映画評「ルワンダの涙」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2005年イギリス=ドイツ映画 監督マイケル・ケイトン=ジョーンズ
ネタバレあり
「ホテル・ルワンダ」と全く同じ素材だけに後から公開されるこちらは相当不利なわけだが、僕はこちらのほうを高く評価したい。
映画を見ただけでは解りにくい背景を少し説明致しましょう。
独立(1962年)前のルワンダでは少数派ツチ族がフツ族を長い間支配するが、1973年フツ族のクーデターでその支配関係が逆転、94年大統領がテロと思われる飛行機事故で死亡する。映画はそこから始まる。
94年、英国のクリストファー神父(ジョン・ハート)が運営する公立技術学校に英国人青年ジョー(ヒュー・ダンシー)が赴任した直後に、大統領機が墜落したことから軍部を発端としてツチ族の逆襲を恐れるフツ族の集団ヒステリーによる虐殺が勃発、生徒の家族を含めたツチ族が学校に避難してくる。ベルギー兵から成る国連軍が駐留していたからだが、彼らは自衛隊と同じく専守防衛なので生ぬるさが目立ち、耐えきれず学校を去ろうとしたツチ族が待ち構えるフツ族の鉈(なた)に倒れるのを見守るしかない。人肉を食らう野良犬に発砲する(原題)ことはできても、フツ族を威嚇射撃する権利すら彼らは持っていないのだ。
途中で応援に来たフランス軍は白人だけを救出して去り、間もなく国連軍も抑制力を僅かに見せただけで避難民を放置して退散、ジョーも一緒に去る。神父は子供たち十数名を救ってフツ族の知人に射殺される。
「ホテル・ルワンダ」がツチ族の妻を抱えたフツ族の主人公を偉人に扱い過ぎて個人的なお話に収斂していく印象を覚えたのに対し、本作は神父とリベラルな青年という白人の目を通しながら観照性が極めて高い。
本作の基調は、ベルギー軍に象徴される白人の無力さであり、国連での問答に見る白人の偽善である。
それに対し青年は偽善的ではないが、死の恐怖に打ち勝てない弱くて無力なごく当たり前の人物である。後に「死ぬのが怖かったのだ」と告げる青年の素直さが印象深い。
無力さに悩みを深めていく神父はさすがに聖職者で生命より大事なもの(聖職者にとっては神である)をその場所に発見し、理不尽な凶弾に倒れていく。大きな力にはなりえないが、頗る誠実な姿と言わねばなるまい。英雄的行為であるものの彼は所謂ヒーローではなく、死んで人の道を示すのだ。最後に英国に渡るツチ族の少女には国連軍よりも力強く、かつ、人間不信を回避せしめた大恩人であろう。開巻直後にグラウンドを、終幕直前に灌木地帯を走る少女の姿を対称的に配置したのも映画的に上手い。
同じ実話ベースでも、昨日の「輝く夜明けに向かって」は娯楽性とドキュメンタリー性の間で態度を決し切れずなまなかな印象ばかりが残ったのに比べ、こちらは娯楽性より観照的であることに徹し、華美さの代りに誠実さがある。「キリング・フィールド」ほどのインパクトはないが、ことさら残酷味から恐怖を煽らない作風に好感が持てる。映画を表面的にしか観ない人はこの映画が間接的に醸成した恐怖を味わうことはあるまい。昨日は友人として接していた人間の豹変に見るように、事件の根源が人間の残虐性ではなく弱さにあるからである。
2005年イギリス=ドイツ映画 監督マイケル・ケイトン=ジョーンズ
ネタバレあり
「ホテル・ルワンダ」と全く同じ素材だけに後から公開されるこちらは相当不利なわけだが、僕はこちらのほうを高く評価したい。
映画を見ただけでは解りにくい背景を少し説明致しましょう。
独立(1962年)前のルワンダでは少数派ツチ族がフツ族を長い間支配するが、1973年フツ族のクーデターでその支配関係が逆転、94年大統領がテロと思われる飛行機事故で死亡する。映画はそこから始まる。
94年、英国のクリストファー神父(ジョン・ハート)が運営する公立技術学校に英国人青年ジョー(ヒュー・ダンシー)が赴任した直後に、大統領機が墜落したことから軍部を発端としてツチ族の逆襲を恐れるフツ族の集団ヒステリーによる虐殺が勃発、生徒の家族を含めたツチ族が学校に避難してくる。ベルギー兵から成る国連軍が駐留していたからだが、彼らは自衛隊と同じく専守防衛なので生ぬるさが目立ち、耐えきれず学校を去ろうとしたツチ族が待ち構えるフツ族の鉈(なた)に倒れるのを見守るしかない。人肉を食らう野良犬に発砲する(原題)ことはできても、フツ族を威嚇射撃する権利すら彼らは持っていないのだ。
途中で応援に来たフランス軍は白人だけを救出して去り、間もなく国連軍も抑制力を僅かに見せただけで避難民を放置して退散、ジョーも一緒に去る。神父は子供たち十数名を救ってフツ族の知人に射殺される。
