映画評「一番美しく」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1944年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明第2作は、恐らく最も国策映画の作られた1944年製作ということもあって国策映画(戦意高揚映画)である。いつ頃そうなったのか定かではないが、戦中作られた映画は、内容を問わずタイトルの前に「撃ちてし止まむ」の文字を入れることになっていた。
舞台は正にその時代、平塚のレンズ工場で、女子挺身隊として全国から集められた少女たちがお国の為に懸命に働いている。増産期間で「男子は倍増、女子は5割増し」の指令が下った時彼女たちは猛反発する。もっと行けるというのである。結局男子の三分の二という数字に落ち着き、隊長の矢口陽子は緩みがちな女子隊員たちの手綱を締め目標達成に突き進む。レンズは照準器として武器に使われ、その成否により戦局も変わりかねない・・・
お話の構成は、国策的な配慮を別にすれば60~70年代のスポーツ根性絡みの青春ドラマと何ら変わらず、或るいはお手本になったと思われる出来栄えである。
病気で帰郷する者が出てくれば別れを惜しみ一致団結、成績も上がるが、不協和音が生じると成績も落ちてくる。成績の変化は随時挿入される折れ線グラフで示され、協調性を象徴するバレーボールや鼓笛隊の場面と効果的に組み合されている。
屋根から落ちて怪我をした隊員が戻ってくるのを迎える場面で二組が踏み切りを挟んで相対するショットも青春映画らしく溌剌とした魅力爆発。
ここに描かれている少女たちは当時としても心ある方には恐らく不自然と思われたに違いないほど自身を国に捧げている。そう作らざるを得ないほど検閲が厳しかったのであろう。また、工場の実態はこれほど隊員たちには優しなかったはずだ。
国を思い両親を思う彼女たちの心は見上げたものだが、忠孝の精神を戦争に利用した当局のおためごかしは頗る醜く、それが露骨に現れる国策映画は大嫌いである。が、のびのびと作られ、国策映画としては珍しく爽やかな後味を残すのは黒澤の才能によるところが大きい。この辺りに彼の反骨精神を感じるのは僕だけではあるまい。
そして、本作は最近では珍しくなくなったセミ・ドキュメンタリーの手法で撮られ、女工を演ずる女優達は実際に寮で生活を共にし、工場で働いたという。彼女たちの喜怒哀楽の表現がリアルなのはその連帯感のたまものということになる。
1年後に黒澤明夫人となった主演の矢口陽子は戦中の薬師丸ひろ子か(笑)。
1944年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明第2作は、恐らく最も国策映画の作られた1944年製作ということもあって国策映画(戦意高揚映画)である。いつ頃そうなったのか定かではないが、戦中作られた映画は、内容を問わずタイトルの前に「撃ちてし止まむ」の文字を入れることになっていた。
舞台は正にその時代、平塚のレンズ工場で、女子挺身隊として全国から集められた少女たちがお国の為に懸命に働いている。増産期間で「男子は倍増、女子は5割増し」の指令が下った時彼女たちは猛反発する。もっと行けるというのである。結局男子の三分の二という数字に落ち着き、隊長の矢口陽子は緩みがちな女子隊員たちの手綱を締め目標達成に突き進む。レンズは照準器として武器に使われ、その成否により戦局も変わりかねない・・・
お話の構成は、国策的な配慮を別にすれば60~70年代のスポーツ根性絡みの青春ドラマと何ら変わらず、或るいはお手本になったと思われる出来栄えである。
病気で帰郷する者が出てくれば別れを惜しみ一致団結、成績も上がるが、不協和音が生じると成績も落ちてくる。成績の変化は随時挿入される折れ線グラフで示され、協調性を象徴するバレーボールや鼓笛隊の場面と効果的に組み合されている。
屋根から落ちて怪我をした隊員が戻ってくるのを迎える場面で二組が踏み切りを挟んで相対するショットも青春映画らしく溌剌とした魅力爆発。
ここに描かれている少女たちは当時としても心ある方には恐らく不自然と思われたに違いないほど自身を国に捧げている。そう作らざるを得ないほど検閲が厳しかったのであろう。また、工場の実態はこれほど隊員たちには優しなかったはずだ。
国を思い両親を思う彼女たちの心は見上げたものだが、忠孝の精神を戦争に利用した当局のおためごかしは頗る醜く、それが露骨に現れる国策映画は大嫌いである。が、のびのびと作られ、国策映画としては珍しく爽やかな後味を残すのは黒澤の才能によるところが大きい。この辺りに彼の反骨精神を感じるのは僕だけではあるまい。
そして、本作は最近では珍しくなくなったセミ・ドキュメンタリーの手法で撮られ、女工を演ずる女優達は実際に寮で生活を共にし、工場で働いたという。彼女たちの喜怒哀楽の表現がリアルなのはその連帯感のたまものということになる。
1年後に黒澤明夫人となった主演の矢口陽子は戦中の薬師丸ひろ子か(笑)。
この記事へのコメント
『笑の大学』での検閲は楽しさもありましたが、実際のそれはかなり高圧的だったでしょうね。
役人やら軍人やら、国家権力を背後に持って、制服を着る人々は今も昔もひどいのでしょうが、昔の方がよりひどそうですね。よく「昔は良かった!」とか言う人がいますが、あれっておかしいのではないかと思います。暮らし向きで言えば間違いなく昔より今のほうが豊かでしょう。昔の方が豊かだったのは自然と人情でしょうね。
寅さんシリーズを観ても、まったく心に響かない世代が現れだすと、日本も終わりかなあ、と憂鬱になりますよ。ではまた!
