映画評「こわれゆく世界の中で」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2006年イギリス=アメリカ映画 監督アンソニー・ミンゲラ
ネタバレあり
惜しいことに先日亡くなったアンソニー・ミンゲラの最後の監督作となったドラマである。
「イングリッシュ・ペイシェント」で一躍注目の監督になった後「太陽がいっぱい」の本国リメイク「リプリー」や南北戦争時代を背景にしたロマンス「コールド・マウンテン」を発表したが、いずれも起承転結のはっきりした立体的な物語を正攻法な演出したという印象がある。本作は、底流にあるテーマはさして変わらないのかもしれないが、些か具合が違ってかなり抽象的な作りで、一言でまとめるのに難渋する作品である。
舞台となるロンドンのキングス・クロスはよく知らないが、下町らしい。
現在都市再開発計画を手掛けている建築家ジュード・ローが共同経営者マーティン・フリーマンとオフィスを構えるが、早々に盗難に遭遇、家族の情報も入ったパソコンなどを奪われてしまう。一方、10年間同棲しているスウェーデン出身の内妻ロビン・ライト・ペンとは彼女が先夫との間に設けた神経症の娘の扱いを巡って不調に陥っている。 暗証番号を変えても犯行が繰り返されるので仕方なく見張りを続け、ある日壁面に発見した少年を追いかけるうちに、少年の母親ジュリエット・ビノシュを見出す。彼女らはボスニアからの難民で、息子は叔父の犯罪組織の片棒を担ぎ、母親は仕立て直しを内職としている。
ローは、繕いを口実に彼女に接近し、渇望する真の愛を発見したと思い込む。
ここまでが凡そ半分のお話。
「な~んだ起承転結があるじゃないか」と不審に思われるのだろうが、作者にはローがジュリエットとどうなるか、といった外形的な興味を観客に喚起する気など毛頭ない、という気がするのである。
とは言え、建築家が繕いを依頼しに初めて出かけた時の心境がかくも曖昧であって良いわけではないが、とにかく観客は彼の心境を想像するしかない。僕の印象では、最初は盗難事件の対処の為に探りを入れるつもりだったが、彼女が彼のジャケットに置き忘れた財布を渡しに追いかけてくるのを見た瞬間に恋したのではないか。
しかし、【真の愛】すら真のテーマではない。それが主人公の現実主義的な言い訳に過ぎないことを勘の良い鑑賞者は気付いてしまう。結局ここまでは全て布石である。
やがて彼女は息子が犯行に絡んだのを彼が知って(半ば脅迫材料として)接近したのではないかと疑い、お返しとばかりに彼との浮気現場を親友を使って写真に撮らせる。二人の関係は正に【秘密と嘘】に彩られる。
そして本作は、ストレスを抱えた現代人が【秘密と嘘】により身を守り相手との距離を保つことで益々孤独に入っている現実を提示し、そして、こう示唆しているのではないか・・・その現実に気付いて心を開けば人間関係が修復される可能性がある。しかし、その可能性は必ずしも、登場人物たちが試みるように現状を壊して再構築することにあるのではない。破るのは自分の殻である、と。
調停裁判で内縁夫婦が虚偽の証言をするのは象徴的に進んできた作品としては調子が良すぎて気に入らないが、この時この二人は、自分の真の姿を見せることが相手に接近するほぼ唯一と言える手段なのだ、と気付いたに違いない。この時僕の頭を過ったのは、売春婦が彼のカーステレオに残した激しい流行音楽を聴いた時の娘の驚きである。誤解とは言え、この瞬間母親の生きた肖像として配置されている少女は彼を父親と認められたのではないか。現に、体操での達成感と相まって娘は確実に落ち着いていく。
ミンゲラはニューヨークにも似て人種の坩堝になってきたロンドンの現実を背景に疎外感や閉塞感に苦しむ人々を寓話的に描こうとしたと推測できるが、僕には持って回った感じが強い。
ジュード・ロー、ジュリエット・ビノシュを筆頭に配役陣は好調。
ミンゲラ投手、変化球を投げたものの、曲がりが鋭すぎてキャッチャー(ぼんくらな鑑賞者たる僕です)捕逸、といったところですかな。
2006年イギリス=アメリカ映画 監督アンソニー・ミンゲラ
ネタバレあり
惜しいことに先日亡くなったアンソニー・ミンゲラの最後の監督作となったドラマである。
