映画評「揺れる大地」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1948年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
日本で正式公開されたのは1990年だが、僕はその10年くらい前にフィルムセンターの【映画史上の名作】特集で初めて観た。所有する百科事典の【イタリア映画】の項目に「大地は揺れる」のタイトルで載っているほどの名作であり、70年代から80年代にかけて凄まじいルキノ・ヴィスコンティ・ブームがあったにも拘らず、公開にこれほど時間を要したのは不思議と言うしかない。
シチリアの貧しい漁村、幼い末の弟まで漁船に乗る漁師一家の長男トーニは、仲買人の搾取に反抗して暴力事件を起こし逮捕されるがすぐに釈放される。漁師がいないと仲買人が食べられない現実に気付き、銀行の融資で船主になって幸福感を味わうのも束の間しけで船を壊してしまう。
仲買人の船での漁には出たくないので他の職を探すが漁村に仕事はなく、弟コーラに本土に出ていかれた後抵当権の行使で家を奪われた為に、プライドを捨てて仲買人の元に赴く。
その数ヶ月後、30年後に作られたエルマンノ・オルミの「木靴の樹」を観た時にその相似性に興奮したのを思い出すが、そんなこととは関係なしに共に作品として圧倒的に素晴らしい。
イタリアでも最も古い貴族の家に生まれながら映画界に入ったヴィスコンティが最初に注目したのは彼の階級ではなく正反対の下層階級、プロレタリア階級の人々だった。
デビュー作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に続いて第2作である本作でも貧しい漁民を扱い、描き方によっては説教臭い共産主義プロパガンダのようになりかねないところを、彼の永遠のモチーフとなっていく【敗北】を底に据えて厳しく揺るぎのない視点で、より正確に言えば、夜中に船をこぎ出す場面や一家の長女に恋慕している大工を捉えたショットなど生活感を伴う環境描写を丹念に積み重ねて大いなる映画的魅力を生み出している。何と言うことのない、どちらかと言えば乱雑な生活風景がヴィスコンティの眼を経ると美しさを放つのだ。真に優れた写実は創造的であることを改めて思い知らされよう。
また、自然や権力に翻弄され、最後に屈服したように見えながら実は再び闘う姿勢を取り戻す主人公の姿が強い印象を残す。敗北は新たな闘いの始まりである。
出演者は<シチリアの人々>と一括されるアマチュアで、厳密には上手いと言えないがプロには容易に求められない実感があり感心させられる。ネオ・レアリズモと言われる作品群の中で「自転車泥棒」(1948年)と並ぶ傑作と言われるのもむべなるかな。40年代のイタリア映画ではこの二本がやはり双璧と思う。
ヴィスコンティに言わせれば、敗北に貴族も漁民もないということだろう。
1948年イタリア映画 監督ルキノ・ヴィスコンティ
ネタバレあり
日本で正式公開されたのは1990年だが、僕はその10年くらい前にフィルムセンターの【映画史上の名作】特集で初めて観た。所有する百科事典の【イタリア映画】の項目に「大地は揺れる」のタイトルで載っているほどの名作であり、70年代から80年代にかけて凄まじいルキノ・ヴィスコンティ・ブームがあったにも拘らず、公開にこれほど時間を要したのは不思議と言うしかない。
シチリアの貧しい漁村、幼い末の弟まで漁船に乗る漁師一家の長男トーニは、仲買人の搾取に反抗して暴力事件を起こし逮捕されるがすぐに釈放される。漁師がいないと仲買人が食べられない現実に気付き、銀行の融資で船主になって幸福感を味わうのも束の間しけで船を壊してしまう。