>「笑の大学」
あの検閲官も嫌らしいことは嫌らしかったですけどね。実際はずっとひどいものだったでしょう。
>昔の方が豊かだったのは自然と人情
That's right!
しかし、映画も音楽も食糧も溢れると、却って有難味がないという感想を僕は持っています。
例えば、良い映画を見た時の感激度が、苦労したり、やっと観た時代とは大分違うんですよね。
或いは小学生時代1年に1本しか買って貰えなかったコーヒー牛乳の美味さ! 子供たちには絶対解らんと思いますね。
>寅さんシリーズ
赤ん坊時代に甘やかされた現在の若者たちは相手の気持ちを洞察することを苦手にしている人が多くて、ブロガーはそうでもないですが、投稿サイトに寄せられるコメントには登場人物の心情が解らない人が目立ちます。寅さんも解らないかもしれませんね。心理が細やかに交錯するドラマですから。
そんな時代ですから、人との交流の中で妙な衝突も多いわけですね。
>交流の中で妙な衝突
衝突するだけましかもしれませんよ。コミュニケーション自体を避ける者も増えているような気がします。
俺様的というか、自分が判らないことでも誰にも聞かずに幅の狭い知識の中から無理やり対応しようとする者が多いように感じます。結果、問題が大きくなっても、自分の責任とは思わずに上司や他人のせいにする。
日常的な光景です。迷惑はかけ放題だが、絶対に謝らないし、反省もしない。伸びるわけないですよ。そのくせ何故かどこから来るのか分からない妙なプライドと変な諦めを伴う上から目線でしゃべる。
それがジェネレーション・ギャップなんでしょうかね。寅さんを理解できない日本人が多数派になる世の中は怖いですが…。ではまた!
>日常的な光景です。
実感がこもっていますねえ。
用心棒さんも中間的な立場で苦労されているのが伺えます。
>コミュニケーション自体を避ける
人間的に最も向上しないタイプですね。
その癖そういうのに限って仲間外れになるのが嫌いなんですな。半疑問、語尾伸ばし、「~じゃないですか」は全て他人に嫌われない為のしようもない工夫。虫唾が走る!
【可笑しくて やがて哀しき 寅次郎】
これは僕の作った季語のない俳句ですが、この心境も解らないか。ああっ、それを言っちゃあおしめえよ。
>【可笑しくて やがて哀しき 寅次郎】
寅さんも分からないでしょうし、藤山寛美の泣き笑いも理解できないでしょうね。関西以外の人には馴染みが薄いかもしれませんが、寛美さんの凄いところは松竹新喜劇を観に行くと、三つくらいやるうちの一つを、当日にお客さんにアンケートをとって、リクエストの高いものを上演するところでした。つまり全芝居が体に染み込んでいる、しかも団員も対応できると言うことです。
アホなことばかり言うのに、常に用意が出来ているという昔の芸人さんの凄みと心がけには驚いた記憶があります。人を笑わせようとするのも、真剣な努力があってこそなんですよね。そういう見えない部分もまた、理解していくと別の感想を持つようになります。ではまた!
>藤山寛美
それは凄いですね!