「イングリッシュ・ペイシェント」で一躍注目の監督になった後「太陽がいっぱい」の本国リメイク「リプリー」や南北戦争時代を背景にしたロマンス「コールド・マウンテン」を発表したが、いずれも起承転結のはっきりした立体的な物語を正攻法な演出したという印象がある。本作は、底流にあるテーマはさして変わらないのかもしれないが、些か具合が違ってかなり抽象的な作りで、一言でまとめるのに難渋する作品である。
舞台となるロンドンのキングス・クロスはよく知らないが、下町らしい。
現在都市再開発計画を手掛けている建築家ジュード・ローが共同経営者マーティン・フリーマンとオフィスを構えるが、早々に盗難に遭遇、家族の情報も入ったパソコンなどを奪われてしまう。一方、10年間同棲しているスウェーデン出身の内妻ロビン・ライト・ペンとは彼女が先夫との間に設けた神経症の娘の扱いを巡って不調に陥っている。 暗証番号を変えても犯行が繰り返されるので仕方なく見張りを続け、ある日壁面に発見した少年を追いかけるうちに、少年の母親ジュリエット・ビノシュを見出す。彼女らはボスニアからの難民で、息子は叔父の犯罪組織の片棒を担ぎ、母親は仕立て直しを内職としている。
ローは、繕いを口実に彼女に接近し、渇望する真の愛を発見したと思い込む。
ここまでが凡そ半分のお話。
「な~んだ起承転結があるじゃないか」と不審に思われるのだろうが、作者にはローがジュリエットとどうなるか、といった外形的な興味を観客に喚起する気など毛頭ない、という気がするのである。
とは言え、建築家が繕いを依頼しに初めて出かけた時の心境がかくも曖昧であって良いわけではないが、とにかく観客は彼の心境を想像するしかない。僕の印象では、最初は盗難事件の対処の為に探りを入れるつもりだったが、彼女が彼のジャケットに置き忘れた財布を渡しに追いかけてくるのを見た瞬間に恋したのではないか。
しかし、【真の愛】すら真のテーマではない。それが主人公の現実主義的な言い訳に過ぎないことを勘の良い鑑賞者は気付いてしまう。結局ここまでは全て布石である。
やがて彼女は息子が犯行に絡んだのを彼が知って(半ば脅迫材料として)接近したのではないかと疑い、お返しとばかりに彼との浮気現場を親友を使って写真に撮らせる。二人の関係は正に【秘密と嘘】に彩られる。
そして本作は、ストレスを抱えた現代人が【秘密と嘘】により身を守り相手との距離を保つことで益々孤独に入っている現実を提示し、そして、こう示唆しているのではないか・・・その現実に気付いて心を開けば人間関係が修復される可能性がある。しかし、その可能性は必ずしも、登場人物たちが試みるように現状を壊して再構築することにあるのではない。破るのは自分の殻である、と。
調停裁判で内縁夫婦が虚偽の証言をするのは象徴的に進んできた作品としては調子が良すぎて気に入らないが、この時この二人は、自分の真の姿を見せることが相手に接近するほぼ唯一と言える手段なのだ、と気付いたに違いない。この時僕の頭を過ったのは、売春婦が彼のカーステレオに残した激しい流行音楽を聴いた時の娘の驚きである。誤解とは言え、この瞬間母親の生きた肖像として配置されている少女は彼を父親と認められたのではないか。現に、体操での達成感と相まって娘は確実に落ち着いていく。
ミンゲラはニューヨークにも似て人種の坩堝になってきたロンドンの現実を背景に疎外感や閉塞感に苦しむ人々を寓話的に描こうとしたと推測できるが、僕には持って回った感じが強い。
ジュード・ロー、ジュリエット・ビノシュを筆頭に配役陣は好調。
ミンゲラ投手、変化球を投げたものの、曲がりが鋭すぎてキャッチャー(ぼんくらな鑑賞者たる僕です)捕逸、といったところですかな。
この記事へのコメント
「こわれゆく世界の中で」とミンゲラ・・・
日々しぼみゆく鑑賞意欲をかき立てられた
直後に来たメガトン級の喪失感のあの時期。
特に現在進行形(まだまだこれからだったのに)
の、ごひいきミンゲラ監督の死は大ショック
でした。
>持って回った
それがいいんですよ~^^
ジャズでいえば“おぬし、やるなぁ~”的
グルーヴ感とでも申しましょうか。(笑)
>破るのは自分の殻である、と。
その通りですね。
監督の言わんとしているところは
そこでしょう。
ところがそれが実に難しいってね。
でも、それはやるだけの価値があるってね。
TB連発で持参いたしました。(ペコリ)
そうかぁ~?!
