映画評「生きものの記録」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1955年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり

10年前の今日黒澤明が亡くなった。従って、代表作「七人の侍」あたりの映画評をアップするのがふさわしいが、既に雑文の形で出してしまっているので、NHK-BS2の放映順に沿ってこの地味な作品と参りましょう。

「七人の侍」に次ぐ黒澤明第15作は核への恐怖を基調とした人間劇。
 1954年に第三の被爆と言われる第五福竜丸事件が起き、「ゴジラ」が作られた。実は前年の53年にアメリカで「原始怪獣現る」というゴジラに先行する核風刺のSF映画も作られていて冷戦を背景に核に対する漠然とした恐怖が世界中を席巻していた時期だが、特に第三の被爆者を出した直後の日本でその恐怖がぐっと具体的に考えられるようになったのは必然、「ゴジラ」の後に続いたのが本作である。

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鋳物工場を経営する老人・三船敏郎は原水爆による放射能汚染の恐怖に怯え、財産を投げ打ってブラジルへの親類縁者の移住を考え始める。次女(青山京子)以外の家族は生活に支障が生じるとの理由で計画に反対、家庭裁判所に彼の準禁治産者認定を求める。

黒澤明映画の優れているところは物語の始め方の上手さである。本作も裁判前から始まっていたら余り面白くない話になった可能性があるが、とんでもないこと(移住)を考える父親を準禁治産者にしようという風変りな裁判からスタートするので思わず引き込まれる。その調停者の一人として本業は歯医者である志村喬を絡めて、狂言回し的に進めるアイデアも悪くない。

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惜しいのは、消極的移住賛成者である妻(三好栄子)と次女と三番目の若い妾(根岸明美)を除いて登場人物がエゴイスティックな人間に描かれ過ぎて、核への恐怖というテーマが些かぶれてしまうことである。次のステップへ進む前提であることは理解できるが、もう少し軽く扱えなかっただろうか。

さて、遂に準禁治産者の烙印を押されてしまった老社長はブラジルから帰国したがっている老人(東野英治郎)などと勝手に話し合いを持ち、寄せ集めた資金で準備を進めるが、家族の反対は変わらない為、ブラジルの老人がポツリと洩らした一言から遂に工場に火を放ち、精神病院送りになってしまう。

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「ゴジラ」は核の恐怖を怪獣に変容させて描いたが、本作は核に恐怖する人間を描いている。つまり、核への恐怖を以って核の恐怖を描くというアングルを付けたわけである。作者に言わせれば、核への恐怖を示さない人間は正直さや勇気がないということであり、僕ら観客もこの主人公には非常に人間的なものを感じる。
 妾やその子供に対する優しさを考えても大変ナイーブで、そのナイーブさと核に対するセンシティヴィティには相通ずるものがある。その異常な敏感さを表現するのが、中盤ジェット機のものらしい二つの音、雷鳴と稲光と続く若い妾の家の場面。原爆投下を連想させるものである。この場面は半ば老社長の主観的な扱いで相当凄まじい。但し、やり過ぎの感あり。

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病院から見る太陽は老人には核爆破にしか見えない。正気を失った彼の心配は人類全体に及ぶ。こうなると彼は天から地球を観る神のようにも思えてくる。やはりやり過ぎだが、強烈なアレゴリーである。ところが、見舞った志村喬が階段で若い妾とすれ違う幕切れでは、一転して地上に引き戻され老人に対する憐れみが観客にもたらされる。全体として秀作というには抵抗があるが、この幕切れの落差は文学的見地から大変興味深い。

三船敏郎の老人ぶりは「東京物語」の笠智衆には及ばぬものの工夫を凝らした力演。

人間=生きもの。なるほどですなあ。

この記事へのコメント

2009年10月14日 21:53
オカピーさん、こんばんは。
最近は黒澤ばかり観ることになってしまっています(笑)。
それにしても怖い作品ですね。
>登場人物がエゴイスティックな人間に描かれ過ぎて・・・
確かに硬直した印象でしたね。
しかし、このような要素も「八月の狂死曲」への結実に必要だったようにも思います。この作品では、どちらかというと純真ゆえに無力だった末娘の個性を昇華させ、親戚の子供たちの世代を中心に据える構成によって、「八月の狂死曲」は、未来を見据えた力強いテーマに脱皮させることができたのだとも思います。
また、三船の朴とつな老人の最後は、「白痴」の亀田の印象と重なります。誰でも本質を突き詰め過ぎると、この社会では心療内科に掛かるしかないんでしょうか?
では、また。
オカピー
2009年10月15日 01:18
トムさん、こんばんは。

この時代の黒澤明は明らかにやりすぎなんですね。
確かにベクトルを一つの方向に持って行くという方法論は正しいわけですが、黒澤御大の場合は得てしてやりすぎる。
娯楽性の強い時代劇では比較的抑えられるのに、現代劇ではどうもそういう傾向があって、逆に抑えめにすることによる効果を利用するという考えがあっても良かったのではと思うこともままありますね。

>「八月の狂詩曲」
この頃になるとかなりポジティヴに世界を捉えるようになっているような気がしますね。そういう意味では本作より「八月」のほうが好きです。

>三船の朴とつな老人の最後
「白痴」の亀田がキリストなら、こちらの老人は見方によっては人間を心配する神みたいな感じさえしますね。しかし、一旦部屋を出れば老人はまともとはみなされない。
この落差を感じさせる演出が気に入っています。

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