映画評「叫」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
生涯で名状しがたい恐怖を覚えたNo.1の作品は「CURE」ではないかと思っているが、それ以外の黒沢清を僕は苦手としている。基本的にはホラー映画の作家と言って良いのだろうが、観念的で理解を観客に任せる態度が気に入らない、というより、文字通り解りにくいのである。
埋立地の水溜りで赤い服を着た女性が男に溺死させられる。これが発端で、黒沢監督の固定の長回しに仰天してしまう。今更長回し自体にびっくりなどしないが、女優を約40秒間水溜りに付けたままどうやって撮影したかという疑問が湧き上がるのである。そうした長回しが他にも幾つかあるが、詳細は実際に見るに如かず。
次に外科医が非行に走った息子の首を絞め、その後やはり溺死させる。主人公の刑事・役所広司は、捜査を進めるうち女性の幻影を見たり証拠品から彼自身の指紋が出るなどして、自分が信じられなくなる。
しかし、黒沢清はミステリー的な趣向には関心ないらしく、真犯人の犯行現場を示すだけでなく、すぐに真犯人を逮捕させ、主人公の神経衰弱気味の内面へと観客を導く。純娯楽映画的に見るとちぐはぐな印象になってしまうが、想念へのアプローチがモチーフなので、やむを得ないのかもしれない。
やがて霊となった赤い服の女に悩まされるうちに病的傾向を深め、時々彼の暮らす古い団地を訪れる恋人・小西真奈美と共に逃避行する気になるが、女の幽霊が最初に死んだ赤い服の女とは別人と判明した時古い建物に関する15年前の仄かな記憶が脳裏を横切った為、恋人だけを旅立たせた後、船頭に導かれて建物を探し当てる。かつて精神病棟であったその建物でフェリーの乗客に無視されて死んだ女は、遂に気付いてくれた彼を「赦す」と言って成仏(?)する。一連の事件の犯人は彼女に許されなかった人々なのだ。
「黒沢清の作品としては解り易い」という意見が目立つが、解り易いのはお話の展開だけで、何を描こうとしているのかは甚だ解りにくい。
アウトラインは、無視した人に恨みを持つ女の幽霊が一人の刑事に目を付け、巧みに計画した殺人事件により自分の居場所に招き入れるというお話で、完全犯罪を画策する犯罪者ばりに理詰めな幽霊だと感心させられる(笑)が、まさかそれだけのお話ではあるまい。
幽霊と主人公にはどこかに感応しあう部分があったというように理解できる一方で、15年間恨みを持ち続けた霊と、「全部なしにしてやり直そう」と思う主人公の対比を考え合わせると、あの水面は【記憶】と【忘却】のインターフェースか。【忘却】は生きていく為に備えられた人間に極めて好都合な特性である、ということを改めて語ったものなのかもしれない。
単細胞な僕には大した考えも出て来ないので観念的な部分はこの程度にし映画的な側面について言えば、例の長回しや赤い服の使い方が面白く、独自の陰鬱なムードが沈潜している映像が頗る魅力的。構図にも美しく見応えがあるものが多い。
幽霊にムンクの「叫び」と同じ格好をさせる辺り監督の茶目っ気も相当なもので、考え方によっては笑える箇所が幾つかあって楽しませてくれる。
配役では小西真奈美の存在感の薄さが絶妙で、最後まで見ると彼女以外には考えにくいキャスティングと言って良い。ただ、最初の服装が他の場面と違うのはミスであろうし、彼女が最後に脅えるものも何なのかやはり解らない。
ニコラス・ローグの「赤い影」と赤い服対決をしてみたらどう?
