映画評「アヒルと鴨のコインロッカー」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2007年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
伊坂幸太郎が吉川英治文学新人賞を受賞した同名小説の映画化。
東北の大学に進学した椎名(浜田岳)が引っ越したばかりのアパートの自室前でボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌っていると河崎と自称する隣室の男(瑛太)に声を掛けられ、【隣の隣】に住むブータン人の男が何故喋らずに暗い顔をしているのか話し始める。
ミステリーという紹介もあるが、原作はいざ知らず、映画はドラマである。僕の言うミステリー化したドラマ(ドラマのミステリー化)である。
ドラマのミステリー化というのは、一般的な話も時系列を入れ替えたりすることでミステリーもどきになるわけで、そうした一連の作品(例えばポール・ハギスの「クラッシュ」)を僕はそう称している。尤も本作の場合は名前などにトリックがあるので、広義ではミステリーと言って一向に差し支えない。
さて、椎名は、会ったばかりだと言うのに彼と同じ大学に通うブータン人の欲しがっている「広辞苑」を強盗する河崎の計画に協力することになり、その一方で河崎が「気を付けろ」と注意したペットショップの女(大塚寧々)がブータン人を探しに大学に来た時に彼女の話、即ち、動物連続虐待事件まつわるゴタゴタでブータン人の恋人(関めぐみ)が犯人グループに狙われたことを聞かされる。
この学生は基本的にこの怪しげな二人の間を往復する狂言回しの役目を負っているわけだが、やがて、虐待事件の顛末と書店強盗事件が結び付く。
かなり巧妙に作られたトリック映画ではあるが、気に入らないのは、同じ回想を僅かな差異を加えて二回使ったことである。「運命じゃない人」のように角度を変えて描くなら良いが、10分程度とは言え解り切ったことが続くのはつまらない。
そして、悲劇が明らかになる。その背景として描かれるのが伏流する真の主題とでも言うべきアヒルと鴨の関係である。アヒルは鴨から作りだされた家禽であって、外国産という意味にはならない。その点でこのタイトルにはやや疑問があるのだが、いずれにしても、アヒルは似ていても鴨から区別される運命を免れず、区別(差別)されるアヒル(外国人)は鴨の中にあってどう生きていかねばらならないのか、というテーマが回想形式の入り組んだお話の末に浮かび上がってくる。
という次第で、こうした文学的な主題を娯楽的なアングルで展開しようという狙いは大変興味深いので、回想部分をもう少し整理し工夫を凝らせば確実に★が増えた。
登場人物たちを結びつけるボブ・ディランも重要な要素で、つらい現実は神様にも見せたくないと彼らは「風に吹かれて」を再生したラジカセをコインロッカーに入れて鍵を掛ける。ディランはフォークの神様という一種の洒落である。僕ならジョン・レノンにするだろう。そうすると、ジョンが名曲「ゴッド」の中で神もディランも一緒に否定しているのがますます皮肉に響いてくる。
神様、仏様、ディラン様。
2007年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
伊坂幸太郎が吉川英治文学新人賞を受賞した同名小説の映画化。
東北の大学に進学した椎名(浜田岳)が引っ越したばかりのアパートの自室前でボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌っていると河崎と自称する隣室の男(瑛太)に声を掛けられ、【隣の隣】に住むブータン人の男が何故喋らずに暗い顔をしているのか話し始める。
ミステリーという紹介もあるが、原作はいざ知らず、映画はドラマである。僕の言うミステリー化したドラマ(ドラマのミステリー化)である。
ドラマのミステリー化というのは、一般的な話も時系列を入れ替えたりすることでミステリーもどきになるわけで、そうした一連の作品(例えばポール・ハギスの「クラッシュ」)を僕はそう称している。尤も本作の場合は名前などにトリックがあるので、広義ではミステリーと言って一向に差し支えない。
さて、椎名は、会ったばかりだと言うのに彼と同じ大学に通うブータン人の欲しがっている「広辞苑」を強盗する河崎の計画に協力することになり、その一方で河崎が「気を付けろ」と注意したペットショップの女(大塚寧々)がブータン人を探しに大学に来た時に彼女の話、即ち、動物連続虐待事件まつわるゴタゴタでブータン人の恋人(関めぐみ)が犯人グループに狙われたことを聞かされる。
この学生は基本的にこの怪しげな二人の間を往復する狂言回しの役目を負っているわけだが、やがて、虐待事件の顛末と書店強盗事件が結び付く。
かなり巧妙に作られたトリック映画ではあるが、気に入らないのは、同じ回想を僅かな差異を加えて二回使ったことである。「運命じゃない人」のように角度を変えて描くなら良いが、10分程度とは言え解り切ったことが続くのはつまらない。
そして、悲劇が明らかになる。その背景として描かれるのが伏流する真の主題とでも言うべきアヒルと鴨の関係である。アヒルは鴨から作りだされた家禽であって、外国産という意味にはならない。その点でこのタイトルにはやや疑問があるのだが、いずれにしても、アヒルは似ていても鴨から区別される運命を免れず、区別(差別)されるアヒル(外国人)は鴨の中にあってどう生きていかねばらならないのか、というテーマが回想形式の入り組んだお話の末に浮かび上がってくる。
という次第で、こうした文学的な主題を娯楽的なアングルで展開しようという狙いは大変興味深いので、回想部分をもう少し整理し工夫を凝らせば確実に★が増えた。
登場人物たちを結びつけるボブ・ディランも重要な要素で、つらい現実は神様にも見せたくないと彼らは「風に吹かれて」を再生したラジカセをコインロッカーに入れて鍵を掛ける。ディランはフォークの神様という一種の洒落である。僕ならジョン・レノンにするだろう。そうすると、ジョンが名曲「ゴッド」の中で神もディランも一緒に否定しているのがますます皮肉に響いてくる。
神様、仏様、ディラン様。
この記事へのコメント
私も同感です。 最初の間違って想像する方の映像は、言葉だけの方が良かったですね。
そうでしょそうでしょ! ^^)v
基本的に同じ場面を繰り返しても、つまらないだけでなく、何らの効果もありませんものね。