映画評「ヘアスプレー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2007年アメリカ映画 監督アダム・シャンクマン
ネタバレあり
そもそも戦前はミュージカル・コメディーと称していたくらいで、ミュージカルに悲劇や深刻なものは一切なかったわけだが、60年代以降社会性を帯びるとミュージカルは衰退するばかりだった。近年復活気味ではあるものの、やはり暗さが抜け切らない。
他方、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」「プロデューサーズ」など一般映画が舞台ミュージカル化され、それが映画化されるというパターンが目立つ。何故かそのケースの作品には本来のミュージカルらしい楽しさが味わえる作品が多く、ジョン・ウォーターズが1987年に発表した同名映画のリメイクに当たる本作も、括弧付きになるが、そうした列に加えたい。
1962年、女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)はその巨大な体に似合わずダンスが得意で、地元TVの人気番組のダンス・メンバーになる夢を持っている。彼女以上に巨体な母親(ジョン・トラヴォルタ)は儚い夢を見ることに反対で父親(クリストファー・ウォーケン)は賛成、学校のダンス・パーティで司会者(ジェームズ・マースデン)の目を引いて遂に夢が実現する。
これを面白く思わぬ差別主義者の美人プロデューサー(ミシェル・ファイファー)が彼女を排斥すべくあらゆる策略を巡らすと同時に黒人を番組から締め出したことから、黒人の友人が多いトレーシーはデモに参加、警官を殴って逃げる羽目に。
そうした騒ぎのうちに始まった番組恒例の【ミス・ヘアスプレー】コンテストに厳しい監視をくぐって出場する。監視をくぐって出場する方法が面白いが、コンテストの顛末ともども観てのお楽しみということに致しましょう。
学園ミュージカル的な趣向はかつての「グリース」思い出させ、意図してか偶然か、「グリース」のトラヴォルタと「グリース2」のミシェルが共演する配役上の嬉しさよ。或いは「サタデー・ナイト・フィーバー」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。ダンスは群舞にパ・ド・ドゥ、白人風・黒人風と多様で見応えがあるが、見どころはトラヴォルタが女装巨体メイクで奮闘する場面に尽きよう。
音楽も、背景となった60年代風のナンバーばかりでご機嫌。特にニッキーの歌うオープニング・ナンバー「グッドモーニング・ボルチモア」が、当時流行していたガールズ・グループ、特にロネッツ辺りを意識した編曲で楽しめた。惜しむらくは、アフレコがオンマイクすぎて人物のサイズと合わない部分が多い。
といった次第で、楽曲やダンスといったミュージカルの基本要素の扱いは「よく出来ました」と言えるレベルだが、物語に人種問題を絡めたことがちょっと気にかかる。社会的テーマを絡めながらミュージカルらしく明るく作られているのは確かな一方で、人種差別や外見の問題から脱却しようというメッセージ性をミュージカルにも取り入れてみたと理解したくなる雰囲気がなくもない。何処かむずがゆくて楽しくなり切れず、【括弧付き】とした所以でござる。一種の懐古映画だから、そう難しく考える必要もないのだろうけれどね。
2007年アメリカ映画 監督アダム・シャンクマン
ネタバレあり
そもそも戦前はミュージカル・コメディーと称していたくらいで、ミュージカルに悲劇や深刻なものは一切なかったわけだが、60年代以降社会性を帯びるとミュージカルは衰退するばかりだった。近年復活気味ではあるものの、やはり暗さが抜け切らない。
他方、「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」「プロデューサーズ」など一般映画が舞台ミュージカル化され、それが映画化されるというパターンが目立つ。何故かそのケースの作品には本来のミュージカルらしい楽しさが味わえる作品が多く、ジョン・ウォーターズが1987年に発表した同名映画のリメイクに当たる本作も、括弧付きになるが、そうした列に加えたい。
1962年、女子高生トレーシー(ニッキー・ブロンスキー)はその巨大な体に似合わずダンスが得意で、地元TVの人気番組のダンス・メンバーになる夢を持っている。彼女以上に巨体な母親(ジョン・トラヴォルタ)は儚い夢を見ることに反対で父親(クリストファー・ウォーケン)は賛成、学校のダンス・パーティで司会者(ジェームズ・マースデン)の目を引いて遂に夢が実現する。
