映画評「生きる」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1952年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明長編第13作は、昨年TVでリメイクもされた有名作。個人的には大学時代に初めて見て感激した一編で、今回は都合4回目になると思う。しかし、今回NHK-BS2での放映版を見落としたので、若干画質の落ちるライブラリーより観るしかなかったのは残念。
ある市役所に創設されて日の浅い市民課の課長・志村喬は29年11月無休で働きつめたものの建設的なことは何一つやって来なかった人物で、ミイラと仇名を付けられている。が、病院で【軽い胃潰瘍】と言われたことから【胃がん】であることを察知すると、小説家・伊藤雄之助の案内する歓楽街で散財し、翌日には退職を決めた女子課員・小田切みきと飲食三昧、彼女の活気を見て最後の花を咲かせようと衰えた体に鞭を打つ。
かねがね市民から陳情されていた下水溜まり(暗渠)埋め立ての案件に文字通り東奔西走し、それを実施せしめた後、ある冬の日暗渠を埋め立てた上に作った公園のブランコに乗り、帰らぬ人となる。
今までは絶賛してきた作品だが、今回はちょっと辛口で行こうと思う。
彼が死ぬまでに凡そ92分掛けているが、市役所風刺と風俗描写をたっぷり盛り込んで抜群に面白い。ナレーションを使った語り口も絶妙である。
しかし、その後が50分もある。その50分のうち凡そ47分を葬儀後の会席に割いている。以前からバランス的に問題ではあると思ってきたが、改めて確認した。
この47分の間集まった市役所関係者が、果たして故人は埋め立て工事実施の第一貢献者か、ミイラのようだった彼が変わったのは何故かについて喧々囂々と議論する。そして、胃がんの発覚が故人を変え、工事実施の貢献は彼に帰するという結論に達する。主人公がやる気を見せたところで突然葬式になるという意表を突く構成は、この47分を見せたいが為であることは言うまでもない。
着想としては悪くないが、問題は47分という長さである。この作品は言わば倒叙ミステリーの構成を取っていて、最初の92分が犯人ならぬ胃がんで悩む課長の行動を描き、次の47分で探偵・刑事ならで市役所関係者たちが真相を解明する、という次第。
しかし、彼らはともかく僕らは真相を知っているわけだから、見せ方がさすがに上手くて退屈するところまでは行かないものの、ともすればくどい印象に繋がる。お役所仕事の風刺も序盤たっぷり見せているので、会席での反省ごっこはもっと軽く扱い、かつ新課長最有力候補者たる藤原釜足の言葉に焦点を絞ったほうが締まりが出てぐっと効果的になったであろう。
お話は「醜聞<スキャンダル>」のバージョンアップだから続けて観ると底が見えすいて来るし、左卜全が「解らん」を繰り返すのは「羅生門」の二番煎じである。
勿論素晴らしい点も多く、既に述べた部分以外について幾つか指摘しておきたい。
その1。
志村課長と小田切みき職員が軽食を取っている。その傍では学生の誕生会が進行中である。彼が思いつめたように階下へ降りていく。その瞬間パーティの参加者が欄干に駆け寄り階下に向けて「ハッピー・バースデイ」を歌う。実は誕生会の主が下に見えたのに過ぎないのだが、あたかも課長の新生を祝うかのように感じさせるのである。実に巧い。
もう一つは幕切れ。
ただ一人最初から【市民課長第一貢献者説】を取っていた主人公のシンパである課員・日守新一が、新しい課長の会席での言葉と打って変わって「何もしないことを仕事とする」官僚的姿勢に抗議しようと席を立つが、無言のまま腰を下ろす。諦観である。
場面が変わり、まず橋から下を覗く日守氏を捉えるバストショット。その視線の動きに従ってカメラは暗渠を埋めた後にできた公園を捉える(事実上の主観ショット)。続いてカメラは公園の位置に据えられ、志村氏が息絶えたブランコを捉えた後ゆっくりパンして橋を捉えるロングショット。諦観に沈み込んでいた彼は公園を観た後気力を取り戻したかのように歩き始める。彼が課長になることがあれば、市民の為に働くであろう。そうした余韻が生まれ、我々も人間を信じたい気持ちになって来る。
思うに、登場人物の心情が沈潜し観客に思いが伝わるこういうショット群は最近の作品では余り見られなくなった。
有名な「ゴンドラの唄」の扱いも強烈な印象を残す。最初の歌には絶望しか感じられない。この時彼の思いは「命短し」に集約されている。しかし、二番目の歌は「恋せよ乙女」に重心があり希望を漂わすのだ。
その主人公を演じた志村喬は、オーヴァーアクト気味だが、やはり名演。小田切みきも好調。
