映画評「手紙」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・生野慈朗
ネタバレあり
「秘密」「レイクサイド マーダーケース」となかなか面白い映画化作品のある東野圭吾の同名小説の映画化。監督はTV畑の生野(しょうの)慈朗。
兄・玉山鉄二が空き巣の末の過失致死なのに強盗殺人犯として無期懲役に附された為に大学進学を諦めリサイクル工場に勤め始めた山田孝之が兄の事が伝わり会社を辞め、親友の尾上寛之と始めた漫才で人気が出てきても結局ネットで暴露されてコンビを解散する羽目になる。
付き合ってきた重役令嬢・吹石一恵との恋に破れ、新たに勤め始めた電気店でも成績優秀なのに倉庫管理に左遷させられるのだが、自暴自棄になりかけた時会長・杉浦直樹から温かくも厳しく叱咤激励される。背後で工場時代の知人・沢尻エリカが懸命に彼を支えようとしていたのである。
加害者の権利ばかり訴えられてきたのがここへ来て被害者及び被害者家族の権利が向上しつつあるが、その一方で忘れられがちな加害者家族の生活に目を向けたのが頗る新鮮である。但し、差別されて自暴自棄になっていくという前半の展開は定石的で目新しさがない。吹石一恵が重役令嬢という設定も疑問で、エリートと非エリートの対立という要素が出てくるので犯罪者の家族である故の差別が曖昧になってしまう。
しかし、会長が出てくる辺りから映画は考えさせられる命題を次々と打ち出し、深みを増す。残した家族に及ぼす影響も犯罪者の罪である(同時に罰であるだろう)という考え方はその一つである。
しかし、映画が最終的に目を向ける「人間は臆病で愚かである」という主張こそその最たるもので、何故主人公は現状を正視できないのかという僕の疑問に答える展開になっていく。
具体的には、彼は兄との手紙のやり取りを止め、兄に彼と家族の前から永久に姿を消すように願う。それは根柢の部分で彼の苦悩を解消しないはずで、それに気付かせると同時に勇気を奮い起させる<事件>に遭遇、彼は兄の服役する刑務所を慰問するのだ。
主人公が身を隠すように生きながらTVにその身を晒す漫才をやろうとするのは矛盾だが、一種の実験的設定と考えれば大した問題とは言えず、その漫才が抜群の効果を発揮する終盤の展開では公園で遊ぶ娘とのカットバックと併せてホロリとさせられる。
社会派的な側面もあるが、人間という脆弱なる生き物をじっくり見せたことこを僕は評価したい。「こんなのは社会派ではない」と批判する人は的を射ているが、価値を判断する上で勘違いをしている。単なる社会派作品より人間そのものを見せる作品の方が一段高尚であるはずである。
また、「映像で説明できることを台詞で説明している」とした上で酷評する人を見かけた。原則としてはその通りで、僕も度々「説明過多」を理由に批判するが、最近よく見かけるこの手の御仁は恐らく解っていない、映像で説明できることを敢えて台詞にする必要のある場合もあることを、そして台詞の絶対量でその価値を判断することができないことを。
由紀さおりの「手紙」は名曲と思う今日この頃。
2006年日本映画 監督・生野慈朗
ネタバレあり
「秘密」「レイクサイド マーダーケース」となかなか面白い映画化作品のある東野圭吾の同名小説の映画化。監督はTV畑の生野(しょうの)慈朗。
兄・玉山鉄二が空き巣の末の過失致死なのに強盗殺人犯として無期懲役に附された為に大学進学を諦めリサイクル工場に勤め始めた山田孝之が兄の事が伝わり会社を辞め、親友の尾上寛之と始めた漫才で人気が出てきても結局ネットで暴露されてコンビを解散する羽目になる。
付き合ってきた重役令嬢・吹石一恵との恋に破れ、新たに勤め始めた電気店でも成績優秀なのに倉庫管理に左遷させられるのだが、自暴自棄になりかけた時会長・杉浦直樹から温かくも厳しく叱咤激励される。背後で工場時代の知人・沢尻エリカが懸命に彼を支えようとしていたのである。
加害者の権利ばかり訴えられてきたのがここへ来て被害者及び被害者家族の権利が向上しつつあるが、その一方で忘れられがちな加害者家族の生活に目を向けたのが頗る新鮮である。但し、差別されて自暴自棄になっていくという前半の展開は定石的で目新しさがない。吹石一恵が重役令嬢という設定も疑問で、エリートと非エリートの対立という要素が出てくるので犯罪者の家族である故の差別が曖昧になってしまう。
しかし、会長が出てくる辺りから映画は考えさせられる命題を次々と打ち出し、深みを増す。残した家族に及ぼす影響も犯罪者の罪である(同時に罰であるだろう)という考え方はその一つである。
しかし、映画が最終的に目を向ける「人間は臆病で愚かである」という主張こそその最たるもので、何故主人公は現状を正視できないのかという僕の疑問に答える展開になっていく。
具体的には、彼は兄との手紙のやり取りを止め、兄に彼と家族の前から永久に姿を消すように願う。それは根柢の部分で彼の苦悩を解消しないはずで、それに気付かせると同時に勇気を奮い起させる<事件>に遭遇、彼は兄の服役する刑務所を慰問するのだ。
主人公が身を隠すように生きながらTVにその身を晒す漫才をやろうとするのは矛盾だが、一種の実験的設定と考えれば大した問題とは言えず、その漫才が抜群の効果を発揮する終盤の展開では公園で遊ぶ娘とのカットバックと併せてホロリとさせられる。
社会派的な側面もあるが、人間という脆弱なる生き物をじっくり見せたことこを僕は評価したい。「こんなのは社会派ではない」と批判する人は的を射ているが、価値を判断する上で勘違いをしている。単なる社会派作品より人間そのものを見せる作品の方が一段高尚であるはずである。
また、「映像で説明できることを台詞で説明している」とした上で酷評する人を見かけた。原則としてはその通りで、僕も度々「説明過多」を理由に批判するが、最近よく見かけるこの手の御仁は恐らく解っていない、映像で説明できることを敢えて台詞にする必要のある場合もあることを、そして台詞の絶対量でその価値を判断することができないことを。
由紀さおりの「手紙」は名曲と思う今日この頃。
この記事へのコメント
吹石演じる重役令嬢とのやりとりはイライラしましたけどね。
個人的な思い入れもあって、感情移入してみた作品でした。
>吹石
意図的なああいう「いかにも」という人物像を彫琢したのなら大したものですが、やはり結果的にああいう型にはまったんでしょう。
あの辺りは台詞も黴の生えそうなものが多くて苦笑しましたね。
しかし、酷評する人はその部分を必要以上に責め立て針小棒大に語っているのが気になりました。
その点、kimionさんの採点とコメントのバランスはブログ界切っても断然光っていますね。