「ホテル・ルワンダ」がツチ族の妻を抱えたフツ族の主人公を偉人に扱い過ぎて個人的なお話に収斂していく印象を覚えたのに対し、本作は神父とリベラルな青年という白人の目を通しながら観照性が極めて高い。
本作の基調は、ベルギー軍に象徴される白人の無力さであり、国連での問答に見る白人の偽善である。
それに対し青年は偽善的ではないが、死の恐怖に打ち勝てない弱くて無力なごく当たり前の人物である。後に「死ぬのが怖かったのだ」と告げる青年の素直さが印象深い。
無力さに悩みを深めていく神父はさすがに聖職者で生命より大事なもの(聖職者にとっては神である)をその場所に発見し、理不尽な凶弾に倒れていく。大きな力にはなりえないが、頗る誠実な姿と言わねばなるまい。英雄的行為であるものの彼は所謂ヒーローではなく、死んで人の道を示すのだ。最後に英国に渡るツチ族の少女には国連軍よりも力強く、かつ、人間不信を回避せしめた大恩人であろう。開巻直後にグラウンドを、終幕直前に灌木地帯を走る少女の姿を対称的に配置したのも映画的に上手い。
同じ実話ベースでも、昨日の「輝く夜明けに向かって」は娯楽性とドキュメンタリー性の間で態度を決し切れずなまなかな印象ばかりが残ったのに比べ、こちらは娯楽性より観照的であることに徹し、華美さの代りに誠実さがある。「キリング・フィールド」ほどのインパクトはないが、ことさら残酷味から恐怖を煽らない作風に好感が持てる。映画を表面的にしか観ない人はこの映画が間接的に醸成した恐怖を味わうことはあるまい。昨日は友人として接していた人間の豹変に見るように、事件の根源が人間の残虐性ではなく弱さにあるからである。
この記事へのコメント
「ホテル・ルワンダ」をみて、その記憶が残っている時に公開され、やはり結局は何もできえないこと、そういうアフリカの現状をみるのが辛くて、みるのをやめた映画なのですが、映画作品としては「ホテル・ルワンダ」よりも見ごたえある作品のようですね。
ありがとうございます。本作観てみます。
片方でお気楽ご気楽映画がある一方で、世界の現状を描いたこんな作品、いいのは分かるけれど、もう観るのは辛いなっていう映画も多い。世界が動いているし、マスメディアの発展で、こうやって映画という媒体を通して世界を見れるのはありがたいけれど、人間が引き起こしたことだけれど、人間の手で収束できないということ。人間の無力さ、業を見せつけられるのも辛い。
わたしもこの作品気になってるんですよ。
「ホテルルワンダ」をほうふつとさせるタイトルなんで後回しにしてしまいそうでした。8点と高評価ですね。
ヒュー・ダンシー!こないだ劇場で観た「いつか眠りにつく前に」でメインをおしのけて結構光ってましたの。
上でシュエットさんがおっしゃってるけど、>いいのは分かるけれど、もう観るのは辛いなっていう映画も多い。
ですよね~。そんなときただ観てるだけの自分がとても無力に思えるのも同じですね。
でもやっぱり知っておかなければという気持ちのほうが勝つこともありますね。わたしもこのところ、核や原爆、アウシュビッツなどのドキュメンタリーが続いていて、本当に圧倒されちゃって・・・凹みますね~。
(><)
そんなときに大映とか松竹のいきおいのあったときの映画なんかみるとなぜかなごむんですよね(^^)
しゅべる&こぼるさんも私も結構ここんとこ重い作品みているんだよね。
しゅべる&こぼるさん!でも頑張ってみましょう! やっぱり知らないとみないといけないと思う。みるだけしかできないけど、見るだけでもこんな事実があるってこと、私も含め人間って無力で弱いんんだってこと思い知らないといけないなって思う。今日WOWOWの6月の番組表とどいてみたら8日に放映。
ある意味大変地味な作風ですね。
とても「氷の微笑2」を撮った人とは思えない。^^
尤もあの作品は世評ほどひどい作品ではないですけど・・・
どちらにしてもあのような娯楽性の高い作品の前に(後かな?)こんな生真面目な作品を作っていたとは!
世の中で作られる人間の三分の一くらいは人間の弱さを描いたものでしょう。本作の事実上の語り部(本当は少しも語っていない)である白人青年の弱さもフツ族の弱さも同時に語られる。フツ族の場合は集団ヒステリーという狂気に変わってしまいましたが、長い人類の歴史では何回もあったことですね。
しかし、あの小さな国で100万人も殺されたというのだから声を失いますね。カンボジアの200万人もひどいですが。
>8点
誠実さに惹かれました。^^
>ただ観てるだけの自分がとても無力に思えるのも同じですね。
シュエットさんも仰っていますが、知ることができる日本にいるのだあら、知るだけでも大事なことだと思いますよ。
本作の国連軍のようにいるだけで何にもできないケースもあるわけですし、人間の種々の要素を見るのも勉強になるでしょう。
>大映とか松竹のいきおいのあったときの映画
良いですねえ。^^)v
僕は東宝も好きです。^^