映画評「蜜の味」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1961年イギリス映画 監督トニー・リチャードスン
ネタバレあり
シーラ・デラニーの戯曲をトニー・リチャードスンが映画化した本作は、1960年前後<怒れる若者たち>世代の映画作家たちが始めたブリティッシュ・ニューウェイブの代表作の一つに数えられる。
ロンドン貧民街、夜の街で新しい男を見つける生活を送る自堕落な母親ドラ・ブライアンに見捨てられた17歳の女子高生リタ・トゥシンハムは、二度と戻ってこないかもしれないアフリカ系水夫に身を任せた後、学校を辞めて靴屋で働き始め、そこで知り合った同性愛の若者マレー・メルヴィンと同居を始める。水夫の子を宿したことが発覚しても彼は歓迎してくれるが、数ヶ月後8歳年下の男に捨てられて舞い戻った母親は若者を追い払いささやかな幸福を破壊してしまう。
10年前にケン・ローチの旧作「ケス」(1968年)を観た時<怒れる若者たち>時代の香りを久しぶりに嗅いだのを思い起こす。ローチをその世代最後の監督と僕は見なしていて、ニューウェイヴの作家群を知らない人も「ケス」の感覚に近いと言えば凡その感じが掴めると思う。シャープな映像に重い社会の空気が沈潜しているのだ。
母娘がアパートを夜逃げ(実際には朝)する序盤のせいか、もっと陰鬱な内容という印象があったが、今回観直してみると存外軽妙な部分も見受けられ、使われる音楽も重々しいものは排除されている。とは言え、さすがにヒロインが社会の底辺で再び母親との閉塞的な生活に戻ってしまう幕切れは重苦しい。そんな幕切れであってもどこかに希望を感じるのはヒロインの反骨心のある性格故である。
本作でデビューしたリタ・トゥシンハムは英国らしい大変特徴的な顔と言うか、大きな眼に固い意志を秘めた誠に強烈な女優だった。「華麗なる恋の舞台で」で久しぶりにお目にかかったが、IMDbで調べたところ出演作はかなりの数に上りコンスタントに活躍しているようだ。
因みに、本作と同じタイトルの有名曲はかからない。期待した人は裏切られますよ。
A taste of honey, tasting much sweeter than wine...
1961年イギリス映画 監督トニー・リチャードスン
ネタバレあり
シーラ・デラニーの戯曲をトニー・リチャードスンが映画化した本作は、1960年前後<怒れる若者たち>世代の映画作家たちが始めたブリティッシュ・ニューウェイブの代表作の一つに数えられる。
ロンドン貧民街、夜の街で新しい男を見つける生活を送る自堕落な母親ドラ・ブライアンに見捨てられた17歳の女子高生リタ・トゥシンハムは、二度と戻ってこないかもしれないアフリカ系水夫に身を任せた後、学校を辞めて靴屋で働き始め、そこで知り合った同性愛の若者マレー・メルヴィンと同居を始める。水夫の子を宿したことが発覚しても彼は歓迎してくれるが、数ヶ月後8歳年下の男に捨てられて舞い戻った母親は若者を追い払いささやかな幸福を破壊してしまう。
10年前にケン・ローチの旧作「ケス」(1968年)を観た時<怒れる若者たち>時代の香りを久しぶりに嗅いだのを思い起こす。ローチをその世代最後の監督と僕は見なしていて、ニューウェイヴの作家群を知らない人も「ケス」の感覚に近いと言えば凡その感じが掴めると思う。シャープな映像に重い社会の空気が沈潜しているのだ。
母娘がアパートを夜逃げ(実際には朝)する序盤のせいか、もっと陰鬱な内容という印象があったが、今回観直してみると存外軽妙な部分も見受けられ、使われる音楽も重々しいものは排除されている。とは言え、さすがにヒロインが社会の底辺で再び母親との閉塞的な生活に戻ってしまう幕切れは重苦しい。そんな幕切れであってもどこかに希望を感じるのはヒロインの反骨心のある性格故である。
本作でデビューしたリタ・トゥシンハムは英国らしい大変特徴的な顔と言うか、大きな眼に固い意志を秘めた誠に強烈な女優だった。「華麗なる恋の舞台で」で久しぶりにお目にかかったが、IMDbで調べたところ出演作はかなりの数に上りコンスタントに活躍しているようだ。
因みに、本作と同じタイトルの有名曲はかからない。期待した人は裏切られますよ。
A taste of honey, tasting much sweeter than wine...