2006年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
生涯で名状しがたい恐怖を覚えたNo.1の作品は「CURE」ではないかと思っているが、それ以外の黒沢清を僕は苦手としている。基本的にはホラー映画の作家と言って良いのだろうが、観念的で理解を観客に任せる態度が気に入らない、というより、文字通り解りにくいのである。
埋立地の水溜りで赤い服を着た女性が男に溺死させられる。これが発端で、黒沢監督の固定の長回しに仰天してしまう。今更長回し自体にびっくりなどしないが、女優を約40秒間水溜りに付けたままどうやって撮影したかという疑問が湧き上がるのである。そうした長回しが他にも幾つかあるが、詳細は実際に見るに如かず。
次に外科医が非行に走った息子の首を絞め、その後やはり溺死させる。主人公の刑事・役所広司は、捜査を進めるうち女性の幻影を見たり証拠品から彼自身の指紋が出るなどして、自分が信じられなくなる。
しかし、黒沢清はミステリー的な趣向には関心ないらしく、真犯人の犯行現場を示すだけでなく、すぐに真犯人を逮捕させ、主人公の神経衰弱気味の内面へと観客を導く。純娯楽映画的に見るとちぐはぐな印象になってしまうが、想念へのアプローチがモチーフなので、やむを得ないのかもしれない。
やがて霊となった赤い服の女に悩まされるうちに病的傾向を深め、時々彼の暮らす古い団地を訪れる恋人・小西真奈美と共に逃避行する気になるが、女の幽霊が最初に死んだ赤い服の女とは別人と判明した時古い建物に関する15年前の仄かな記憶が脳裏を横切った為、恋人だけを旅立たせた後、船頭に導かれて建物を探し当てる。かつて精神病棟であったその建物でフェリーの乗客に無視されて死んだ女は、遂に気付いてくれた彼を「赦す」と言って成仏(?)する。一連の事件の犯人は彼女に許されなかった人々なのだ。
「黒沢清の作品としては解り易い」という意見が目立つが、解り易いのはお話の展開だけで、何を描こうとしているのかは甚だ解りにくい。
アウトラインは、無視した人に恨みを持つ女の幽霊が一人の刑事に目を付け、巧みに計画した殺人事件により自分の居場所に招き入れるというお話で、完全犯罪を画策する犯罪者ばりに理詰めな幽霊だと感心させられる(笑)が、まさかそれだけのお話ではあるまい。
幽霊と主人公にはどこかに感応しあう部分があったというように理解できる一方で、15年間恨みを持ち続けた霊と、「全部なしにしてやり直そう」と思う主人公の対比を考え合わせると、あの水面は【記憶】と【忘却】のインターフェースか。【忘却】は生きていく為に備えられた人間に極めて好都合な特性である、ということを改めて語ったものなのかもしれない。
単細胞な僕には大した考えも出て来ないので観念的な部分はこの程度にし映画的な側面について言えば、例の長回しや赤い服の使い方が面白く、独自の陰鬱なムードが沈潜している映像が頗る魅力的。構図にも美しく見応えがあるものが多い。
幽霊にムンクの「叫び」と同じ格好をさせる辺り監督の茶目っ気も相当なもので、考え方によっては笑える箇所が幾つかあって楽しませてくれる。
配役では小西真奈美の存在感の薄さが絶妙で、最後まで見ると彼女以外には考えにくいキャスティングと言って良い。ただ、最初の服装が他の場面と違うのはミスであろうし、彼女が最後に脅えるものも何なのかやはり解らない。
ニコラス・ローグの「赤い影」と赤い服対決をしてみたらどう?
この記事へのコメント
>【忘却】は生きていく為に備えられた人間に極めて好都合な特性である
なるほど~~。
「なかったことにする」という意識。それを糾弾する幽霊はさびれたウォーターフロントや建設途中の広大な土地をも想記させました。
ちゃんと気づいて欲しいというメッセージかなと思ってましたが、人間、忘却するというのも生きていくための特性か~~。
彼は忘れてしまってるからいき続けているのであり、それが出来なかったら葉月と同じ幽霊になってさまよう運命なのかもしれませんね。
医師であり、小説家の渡辺某さんが「鈍感力」というものを書いていましたが、なんだかそれを思い出してしまいました。(ちょっとちがう?)
どちらにも領分はあるというその境目が水なんでしょうか?
この作品は一度だけみると演出のしかたでコメディのようにもとれてしまいます。
何度か観て、テーマを意識しながらみるとまたちがうのかもしれませんね。
書くのに悪戦苦闘した作品ですが、忘却と記憶に着目したおかげでいくらか読める映画評になったような気がします。^^
>鈍感力
渡辺某は読んだことがなく全く解りませんが、案外そういうことではないですか?
幽霊や機械は忘れることはできないんですよ、通常。
一方、忘れられない人間は、彼らと同じように不幸にならざるを得ない。
黒沢作品の中では描写の観念性が低いので付き合い易い作品ではありました。結局真の狙いは解り切らないのですけどね。一番の謎は小西真奈美が驚いた対象です。^^;
黒沢清が何かの集まりの発言で印象に残ったことがありました。
「小津安二郎の映画は、黒澤明の映画より実はテンポが速い」と言うのです。
この発言には【我が意を得たり】でした。
絵づらの変化が大きな作品の方がテンポが速く感じられる誤解を説明したもので、常々「現在の映画は昔の映画よりテンポが早い」という誤解がまかり通っていると主張してきた吾輩と同じ意見だと思ったわけです。