仲買人の船での漁には出たくないので他の職を探すが漁村に仕事はなく、弟コーラに本土に出ていかれた後抵当権の行使で家を奪われた為に、プライドを捨てて仲買人の元に赴く。
その数ヶ月後、30年後に作られたエルマンノ・オルミの「木靴の樹」を観た時にその相似性に興奮したのを思い出すが、そんなこととは関係なしに共に作品として圧倒的に素晴らしい。
イタリアでも最も古い貴族の家に生まれながら映画界に入ったヴィスコンティが最初に注目したのは彼の階級ではなく正反対の下層階級、プロレタリア階級の人々だった。
デビュー作「郵便配達は二度ベルを鳴らす」に続いて第2作である本作でも貧しい漁民を扱い、描き方によっては説教臭い共産主義プロパガンダのようになりかねないところを、彼の永遠のモチーフとなっていく【敗北】を底に据えて厳しく揺るぎのない視点で、より正確に言えば、夜中に船をこぎ出す場面や一家の長女に恋慕している大工を捉えたショットなど生活感を伴う環境描写を丹念に積み重ねて大いなる映画的魅力を生み出している。何と言うことのない、どちらかと言えば乱雑な生活風景がヴィスコンティの眼を経ると美しさを放つのだ。真に優れた写実は創造的であることを改めて思い知らされよう。
また、自然や権力に翻弄され、最後に屈服したように見えながら実は再び闘う姿勢を取り戻す主人公の姿が強い印象を残す。敗北は新たな闘いの始まりである。
出演者は<シチリアの人々>と一括されるアマチュアで、厳密には上手いと言えないがプロには容易に求められない実感があり感心させられる。ネオ・レアリズモと言われる作品群の中で「自転車泥棒」(1948年)と並ぶ傑作と言われるのもむべなるかな。40年代のイタリア映画ではこの二本がやはり双璧と思う。
ヴィスコンティに言わせれば、敗北に貴族も漁民もないということだろう。
この記事へのコメント
クーッ! かえすがえすも録画の失敗が悔やまれるなぁ。
気付いたときには7、8分過ぎてしまっていて、途中からじゃしょうがないと断念したんですよね。
>敗北に貴族も漁民もないということだろう
“滅びの美学”なんていう表現は嫌いですが、「白夜」のラストシーンの叙情性は染みました。
再放送 待つしかないぞ 十瑠バカ
「若者のすべて」をもう一度見直して、やはるヴィスコンティは素晴らしいと痛感! 本作もこちらが終ったら鑑賞しなければ!あぁ、素晴らしい!
コメントはずいぶん久しぶりです。
でもいつも読みに来ていますからね~~~。
勉強不足でなかなか自分の観た作品がすくないものですから・・・(汗)
もちろんこれも未見です。
しかも、本作は「ニュー・シネマ・パラダイス」で知りました。
この映画を観ている人たちの生き生きした顔が印象的でした。
こういう映画こそ、庶民の味方だったのでしょうね。
ルキノ・ヴィスコンティ、なぜか遠ざけてしまっている監督の一人です。(苦笑)
もうすぐ中古のレンタルビデオなども一掃されてしまい、あとはDVDはワンコインという強い味方はあるけれど、所有する場所のないわたくしのようなものには、ビデオが流通しているうちに名画を観ておかなければという思いがあります。しかも10点満点だし!
>描き方によっては説教臭い共産主義プロパガンダのようになりかねない・・・
ヴィスコンティ評を著したノウェル・スミスは
「この映画のプロパガンダの側面にこだわること、それだけでは映画の提出する大部分の問題を見失う」といっています。
なんだかオカピーさんと似てますね(笑)。
ヴィスコンティの描く貧民は、何故か威風堂々としていて「ボロは着てても心は貴族」がにじみ出ています。貴族階級にドロンやランカスターを使ったり、世の中の「階級」が嘘に見える危険性をはらんでいるような気がします。オカピーさん風にいうと実に「映画的」な恐ろしさで、文章では表現しえない映像の扇動が表現されているのではないでしょうか?