仰るように、関東人ですので、恥ずかしながら名前と顔しか知らないのです。
TVでも観たことがないわけで、笑いの質も全く解りませんが、いつでも何でもできるというのはプロ中のプロですね。
>アホなことばかり言うのに
本当のアホは芸人として人を笑わすことができないのではないでしょうか。最近は天然ボケなんて言葉もありますけど、芸人には当てはめられない。
話が変わりますが、アレンの「マッチポイント」の感想で「面白ければいいのでしょうか?」というのがありました。
映画は芸術であるから僕なら「当然でしょう!」と答えますね。問題提示は本来芸術ではなく、哲学やジャーナリズム、寧ろ芸術以外のフィールドのはずです。芸術として優れているかどうかだけが映画評の判断するものです。
これは昔から勘違いしている人が多い。
大勢のお客さんを楽しませるのが本来の映画の趣旨ですね。大衆芸術の極みが映画だと思います。みんなが楽しめて、しかも芸術的にも優れているというのが真の映画の姿でしょう。
書きたいことがたくさんある映画は良い映画か、最悪映画のいずれかでしょうが、同じ書くなら、良い映画を語りたいし、楽しみを伝えたいですね。単純に観ず、しかも頭でっかちにならない。両立できるはずです。
ではまた!
映画評において“芸術”という言葉は大衆的なものと相容れないものと考える方が多いですが、そもそもそこから間違いですね。
僕の言う“芸術”は、必要最小限の描写で最大限解らせることです。そこに映画芸術の真髄があると言っても良いくらいでしょう。カメラアングルがどうのこうの、構成がどうのこうの、役者の演技云々というのは全てその為にあるので、見せびらかす為の技術ではないわけです。
最近の大衆映画に僕が良い評価を下せないのは、要は複雑になり過ぎるなどして、芸術から遠ざかっているからです。最近の時系列操作映画はまやかしばかりですよ。
>単純に観ず、しかも頭でっかちにならない。
映画評は、そうあるべきですね。
最近、というかこの土日に続けざまに劇場で三本観ました。『ランボー最後の戦場』『ヴァンテージ・ポイント』『ミスト』の三本でした。
意外や意外、三本とも出来が良かったんで驚いております。ランボー最新作は原点である『First Blood』の暗さと孤独なランボーがよみがえっています。アクション自体は寄る年波には勝てず、あまりバタバタしませんが、十分だと思います。残虐表現が多すぎるのが難点ですが、個人的には評価します。
「ヴァンテージ~」はオカピーさんが大嫌いな時系列戻し作品なんですが、ある事件が起きるまで時間(始まり)から、事件が起こり、追跡するまでの時間(終わり)の一見すると立場が違う人間たちの動きを各々の視点を変えていくと、徐々にすべての真相がらかになっていくという手法を採っています。スピード感ある編集がされていて、内容は「べた」なんですが、楽しめましたよ。
もしかすると大甘かもしれませんが、三本ともあっという間に終わりました。ではまた!
>アクション自体は寄る年波には勝てず
却って良いのでは、と観ていない僕は無責任にも言ってしまいます。
>オカピーさんが大嫌いな時系列戻し
あははは。
同じ若しくは似た場面が繰り返されるから好きになれない、というより評価を下げる原因になっていますが、絶対的な必要性と納得させる上手さがあれば評価しないわけではないですよ。
それと似たようなものに並列進行型がありますが、こちらは、話をシンプルに組み替えた場合に「クラッシュ」のようにそれほど大したことはないのではないかと思える作品もあります。通常の時系列にしても素晴らしいお話なら、これまた評価します。しかし、それがなかなか出来ないから誤魔化しに入っているのだと思いますけど。
>群盲、象を撫でる
おおっ、良い慣用句ですね。今度使わせて貰いましょう。
僕も何度もそういう場面に出くわしています。その逆もたまにありますね。逆の場合は何と言えば良いのでしょうか(笑)?
初々しい感じは似てますね^^)。しかし演技は薬師丸ひろ子よりも矢口陽子の方が上手いと思いました^^;)。戦意高揚映画を作らされるという逆境のなかでも、ちゃんと自分の世界を確立して成功させているこの作品には脱帽です。なるほど、ご指摘の通り、スポ根映画みたいでしたね…^^;)。
>薬師丸ひろ子
うんにゃ(笑)、デビューしたてはともかく、「Wの悲劇」以降の彼女は大変上手い女優になったと思いますよ。「鉄人28号」なんかきちんと演技していたのは彼女だけでした。
>自分の世界
国策映画にもかかわらず明朗さを出して、なおかつ検閲を通したというのは、才能ですし、最大の抵抗だったのでしょうね。
最後にある泣いてる場面ですけど、あれは玉ねぎを使って涙を
出させたらしいです。
>玉ねぎ
貴重な情報、有難うございます。<(_ _)>
面白いですね。^^
しかし、自分で涙を流せるのが良い俳優という風潮があるものの、必ずしもそうは言えないのではないかと思います。