映画評「ゆれる」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
2006年日本映画 監督・西川美和
ネタバレあり
女性監督・西川美和は「ユメ十夜」の短編一本を観ただけで実力は全く解らないが、キネマ旬報の一昨年度2位になった話題作なので、無条件に観ることに決めていた。
母親の葬式にも顔を見せなかった写真家のオダギリジョーがその一周忌に出席する為に久々に帰郷し、折り合いの悪い頑固な父・伊武雅刀や家業のガソリンスタンドを継いだ兄・香川照之と再会する。
翌日、兄弟は従業員で幼馴染の女性・真木よう子と共に近くの渓谷へピクニックに出かけるが、弟が少し離れた場所で写真を撮っている間に、二人は老朽した吊り橋の上でもめ、彼女が落ちてしまう。弟は一部しか見ていないが、やがて殺人を自白した兄の裁判で彼の証言が注目されることになる。
色々な角度から見ることが出来る心理ドラマで、「羅生門」の現代版と言えば当たらずとも遠からず。
落下そのものに関して客観描写がない。これが否定的な評価の方にはネックと映っているようだが、彼らが思うほど説明がないわけではない。とにかく、客観描写の省略に本作を「羅生門」同様に扱う作者の狙いが見えるが、違うのは弟は自分の知る真相が信じられなくなっていることである。何故そういうことになるのか。
まず兄弟が互いに信用せずに長い間偽善的に付き合ってきた事実が面会場で説明されている。この確執が彼らの気持ちを揺り動かす。僕は心理学の専門家ではないので解らないが、そうした確執がある中ショッキングな事件に遭遇したら、特に自分が彼女の気を引いたことが事件に遠因となったことを気付き、かつ、兄が自分たちの関係について察知していたかどうか疑心暗鬼になっている弟の主観に思い込みが入って来ないとは言い切れない。愛憎と罪悪感からの逃避と防衛本能が複雑に入り組み、ここまで行くともはや深層心理と潜在意識の領域である。彼は裁判での証言に至るまで相当悩んだはずだ。そして思い切った証言をする。
弟が偏見を取り払い心の底から兄の無実を確認するのは、兄の出所を聞いた7年後に子供時代のフィルムにおいて兄が自分を引き上げるのを見た時である。そこで兄が彼女の腕を掴む様子が彼の脳裏を過り(下の画像左)し、さらに裁判所で兄の腕に彼女の爪が残した傷跡を見たことを思い出す(下の画像右)。事件直後の描写で我々は兄の腕に傷跡を見ている(一番下の画像=客観ショット)。彼女を助けようとしたからこそついた深い傷である。これによって弟同様観客も兄の無実を確信するに至る。
つまり、事件そのものの客観描写は省略しているのは事実であるが、事件について客観的な説明がないといったコメントはまるで根拠がない。
兄の揺れる心境も興味深い。彼は勿論自分が手を下していないことを知っている。しかし、その直前彼を罵倒した彼女に対し自身に殺意が浮ばなかったか、殺意が彼女に恐怖を感じさせ事故に繋がったのであれば殺したに等しいのではないかという疑問が湧いたのではないか。それが因循で口さがない小さな町にいる絶望的な閉塞感と相まって自暴自棄を生み、嘘の自白に繋がっていったということは比較的容易に想像できる。
従って、この映画の理解は観客任せであるとするコメントに僕は全く賛成できない。「兄は無実である」と作者は腕の傷跡について主観と客観を最後に一致させることで明言している。確かに互いに牽制し合っている為兄弟の正確な心理に解りにくいところはあるが、少なくとも重ねられる主観のフラッシュバック(フラッシュバックが全て主観とは限らないことに注意)は相当理詰めで、その有り様(よう)の揺れ具合を追うことは十分以上に可能なのである。
人生という吊り橋で両端にいる兄弟の確執とおのおのの心中の葛藤という純文学的なテーマを、事故か事件かの真相追及なるミステリー手法で大衆的に料理しようとしたのは賢明であっただろうと思う。かくして、セミドキュメンタリー映画的な描写が続く序盤で芽生えた嫌な予感はすぐに払拭され、それ以降売れっ子男優二人の断然優秀な演技もあって心理のせめぎ合いによる緊張が途切れることはない。圧巻と言うべし。
