映画評「絶対の愛」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年韓国=日本映画 監督キム・ギドク
ネタバレあり
キム・ギドクは迸るアイデアに任せて次々と人間を実験台に乗せる。今まで観た作品の中で凡庸なアイデアは一つもない。しかし、近作「うつせみ」「弓」は衝撃を覚えるほどではなかった。本作はどうか。
セヒ(パク・チヨン)が愛する男性ジウ(ハ・ジョンウ)に飽きられるのを恐れる余り姿をくらまして整形、スェヒと名乗る(ソン・ヒョナ)。半年後彼が彼女と知り合う頃その事実を知るのはセヒ本人だけだが、観客にも凡その見当は付いている。
整形手術が日本より遙かに行われていると言われる韓国の現実を背景にして、顔を変えれば別人になれるか、それによって永遠の愛が生まれるのか、という命題を与えているが、前半に関しては【才人才に溺れる】印象があって手詰まり気味である。
異様に嫉妬深いセヒのような女性は相手がどう反応しても満足しないのは目に見えているからで、スェヒとしてはジウがセヒを愛していると言えば妬き、本来のセヒとしてはスェヒを愛するようになった彼が許せず遂に真相を告白する、という展開では全然感興が湧かない。構成上も、ジウがちょっかいを出そうとした女性が何者かに襲われ、スェヒと付き合っても何も起こらない、という布石くらいでは通俗的で全くギドクらしい閃きがないではないか。
ところが、その辺りからギドクらしさの片鱗が徐々に出てくる。彼女が昔の写真を拡大して仮面にして町を歩く場面も異常なら、ジウが姿を消してセヒと同じ行動に出るという展開も予想しにくい。
彼女は、曰くのある喫茶店や思い出のある海浜の公園に出かけては懸命に彼を探し求めるが、それらしい人物は尽く別人で、彼女から逃げ出したジウらしい男が交通事故に遭う(恐らく死亡)と、再び顔を変える(元に戻す、と解釈するのが妥当。但し、技術的には元の顔には戻せないことは医師が序盤で告げている。しかし、それに拘る必要はない)。
本作は、死んだ男の正体を明かすことなくヒロインが永久の迷路に入り込んだところで終るのだが、その為の仕掛けはギドグならではと言うしかあるまい。つまり、整形を終えたたばかりの女(シェヒ)とセヒがぶつかるプロローグをエピローグとして繰り返すのである。
同一人物がぶつかるという現象は実際にはありえないが観念の世界では十分ありうるわけで、即ち、メビウスの帯のように表も裏もなく(同時に交錯しながら)、同じ時間(原題はTime)を繰り返す不毛な迷路に彼女は入ってしまうのだ。結局絶対的な愛を求めてもがき苦しむ者が背負わされる宿命なのか。
ギドクが旧作「春夏秋冬そして春」で描いた輪廻に通ずるものがあるが、同じ輪廻でも解り易さでは天と地くらい違う。僕は勿論解り易い方が好きなのだ。
2006年韓国=日本映画 監督キム・ギドク
ネタバレあり
キム・ギドクは迸るアイデアに任せて次々と人間を実験台に乗せる。今まで観た作品の中で凡庸なアイデアは一つもない。しかし、近作「うつせみ」「弓」は衝撃を覚えるほどではなかった。本作はどうか。
セヒ(パク・チヨン)が愛する男性ジウ(ハ・ジョンウ)に飽きられるのを恐れる余り姿をくらまして整形、スェヒと名乗る(ソン・ヒョナ)。半年後彼が彼女と知り合う頃その事実を知るのはセヒ本人だけだが、観客にも凡その見当は付いている。
整形手術が日本より遙かに行われていると言われる韓国の現実を背景にして、顔を変えれば別人になれるか、それによって永遠の愛が生まれるのか、という命題を与えているが、前半に関しては【才人才に溺れる】印象があって手詰まり気味である。