これを面白く思わぬ差別主義者の美人プロデューサー(ミシェル・ファイファー)が彼女を排斥すべくあらゆる策略を巡らすと同時に黒人を番組から締め出したことから、黒人の友人が多いトレーシーはデモに参加、警官を殴って逃げる羽目に。
そうした騒ぎのうちに始まった番組恒例の【ミス・ヘアスプレー】コンテストに厳しい監視をくぐって出場する。監視をくぐって出場する方法が面白いが、コンテストの顛末ともども観てのお楽しみということに致しましょう。
学園ミュージカル的な趣向はかつての「グリース」思い出させ、意図してか偶然か、「グリース」のトラヴォルタと「グリース2」のミシェルが共演する配役上の嬉しさよ。或いは「サタデー・ナイト・フィーバー」を思い出す方もいらっしゃるでしょう。ダンスは群舞にパ・ド・ドゥ、白人風・黒人風と多様で見応えがあるが、見どころはトラヴォルタが女装巨体メイクで奮闘する場面に尽きよう。
音楽も、背景となった60年代風のナンバーばかりでご機嫌。特にニッキーの歌うオープニング・ナンバー「グッドモーニング・ボルチモア」が、当時流行していたガールズ・グループ、特にロネッツ辺りを意識した編曲で楽しめた。惜しむらくは、アフレコがオンマイクすぎて人物のサイズと合わない部分が多い。
といった次第で、楽曲やダンスといったミュージカルの基本要素の扱いは「よく出来ました」と言えるレベルだが、物語に人種問題を絡めたことがちょっと気にかかる。社会的テーマを絡めながらミュージカルらしく明るく作られているのは確かな一方で、人種差別や外見の問題から脱却しようというメッセージ性をミュージカルにも取り入れてみたと理解したくなる雰囲気がなくもない。何処かむずがゆくて楽しくなり切れず、【括弧付き】とした所以でござる。一種の懐古映画だから、そう難しく考える必要もないのだろうけれどね。
この記事へのコメント
>60年代以降社会性を帯びるとミュージカルは衰退するばかりだった。
そうですね。そういう見方をすれば、なんとなくわかるような気がします。50年代までの「ミュージカルコメディ」とは、異質性があるんですね。
TBだけ飛ばしてコメントは後にしようと思い、今頃になってしまった次第です。けして書きにくかったわけではありませぬ。(笑)
なるほどね、括弧付きというの、よくわかります。
最近は歌にメッセージ込めすぎなのかもしれませんね。
黒人バージョンのダンスと歌はかってに体が動き出すほど、ノリノリではありましたが・・・・
ミュージカル映画について書くとなると、必ず映画史的なところから始まってしまうのです。^^
そうですね、「ウエストサイド物語」以前のミュージカルは、楽屋裏やロマンスが中心でしたよね。
社会性とリアリズムが言わば、ミュージカルを一旦つぶしたわけですね。その中で出てきたのがロック・オペラ。
しかし、ミュージカル性と社会性、リアリズムは相反する要素だから、衰退するのは必然だったのでしょうね。
たまにはすねてみようと思いまして。
楽しいのだけれど、30~50年代のミュージカルとはやはり違いますねえ。
昔のフレッド・アステアやジーン・ケリー、ジンジャー・ロジャーズやアン・ミラーみたいな踊りのプロがいないですし。
この時代、まあ無理に新作にそれを求める必要もないですよね。
わたし的には6点でしたが、評価の観点はオカピーさんに近い感じです。
良くできたミュージカルで、楽しい場面もあった一方で、どこか100%すっきり!という気分にはなれない、不完全燃焼の印象が残ってしまったのは、やっぱり人種問題の扱いが中途半端だったからのような気がします。
ロックミュージシャンがやけにエコや平和を訴えるパフォーマンスに走った時に感じる、むずかゆさに近い感じでしょうか?
余談ですが、ミュージカルと言えば、つい最近、劇場公開されたもので、全編ビートルズの曲を採用した「アクロス・ザ・ユニバース」というのがオカピーさんにオススメしたい一本です。
WOWOWには来年登場だと思いますが、ぜひお見逃しなく!
>人種問題の扱いが中途半端だった
そう思います。
何だか言い訳されているみたいな。
ロックミュージシャンのパフォーマンス・・・確かに。
>アクロス・ザ・ユニバース
勿論観ますよ。^^
WOWOWだけ集中するとずっと1年遅れなので待ち遠しい気がしないのですが、いざそう言われると待ち遠しくなる(笑)。
なんで女装する必要があるんだ!ってまじに考えてしまった。
重かったです。私には。
やはり【社会問題】を入れれば、どんなに軽く見せても、重苦しくなりますね。どちらかに徹するべきだったなと思います。
>女装
これに関しては舞台からの伝統だという【解説】があります。僕もトラヴォルタは苦手だし、一般の女優を使えば良かったというのが本音です。