作品の制作にはかなり苦労したそうで、イタリア共産党からの資金切れに母親の宝石も売り、ヴィスコンティがシナリオと音楽を担当、ロケ隊はたったの18人で通常の7・80人分の仕事をこなしたとか。
そこまでしてこの作品を完成させた理由が、当時のネオ・リアリズモ運動の衰退に苛立ちを覚えてたから、なのだそうです。
「定められたモンタージュもなく、プロの俳優も使わずに、実際に、現実と真実を頼りにするのだ」(ヴィスコンティ)
なんだか感動的ですよね。
かっこいいな 赤い公爵 ヴィスコンティ!
では、また。
>10点
基本的に観照的な作品ですから、一般的な意味で物凄い感動を呼ぶとは思いませんが、「自転車泥棒」などと同じように登場人物の実感に感じ入ってしまうんですね。
それから、シュエットさんの仰るようにフォトジェニック、かつ、どの瞬間にも生き生きとした映画的な表情があって、これも魅力です。
>白夜
あれは、ドストエフスキーらしくなく抒情的で、僕好みですね。^^
>本来はプロパガンダという目的もあって製作~
というのは解っていたのです。
で、最初の文章ではその辺が曖昧で、気づいていないように思われるのが癪だった(笑)ので、「説教臭い」を付けました。すると、ニュアンスがぐっと変わるんですなあ(笑)。
「のように」というのもミソなんです。^^
映像は勿論良いですよ。
何気なく撮っているようで、構図にも相当気を配っているんでしょうね。
こちらもご無沙汰しておりまして、すみません。
>ルキノ・ヴィスコンティ、なぜか遠ざけてしまっている監督
ええっっ!(と大げさに驚くオカピー)
イタリアの監督ではフェリーニとヴィスコンティは全部見ちょりますよ。
フェリーニのほうがアクが強いと思いますですが。
で、フェリーニは如何?
「ベニスに死す」「家族の肖像」は完成度は高いですが付き合いにくい側面もあります。従い、貴族を描いたのでは遺作「イノセント」がお勧め。
下層階級を描いたものは明解ですが、本作とこの後に続くお話のような「若者のすべて」は必見ではないでしょうか。
>ビデオ
NHK-BSも貴重ですよ(笑)。
>TB
ご遠慮なくどうぞ。
>オカピーさんと似てますね
おおっ、その日の気分では書きかねない文章ですよ。^^
>世の中の「階級」が嘘に見える危険性
「神曲」にも名前が出てくるヴィスコンティ家の末裔ルキノが自らが所属する貴族階級の黄昏を思う時やはり苦悩を禁じえなかったはずですが、その苦悩を裏返したものが下層階級への興味だったのでは?
敗北や苦悩に階級なんて関係ないではないか、という思いがそこにあるような気がしております。
>母親の宝石も売り
カルロ・リッツァーニが監督した「ヴィスコンティ」でそんな話を聞いたような。
最近NHKで黒澤明の映画製作の裏話を色々聞いておりますが、映画作りへの凄まじい執念に、聞いているうちに恐ろしくなったり、涙が出てきたり。
>最後に屈服したように見えながら実は再び闘う姿勢を取り戻す主人公の姿が強い印象を残す。敗北は新たな闘いの始まりである。
以前見たとき、単に主人公の屈辱のようなものしか感じることが出来なかったんですが、今回、再見して本当にそう感じました。
熱いですね。何だか、ヴィスコンティの青春を感じることができました。
>ヴィスコンティ・ブームがあったにも拘らず、公開にこれほど時間を要したのは不思議・・・
日本でヴィスコンティが受けるのは、初期のリアリズムではなく、きらびやかで華やかな貴族様式が少女的趣味を喚起するからなのでしょう。それでもヴィスコンティのリアリズムの本質を感じていけるきっかけになるかもしれませんから、前向きにとらえたいですけれど。
妹とセメント職工さんの恋愛、ルネ・クレマンの「居酒屋」に似ていると思いました。
では、また。
これ書かれていたんですね!気づきませんでした。
後期の耽美的な作品はたしかに美しいですが、ネオリアリズムの手法をとっていた、この時期の作品も大好きです。
さきほど自宅で『灰とダイヤモンド』を見ておりました。書くことがいっぱいになりそうで、ずいぶんと長くなってしまいそうです。ではまた!