これって、感じてほしい映画だわ!
最後、リヴ役のロビン・ライト・ペンに車を蹴飛ばさせて「私を捕まえて!」ってわめかしたシーンをラストにもってきたあたり、私自身、絵k飛ばされた気がして爽快だったわ!
P様にこの女心分かるかな?わかんねぇだろうなぁ(笑)
しかしミンゲラ監督って男と女がセックスに及ぶ前の場面設定って上手いといおうか、男女の機微を押さえてると思いません?ここではビノシュに「シルクの下着だったら良かったんだけど…」なんて台詞にゃ参りましたし、「イングリッシュ・ペイシェント」でクリスティンが打つのとレイフが彼女にすがるのとほとんど同時のこの演出!「コールドマウンテン」ではニコールの「見ないで」という言葉に ジュードが「見ていたい」って言葉にこめられた男がどんな思いで愛する女性の元にたどり着いたか!
「朗読者」もミンゲラも監督候補に挙がっていたそうですってね。惜しい人が逝ってしまった!TBもって来ました。
絵k飛ばされた気がして→蹴飛ばされた気がして です。
すんません。
>ミンゲラ監督の死は大ショック
僕のタイプではなかったですが、作家性の強い監督だっただけに、真に僕を納得させる作品を作って欲しかったですよ。既に強烈なヒットは打ったものの、僕の中ではホームランをまだ打っていない。
>その通りですね。
今回は前の三本より抽象的・文学的なので、本文でも書いたように難渋しましたが、左脳フル回転導き出した結論です。とりあえず良かった(笑)。
しかし、シュエットさんが「そうかぁ~?」っていじめるんです(爆)。
>そうかぁ~?!
わぁ~ん、いじめられたあ。(>_<)
僕みたいなぼんくらなキャッチャーでは簡単には取れないですよ。すごい曲りなんだから。しかし、跳ね返りを上手く処理して、何とかランナーをアウトにしたという感じです。解るかなあ(笑)。
>感じてほしい映画だわ!
すっごく現代文学的な作品と思います。
とにかく壊す(breaking)ことを全編にちりばめて象徴的・記号的に構成されていますね。
左脳人間は分析するのは好きですが、感覚と分析を併せないと理解できない作品は苦手ですよ。ベルイマンのほうが寧ろ解りやすいなあ。
僕はテレビ朝日で知能指数を調べる番組の三回目で一緒に行われたテストの結果、完全な左脳人間と解りました。
入出力とも左脳なので、弁護士・公務員・教師向きですと。
>ビノシュに「シルクの下着だったら良かったんだけど…」
ここは解るなあ(爆)。
あくまで男の立場でですけどね。あははは。
なんか、男女が、惚れあい生活を営み子どもを育て老いて死んでいく、という平凡でだからこそかけがえのない一生というのは、不可能になってきているんじゃないかとまで、思わせられます。リーと内妻との神経質な気の使い合いなんて、僕なんか絶対、耐えられないなぁ、と思ってしまいます。
この作品が扱っていることは、現代文学の主たるテーマではないかと思います。
西欧自由主義的社会の下で、現代人は却って自由という自分への枷に苦しめられている。自由を享受するに現代人は余りに弱すぎる。
僕はそんな感じをこの作品から受けましたね。