1952年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明長編第13作は、昨年TVでリメイクもされた有名作。個人的には大学時代に初めて見て感激した一編で、今回は都合4回目になると思う。しかし、今回NHK-BS2での放映版を見落としたので、若干画質の落ちるライブラリーより観るしかなかったのは残念。
ある市役所に創設されて日の浅い市民課の課長・志村喬は29年11月無休で働きつめたものの建設的なことは何一つやって来なかった人物で、ミイラと仇名を付けられている。が、病院で【軽い胃潰瘍】と言われたことから【胃がん】であることを察知すると、小説家・伊藤雄之助の案内する歓楽街で散財し、翌日には退職を決めた女子課員・小田切みきと飲食三昧、彼女の活気を見て最後の花を咲かせようと衰えた体に鞭を打つ。
かねがね市民から陳情されていた下水溜まり(暗渠)埋め立ての案件に文字通り東奔西走し、それを実施せしめた後、ある冬の日暗渠を埋め立てた上に作った公園のブランコに乗り、帰らぬ人となる。
今までは絶賛してきた作品だが、今回はちょっと辛口で行こうと思う。
彼が死ぬまでに凡そ92分掛けているが、市役所風刺と風俗描写をたっぷり盛り込んで抜群に面白い。ナレーションを使った語り口も絶妙である。
しかし、その後が50分もある。その50分のうち凡そ47分を葬儀後の会席に割いている。以前からバランス的に問題ではあると思ってきたが、改めて確認した。
この47分の間集まった市役所関係者が、果たして故人は埋め立て工事実施の第一貢献者か、ミイラのようだった彼が変わったのは何故かについて喧々囂々と議論する。そして、胃がんの発覚が故人を変え、工事実施の貢献は彼に帰するという結論に達する。主人公がやる気を見せたところで突然葬式になるという意表を突く構成は、この47分を見せたいが為であることは言うまでもない。
着想としては悪くないが、問題は47分という長さである。この作品は言わば倒叙ミステリーの構成を取っていて、最初の92分が犯人ならぬ胃がんで悩む課長の行動を描き、次の47分で探偵・刑事ならで市役所関係者たちが真相を解明する、という次第。
しかし、彼らはともかく僕らは真相を知っているわけだから、見せ方がさすがに上手くて退屈するところまでは行かないものの、ともすればくどい印象に繋がる。お役所仕事の風刺も序盤たっぷり見せているので、会席での反省ごっこはもっと軽く扱い、かつ新課長最有力候補者たる藤原釜足の言葉に焦点を絞ったほうが締まりが出てぐっと効果的になったであろう。
お話は「醜聞<スキャンダル>」のバージョンアップだから続けて観ると底が見えすいて来るし、左卜全が「解らん」を繰り返すのは「羅生門」の二番煎じである。
勿論素晴らしい点も多く、既に述べた部分以外について幾つか指摘しておきたい。
その1。
志村課長と小田切みき職員が軽食を取っている。その傍では学生の誕生会が進行中である。彼が思いつめたように階下へ降りていく。その瞬間パーティの参加者が欄干に駆け寄り階下に向けて「ハッピー・バースデイ」を歌う。実は誕生会の主が下に見えたのに過ぎないのだが、あたかも課長の新生を祝うかのように感じさせるのである。実に巧い。
もう一つは幕切れ。
ただ一人最初から【市民課長第一貢献者説】を取っていた主人公のシンパである課員・日守新一が、新しい課長の会席での言葉と打って変わって「何もしないことを仕事とする」官僚的姿勢に抗議しようと席を立つが、無言のまま腰を下ろす。諦観である。
場面が変わり、まず橋から下を覗く日守氏を捉えるバストショット。その視線の動きに従ってカメラは暗渠を埋めた後にできた公園を捉える(事実上の主観ショット)。続いてカメラは公園の位置に据えられ、志村氏が息絶えたブランコを捉えた後ゆっくりパンして橋を捉えるロングショット。諦観に沈み込んでいた彼は公園を観た後気力を取り戻したかのように歩き始める。彼が課長になることがあれば、市民の為に働くであろう。そうした余韻が生まれ、我々も人間を信じたい気持ちになって来る。
思うに、登場人物の心情が沈潜し観客に思いが伝わるこういうショット群は最近の作品では余り見られなくなった。
有名な「ゴンドラの唄」の扱いも強烈な印象を残す。最初の歌には絶望しか感じられない。この時彼の思いは「命短し」に集約されている。しかし、二番目の歌は「恋せよ乙女」に重心があり希望を漂わすのだ。
その主人公を演じた志村喬は、オーヴァーアクト気味だが、やはり名演。小田切みきも好調。
この記事へのコメント
TB致しました当方の記事とも合わなくなりますので、連絡させて戴きました。
こちらからも宜しくお願い申し上げます。