ドラマとしては圧倒的に優秀な本作にはミステリー的に大きな穴がある。無罪を勝ち取る有力な状況証拠になる被告の腕の傷について裁判で取り上げられないことはあり得ないのである。
恐らく同時録音故に台詞に聴き取りにくい部分があるのも残念。
僕の評価は揺れない。
2006年日本映画 監督・西川美和
ネタバレあり
女性監督・西川美和は「ユメ十夜」の短編一本を観ただけで実力は全く解らないが、キネマ旬報の一昨年度2位になった話題作なので、無条件に観ることに決めていた。
母親の葬式にも顔を見せなかった写真家のオダギリジョーがその一周忌に出席する為に久々に帰郷し、折り合いの悪い頑固な父・伊武雅刀や家業のガソリンスタンドを継いだ兄・香川照之と再会する。
翌日、兄弟は従業員で幼馴染の女性・真木よう子と共に近くの渓谷へピクニックに出かけるが、弟が少し離れた場所で写真を撮っている間に、二人は老朽した吊り橋の上でもめ、彼女が落ちてしまう。弟は一部しか見ていないが、やがて殺人を自白した兄の裁判で彼の証言が注目されることになる。
色々な角度から見ることが出来る心理ドラマで、「羅生門」の現代版と言えば当たらずとも遠からず。
落下そのものに関して客観描写がない。これが否定的な評価の方にはネックと映っているようだが、彼らが思うほど説明がないわけではない。とにかく、客観描写の省略に本作を「羅生門」同様に扱う作者の狙いが見えるが、違うのは弟は自分の知る真相が信じられなくなっていることである。何故そういうことになるのか。
まず兄弟が互いに信用せずに長い間偽善的に付き合ってきた事実が面会場で説明されている。この確執が彼らの気持ちを揺り動かす。僕は心理学の専門家ではないので解らないが、そうした確執がある中ショッキングな事件に遭遇したら、特に自分が彼女の気を引いたことが事件に遠因となったことを気付き、かつ、兄が自分たちの関係について察知していたかどうか疑心暗鬼になっている弟の主観に思い込みが入って来ないとは言い切れない。愛憎と罪悪感からの逃避と防衛本能が複雑に入り組み、ここまで行くともはや深層心理と潜在意識の領域である。彼は裁判での証言に至るまで相当悩んだはずだ。そして思い切った証言をする。
弟が偏見を取り払い心の底から兄の無実を確認するのは、兄の出所を聞いた7年後に子供時代のフィルムにおいて兄が自分を引き上げるのを見た時である。そこで兄が彼女の腕を掴む様子が彼の脳裏を過り(下の画像左)し、さらに裁判所で兄の腕に彼女の爪が残した傷跡を見たことを思い出す(下の画像右)。事件直後の描写で我々は兄の腕に傷跡を見ている(一番下の画像=客観ショット)。彼女を助けようとしたからこそついた深い傷である。これによって弟同様観客も兄の無実を確信するに至る。
つまり、事件そのものの客観描写は省略しているのは事実であるが、事件について客観的な説明がないといったコメントはまるで根拠がない。
兄の揺れる心境も興味深い。彼は勿論自分が手を下していないことを知っている。しかし、その直前彼を罵倒した彼女に対し自身に殺意が浮ばなかったか、殺意が彼女に恐怖を感じさせ事故に繋がったのであれば殺したに等しいのではないかという疑問が湧いたのではないか。それが因循で口さがない小さな町にいる絶望的な閉塞感と相まって自暴自棄を生み、嘘の自白に繋がっていったということは比較的容易に想像できる。
従って、この映画の理解は観客任せであるとするコメントに僕は全く賛成できない。「兄は無実である」と作者は腕の傷跡について主観と客観を最後に一致させることで明言している。確かに互いに牽制し合っている為兄弟の正確な心理に解りにくいところはあるが、少なくとも重ねられる主観のフラッシュバック(フラッシュバックが全て主観とは限らないことに注意)は相当理詰めで、その有り様(よう)の揺れ具合を追うことは十分以上に可能なのである。
人生という吊り橋で両端にいる兄弟の確執とおのおのの心中の葛藤という純文学的なテーマを、事故か事件かの真相追及なるミステリー手法で大衆的に料理しようとしたのは賢明であっただろうと思う。かくして、セミドキュメンタリー映画的な描写が続く序盤で芽生えた嫌な予感はすぐに払拭され、それ以降売れっ子男優二人の断然優秀な演技もあって心理のせめぎ合いによる緊張が途切れることはない。圧巻と言うべし。