この記事へのコメント
>連続コメントで
こちらは構わないのですが、ブログの新着コメント表示が5件だけですので、投稿者を含めて古いコメントの確認作業が大変なんです。
「トム・ジョーンズ」は、フィールディングの原作が有名ですし、映画も面白かったですね。
『蜜の味』も興味を持ちました。ぜひ見てみたいと思います。ご紹介に感謝です。
この映画はコックニーで話されていると記憶しています。
コックニーが映画に登場するのは、この作品が作られた頃からです。
『蜜の味』、昨日YouTobeで一部見ることができました。
>コックニーが映画に登場するのは、この作品が作られた頃からです。
そうだったのですね。とても興味深いです。
ピブマリオンの舞台上で、bloodyと言う下品な言葉が使われたとき、翌日の新聞は大騒ぎだったと聞いたことがあります。映画でのコックニーも衝撃的だったのではないかと思うと、とてもわくわくします。『蜜の味』を見る楽しみが増えました。
>YouTube
僕も気になって観てみたのですが、コックニーではなく、標準的な英語でしたね。
この時代からコックニーが映画に使われ始めたのは間違いないと思いますが、この作品は違いました。お詫びして訂正いたします。
ついでに久しぶりに「ケス」も一部観てみましたが、殆ど聞き取れませんでした。
やはり、そうだったのですね。ご丁寧に有難うございます。
>ついでに久しぶりに「ケス」も一部観てみましたが、殆ど聞き取れませんでした。
ほんとうに。困ったものです。(^-^)/
どうしたら分かるようになるのかと悩んだ挙句、スタンドアップ・コメディなどで挑戦してみることにしました。「なんでみんな笑っているのだろう?」「僕も笑いたい」という気持ちが、よいモチベーションになるのでは、と思いまして。さて、どうなることやら。。。(笑)
僕は、訛りは聞き取れなくても良いと思っていますよ^^;
映画なら一応字幕がありますしね。
ビートルズ映画には一般映画のように対訳用のテキストがなかったらしく、一々聞いて対訳したらしいですが、リバプール訛りに結構苦労したらしいですね。40年ほど前第一人者・高瀬鎮夫さんが仰っていました。
いずれにせよ、頑張ってください^^
>僕は、訛りは聞き取れなくても良いと思っていますよ^^;
おっしゃるとおりですね。
初めてロンドンに行ったときに、タクシーの運転手の英語が全く分からずショックを受けたことがあります。英語が母国語の国、本場イギリスの英語がなぜわからないんだろうかって。
後で知ったのがコックニーと言うロンドン・アクセントだったということ。
その経験から、いろいろなアクセントの英語が理解できる聴野角を広げることが、リスニングの力をつける方法のひとつだと気づき、以来いろいろな映画で様々なアクセントに触れて、苦しみながらも楽しんでします。(^-^)/
>ビートルズ映画には一般映画のように対訳用のテキストがなかったらしく、一々聞いて対訳したらしいですが、リバプール訛りに結構苦労したらしいですね。
おぉ、ビートルズ!実はリバプーアクセントに挑戦したくて、『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』を借りてきたところでした。(^-^) 楽しみです。
勉強法としては良いような気がしますね。
十何年か前香港に行った時、何人か英語の話せるビジネス・フレンドに会いました。一人はもの凄いスピードで話すのですが、綺麗な発音ですのでよく聞き取れました。もう一人は、コックニーのように thursday を「ファーズデイ」という風に発音するので何回も聞き返したのを憶えています。
ドイツ人の英語は日本人には解りやすく、フランス人の英語はなかなか聞き取れません(というより彼らの英語は文法がめちゃめちゃ)。日本人の英語が一番よく聞き取れますが(笑)
>ビートルズ
あの映画ではさすがに使っていたと思います。参考になると良いですね。
>もう一人は、コックニーのように thursday を「ファーズデイ」という風に発音するので何回も聞き返したのを憶えています。
なるほど。th音がf音になるというパターンを知っているだけでも理解度が格段に違いますものね。
>ドイツ人の英語は日本人には解りやすく、フランス人の英語はなかなか聞き取れません(というより彼らの英語は文法がめちゃめちゃ)。
そうなんですね。今まで英語を母国語をする人たちの異なったアクセントを調べていましたが、英語が母国語ではない人たちの英語に着目するのも大切ですね。英語圏以外の人たちと英語でコミュニケーションをとることが、これからますます増えそうですものね。
>日本人の英語が一番よく聞き取れますが(笑)
そうですね。(笑)
先日インタビューした音声ファイルのディクテーションをしていたのですが、自分の英語が一番聞き取れないことに気がつきました。(笑)
僕はさるメーカーで、海外マーケティングをしていた為、日常は英文を読んだり書いたりするのが9割で、日本語は内部連絡文くらいでした。
取引先はアメリカ、ドイツ、フランス、オーストラリア、カナダ、韓国、台湾、香港・中国、タイ、マレーシア、シンガポール、南アくらいでしたが、聞き取りやすい人とそうでない人が極端に分かれました。
上司は難なく聞き取っていたようで、感心しましたね。
香港の人は上手い人と下手な人で相当違いますが、shipmentが「シューマン」に聞こえて最初ピンと来ませんでしたね。僕らにとっては毎日使っている用語なのに自分の勘の悪さにも呆れた、という苦い記憶もあります。