>敗北は新たな闘いの始まりである。
結構格好良い文章ですね。(笑)
一回目の時どう感じたか定かではないですが、再鑑賞して素直にそう思ってしまいましたよ。
>日本でヴィスコンティが受けるのは・・・少女的趣味を喚起するから
僕もそう思いますが、ブームの時に公開すれば少女たちも見に行ったかもしれないなあと思ったもので、アラン・ドロン人気で「太陽はひとりぼっち」がヒットしたように。
>「居酒屋」
原作は一昨年読みましたが、映画は久しく観ていないなあ。
自作DVDは持っているんですけどね。
TB有難うございました。
>ネオリアリズムの手法
「若者のすべて」は言うまでもなく、ブームになって後年公開された「ベリッシマ」も渋い佳作でした。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」もこの荒いところもありますが、力強い作品でしたね。
>『灰とダイヤモンド』
久しく観ていないので、再鑑賞待機作品です。
「パリは燃えているか」「若者のすべて」もそろそろ観ないといけない。
つまらない新しい作品を何本か省けばよいのですけどねえ、なかなか勇気が出ないんですよ。何の勇気だべ。(笑)
>なかなか勇気
大きな塊のような映画って、情報量だけではなく、製作者の思いがぎゅっと詰まっているので、どうしても言葉にするのに時間がかかりますし、文章を書くことを忘れて、作品に没頭してしまい、結果何も書けないことが多いですよ(笑)
『灰とダイヤモンド』『地下水道』、そしてブレッソンの『抵抗』が何ヶ月もループしています。書けたら、またTBとコメ入れますね。
ではまた!
優秀な映画の優秀性を伝えるのはなかなか難しいわけですが、良い映画にも書きやすい作品と書きにくい作品がありますね。
例えば、黒澤明の方が小津安二郎より書きやすいですよね。
上に挙げられた作品のうち書いたのは「地下水道」だけで、それもモノグサを決めてまともに書いていないんですよ。
「灰とダイヤモンド」と「抵抗」は、僕と用心棒さんのどちらが先になるか解りませんが・・・頑張りましょう。(笑)
苦労した割にはわけわかんない記事になってしまいましたが、TBしました。ドロンの「若者のすべて」との連作としたんですが、自分のなかではまだまだ多くの感動があるんですが・・・。
オカピーさんの記事は、分かり易くて良いですねえ。「揺れる大地」がわたしの頭の中でまとまってきますし、何よりやる気が出てくる(笑)。
>エルマンノ・オルミの「木靴の樹」
ほんとうに似ていますよね。不思議なものです。
ところで、用心棒さんにワイダをリクエストしたのは、実はわたしです。
本当に作品が凄すぎると記事にするのたいへんですよ。
では、また。
>苦労した割に
いやいや、いつもながら力作で、読み応えたっぷり。
僕みたいな要点を掴んだだけの短評もガイドとしては悪くないですが、勿論トムさんのような内容分析・総合的な映画評論も為になりますね。
本稿は、僕としても上手くまとめたほうだと、割合気に入っています。
内容分析と言えば、先日ロバート・オルドリッチのハードボイルド映画「キッスで殺せ」を久しぶりに再鑑賞したのですが、双葉氏の批評を「表面的だ」と批判するコメントがあったので、映画評の中で反論文を書いてみました。
後日発表しますので、お楽しみに(と言うほど長いものではないですが)。
>ワイダ
そのようですね。
特にあの映画は書きにくいですよ。僕の嫌いな(笑)内容分析をしないと映画評にならないかもしれない。
「若者のすべて」も簡単には書けそうもないので、鑑賞自体が敬遠気味になるのかもしれませんね。(笑)