映画評「暗黒への転落」

☆☆☆(6点/10点満点中)
1949年アメリカ映画 監督ニコラス・レイ
ネタバレあり

ヌーヴェルヴァーグの連中がニコラス・レイのどこを買っているのか知らないが、社会派タイプに注目すべき作品はあるかと思う。この作品が公開された頃は、それより主演のハンフリー・ボガートが設立したプロダクション<サンタナ>の第一回作品として注目されたはずである。

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弁護士ボガートが、警官殺しの罪で逮捕された青年ジョン・デレクを弁護することになる。
 前半は弁護士が陪審員に向けて語る彼の過去が映像になって展開する。貧しいイタリア移民の息子である彼が父親を不当な逮捕で失った後貧困に陥ってスラム街に引っ越し、そこで知り合った若者たちに悪の道に引きずり込まれ、よろず屋の娘アリーン・ロバーツと恋仲になって何度も正業に就くものの、逮捕歴などが災いしてその度に首になる。
 後半は法廷ものらしく検察側との激しい虚々実々の駆け引きが繰り広げられるが、顔に傷跡をある検事ジョージ・マクレディの陰湿な追及にデレクが警官殺しを自白して万事休す。

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「十二人の怒れる男」が陪審員が社会の最下層でうごめく若者を救うという、言わば希望のある法廷映画だったのに対し、こちらはまるで逆、雇用者や弁護士(ボガートの相棒)その他の大人たちが更生を信じないことにより一人の死刑囚が生まれるという社会批判映画になっている。

ただ、僕には青年の転落への筋道の付け方に問題があると思う。作者は環境が犯罪者を生むと決めつけたがっているが、同じ環境でも犯罪に全く染まらぬ人間がそれ以上いるという事実が厳然とある。その一方で「人間は弱い生き物である」ということも我々は知っているわけで、ここを強調しない手はないのだが、人間固有の弱さに殆ど触れないので「青年が環境につぶされ悪に走るのもやむを得ない」と思わせるには力不足であり、主人公に問題があると思わせてしまう。

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例えば、弁護士に「更生するのは奇跡だよ」と言われて主人公は荒れるが、人によっては「見返してやる」と寧ろその奇跡に向って走り出す。それを考えるとこの青年はダメ人間にしか見えない。だから力こぶが入っている割にこちらの感情はそう大きく揺すぶられないのである。
 また、アメリカの裁判制度について不勉強でよく解らないが、この裁判は一審であるはずで、その判決の最後に死刑の執行日まで宣告するのには疑問が湧く。

お話を別にすると、序盤の殺人騒動、最後の刑務所の一幕の歯切れ良い処理は捨てがたく、レイの才能の一端を確認することができる。

後に、当時妻だったボー・デレクを主演に「類猿人ターザン」という下手な映画を作ったデレクの好演も注目に値する。同じ年に「オール・ザ・キングスメン」で主人公の息子役に配役されるなど有望株だったことが伺えるが、その割にこの後通俗的な作品群に埋もれ、伸び悩んだ。

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  • 暗黒への転落

    Excerpt: アメリカの裁判劇映画というと、検事と弁護士の「対決」がメインになることが多いですが、この作品では「勝者」がなく、そういう映画とは違った印象を受けました Weblog: 映鍵(ei_ken) racked: 2010-11-04 19:12