームアップする途中でドイツ語が英語に変わる。通訳は省略しますという約束事をこうした明快な手法で行ったことは評価したい。ずっとそのままでは些か煩わしく、劇的興奮も停滞してしまったであろう。
裁判で争点となるのは各国で認められているという断種法と、アーリア人種と交わった他の民族は処罰されるというニュールンベルク法。この悪法を実施し、それに則って判決を下したことで彼らは裁かれるのだが、断種法絡みの証言者はモントゴメリー・クリフト、ニュールンベルク法絡みの証言者はジュディ・ガーランドである。
シェルはこの二人を恫喝せんばかりに責め上げるが、これに対し当の被告ランカスターがシェルに「君はまた(ナチスの悪夢を)繰り返すのか」と反論、自らの非を認める。
実際的に考えれば彼が自分の罪を積極的に認めるのは戦中の行為を考えると自己撞着的な感じがするが、僕はこの場面に本作の基調を成す真のテーマを見出した。
僕は国の威厳など個人の尊厳の前にはどうでも良いと思うので、シェルが如何に巧妙に論理を展開しようと同感はできず、やはりトレイシーの「国家の危機に際して真に必要なのは、正義と真実と人間の命の重さである」という言葉の方にぐっと来る。
当たり前なんて言う勿れ。ナチス・ドイツだけではなく、それができる国はないのだから。
そして、トレイシーはニュールンベルク法により一人のユダヤ人に有罪判決を下したことがホロコーストの始まりであるとして、法律の善なる実施者たるランカスターを断罪するのだ。
恐らく個の生命の尊重は時代を問わずアメリカ映画界にほぼ共通する認識であろうが、僕が感じ入ったのはそこではなく、映画が直接語っていない底流のテーマである。
トレイシーとランカスターは法律の実行者として同じくらい優れた人物と看做すことができるのにこうして裁く側と裁かれる側に分かれている。同時に裁判の最中にアメリカとソ連の間がきな臭くなり、判決がその行方を決定しかねないことが説明される。この部分では人類の底なしの愚かさが滲み出し、愚かなはずがないランカスターからは保身に走る人間の弱さが見い出せる。
どちらが良い悪い、強い弱いということではない。結局人間は愚かで弱いものだ、そしてそこに戦争の真の原因があるのだ、という作者の思いが底に流れているのである。
ウィドマークを追悼するには余りにも特殊な作品だが、性格俳優としての一面は十分に出ているので代表作と言って良いと思う。ご冥福を祈る。
この記事へのコメント
もちろん録画しましたが
私はまだ観ておりませんの。
楽しみに大事に、とってあるのです。^^
“何がなんでも「ニュールンベルグ裁判」を
観るぞっ、きょうは!”っていう気合いの日に
じっくり観たいと思っております。
>ウィドマーク
「刑事マディガン」は薄~く記憶に
ありますが「オリエント急行殺人事件」
での彼が印象深いですね。
男っぽさの中に何となく味わいが
ありましたね~この方。(合掌)
外見的に好みのシェル(^^)も
再見の折には、なめるように鑑賞
したいと。いと楽しみなり~♪(笑)
S・トレーシー、B・ランカスターも含めて
大人仕様のりっぱな、アメリカ映画ね。(拍手)
>結局人間は愚かで弱いものだ
そして、
先人の過去及び歴史に学ばないこと、甚だし・・・
カタチは違えど同じ轍を踏むばかり・・・
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>今日は観るぞ
そういう作品がありますよね。
観た作品でも重いテーマの作品、未見の作品では期待の作品。
今回はかなり充実した心理状態で観られたのではないかと
思うておりますが。
戦争が終って間もないのにまたきな臭くなってくる部分など、
何をやっているんだ、と思えてきます。
結局煎じつめれば、
生きる本能とは関係ない部分にある人間の愚かな所有欲が、
全ての喧嘩、抗争、戦争の原因です。
痴話喧嘩(嫉妬も人間を独占する欲求)も大戦争も全く
変わるものではないですよね。
これは、いつもはクッション枕に長々とよこになり観る時も多いのですが、これは、ちょっと厳粛な気持ちになって見てしまいますね。
>どちらが良い悪い、強い弱いということではない。結局人間は愚かで弱いものだ、そしてそこに戦争の真の原因があるのだ、という作者の思いが底に流れているのである。
このことが、裁判のやり取りの中で見えてくる。最後は言葉を失う。
何度観ても、重いというより、厳粛な気持ちになってしまいます。
5月の番組なんですけど
宮崎駿の一番弟子といわれる高坂希太郎の劇場用アニメ初監督作で、界3大自転車レースの1つ、ブエルタ・ア・エスパーニャに挑む自転車レーサーを描いた「茄子アンダルシアの夏」(191)5月20日(火)午後7:00~/(192)5月30日(金)午後5:00~
未見でしたら、もし時間あれば是非見てください。
くどくなってきた宮崎アニメ。ジブリとは関係ないのですが、これがアニメの原点だなって思えるいい作品です。時間が47分と短い分、劇場料金も半分でした。ちょっとオススメしたくって。
この作品は本当に素晴らしかったのですが、観賞した際には私が未熟で、一度観ただけでは物語から沁み出してくるテーマ全てを把握できませんでした。それほど奥深いものを感じさせてくれる映画でしたよね。
>結局人間は愚かで弱いものだ、そしてそこに戦争の真の原因があるのだ、
そうですね、結局は全てがこれに行き着くと思います。
しかし個人的には、ジュディ・ガーランドとモンゴメリー・クリフトの変貌振りにショックを受けたというトラウマもあり…(^^ゞ。
>長々とよこになり
これをやると大概寝てしまいます、僕の場合。^^;
本作にそんな態度は取れませんね。
ナチス絡みのものは、どの作品を見ても考えさせられますよ。
本作も表面的にはやはりナチス批判ですが、作者がこっそり人類全体への批判をまぶした部分に気付いてほしいです。
>茄子アンダルシアの夏
以前「自転車の活躍する映画」で教えてもらいましたね。
必ず見るようにします。メモメモ。(笑)
>奥深いもの
表面上のテーマは勿論ナチス批判なのですが、法律関係者を裁くというのは、モルモットとして人間を俎上に載せる典型と言って良いでしょうね。
ましてランカスターは判決はともかく善意の人ですから、難しい問題を含んでいます。
豪華キャストで娯楽的にもメリハリを付けて上手く作られていますが、その間僕はランカスターの保身ばかりを考えていました。しかし、彼の弱さは我々は非難できない。恐らくトレイシーも立場が逆だったら同じことをしたかもしれない、と思わざるを得ないのでした。
>ガーランド
随分お太りになって・・・童顔だけにバランスが悪い変わりようでしたよね。僅か8年後にお亡くなりになる。
>クリフト
彼は交通事故の怪我で顔のイメージが変わったんですね。
本作の愚鈍演技はなかなか凄いものがありましたけど。
彼も確か5年後の僕の誕生日(!)に亡くなっています。
TBもってきました。
>やはり重い。
娯楽映画的に作ろうとしている部分もありますが、基調にあるのが人間そのものですから、気軽に観られる作品ではないですね。
コメント、有難うございます。
いちごさんの記事も大変充実していますね。勉強になりました。