異様に嫉妬深いセヒのような女性は相手がどう反応しても満足しないのは目に見えているからで、スェヒとしてはジウがセヒを愛していると言えば妬き、本来のセヒとしてはスェヒを愛するようになった彼が許せず遂に真相を告白する、という展開では全然感興が湧かない。構成上も、ジウがちょっかいを出そうとした女性が何者かに襲われ、スェヒと付き合っても何も起こらない、という布石くらいでは通俗的で全くギドクらしい閃きがないではないか。
ところが、その辺りからギドクらしさの片鱗が徐々に出てくる。彼女が昔の写真を拡大して仮面にして町を歩く場面も異常なら、ジウが姿を消してセヒと同じ行動に出るという展開も予想しにくい。
彼女は、曰くのある喫茶店や思い出のある海浜の公園に出かけては懸命に彼を探し求めるが、それらしい人物は尽く別人で、彼女から逃げ出したジウらしい男が交通事故に遭う(恐らく死亡)と、再び顔を変える(元に戻す、と解釈するのが妥当。但し、技術的には元の顔には戻せないことは医師が序盤で告げている。しかし、それに拘る必要はない)。
本作は、死んだ男の正体を明かすことなくヒロインが永久の迷路に入り込んだところで終るのだが、その為の仕掛けはギドグならではと言うしかあるまい。つまり、整形を終えたたばかりの女(シェヒ)とセヒがぶつかるプロローグをエピローグとして繰り返すのである。
同一人物がぶつかるという現象は実際にはありえないが観念の世界では十分ありうるわけで、即ち、メビウスの帯のように表も裏もなく(同時に交錯しながら)、同じ時間(原題はTime)を繰り返す不毛な迷路に彼女は入ってしまうのだ。結局絶対的な愛を求めてもがき苦しむ者が背負わされる宿命なのか。
ギドクが旧作「春夏秋冬そして春」で描いた輪廻に通ずるものがあるが、同じ輪廻でも解り易さでは天と地くらい違う。僕は勿論解り易い方が好きなのだ。
この記事へのコメント
間に“異形げな”もの(笑)をちりばめ
ました拙記事、TBさせていただきました。
「うつせみ」にはかすかに残っていた
ギドク世界の独特の映画的酩酊感が
本作には私まったく感じられませんでしたの。
前半部なんて、ヒドイもんですわ。(--)
ギドクしゃん!
あんたはもうチカラ尽きたの?
プロフェッサー、ごめんなさい。
本作への正直な私の感想でございます。
ど~~~んっとお話変って^^
トムさん復帰ねっ!♪♪♪
さきほど拙宅の「愛を乞うひと」記事に
寄ってくださいました!
良かったね~~プロフェッサー!
北海道勢、あとの気がかりは、
あの方だけだわ。^^
いやいや、僕もがっかりした口です。
前半は三文ドラマみたい。
最後の観念的な部分を一応面白がりましたが、そもそもギドクに惹かれるのは物凄い発想と我々実生活との接点。
それが「うつせみ」「弓」でかなり観念の世界で魅せる印象が出始め、本作では通俗からいきなり観念へと飛んでしまう。結局現実部分が「悪い男」みたいに見ごたえがないんですよね。
>トムさん
こちらにも寄って戴きました。
ご自宅での発言に気になるところがありますが、
ひとまず安堵しました。^^
あの方ねえ、どうしちゃったんでしょ。
テーマ設定があれば、構図と色合いをさっと思い浮かべ、考えるまもなく、早撮りをしちゃうんでしょうね。予算以外のことで、あんまり苦しんだり、考え込んだりしない方だと思います。ある面では、天才的です。
>絵描きの資質
確かに。
「春夏秋冬そして春」などに見る構図、本作の赤の使い方など、素晴らしいですね。
>天才的
着想も天才的です。
本作は現実に照らした部分が、僕には、物足りなかったですが。