ドラマとしては圧倒的に優秀な本作にはミステリー的に大きな穴がある。無罪を勝ち取る有力な状況証拠になる被告の腕の傷について裁判で取り上げられないことはあり得ないのである。
恐らく同時録音故に台詞に聴き取りにくい部分があるのも残念。
僕の評価は揺れない。
この記事へのコメント
私はかなり揺れまくりましたね(笑)
いろんな解釈が出来て面白い作品だと思いました。
香川さんはもちろん、ご贔屓のオダジョーもいい演技をしたと思ってます。
腕の傷のことだけはちょっと腑に落ちませんでした。
>ご贔屓のオダジョー
そうそう、ミチさんはご贔屓でしたよね。
演技も素晴らしかったです。
>腕の傷
僕は、最初の客観ショットと後半の主観ショットを組み合わせたことにより、作者が明確に無罪を示していると思いましたよ。^^
邦画の場合はどうかしたら台詞がくぐもってしまうんですよね。DVDやテレビ放映だと尚更ですね。日本語の言語発音などとも関係があるんでしょうね。
>被告の腕の傷について
ム、ム 人の心の奥底の揺れる部分に眼が釘つけで、裁判そのものにはそれほどシビアに観てませんでしたね。今度見るときがあったらチェックしておこう。
でもこういう風に内面を描いた作品が最近の邦画ではとんと観られなかったので、嬉しく思った作品でもありました。TBさせてくださいね。
音が大きくできる状況であれば、TVのほうが却って良いです。
というのも映画館のスピーカーは大きいので、男声はこもってしまうことがありがちなわけです。
洋画でも同時録音の場合はあるのではないですかね。アフレコの良い点は音声が明確なことです。^^
>被告の腕の傷
といっても裁判中は見えないんです。
弟のフラッシュバックで、兄が裁判所で連行される時に強調されているわけです。
事件直後に客観で示したショットをここで裏打ちしているんです。普通なら主観を客観で裏打ちするんでしょうけどね、本作は心の揺れがテーマですから、客観を主観が裏打ちしないといけないわけです。
いずれにせよ、素晴らしい作品ですよ。
先ほどCS録画でもう1度観てみました。
>事故か事件かの真相追及なるミステリー
手法で大衆的に料理しようとしたのは賢明
落としたか、落ちたかなんていうのは
あまり重要ではないような。
気がついていらっしゃるかも知れませんが
ほんとこの兄弟、あまり性格が
およろしくない。(笑)
兄に憐憫の情を抱きやすい展開に
なっていますからね~初見では
気づかなかった兄の屈折した心理が
実に心憎い台詞と演出で醸し出されて
いました。
音声。
洋画はうちのTVで17レベル。
本作は38レベルにしないと
オダギリの早口モフモフ台詞は
なに言ってるんだかわかりませんもの。
(--)^^
>落としたか、落ちたかなんていうのは
>あまり重要ではないような。
全くその通りで、事件か事故かは有体に言えば【兄弟の確執】という主題を表現する為の手段であって、主題或いは目的ではないですね。
>兄の屈折した心理
兄が面接の時に「お前は最初から疑って人を信用したことがない」と弟に言い放ちますが、これは弟がどういう態度に出るか彼の賭けだったのだと思います。弟は兄が恐らく半ば覚悟していたように「嘘の証言」をする。
ここは凄いシークェンスだと思いましたねえ。
言いたいことはたくさんありますが、残りはそちらのコメントに回すことにします。^^
>音声
僕専用のTVでは洋画は25くらい、本作の場合は40くらいにしましたね。しかし、夜中はきつい。
聞き取れない台詞は昼間もう一度確認しましたです。
それと、稔の腕の傷は智恵子が彼の腕をつかんでいた証拠にはなるが、稔が彼女を助けようとした証拠にはならないように思えます。彼女の腕に同じような傷があればそういう意味になるんですがね。それでもこの腕の傷について誰も何も話さないというのはオカシイですよね。
(続きます)
>恐らく同時録音故に台詞に聴き取りにくい部分があるのも残念。
今朝、再見して思いましたが、邦画はイヤホンで聴くのがお薦めです。
それでも、橋の上の智恵子のせりふには未だに分からない部分がありましたです。やっぱ、本探さなきゃ
>思いこみを自分が観た事実として証言するっていうのは
ええと、僕の理解では、彼には自分が嘘を言っている認識があるはずです。ただ、兄が助けようとした事実も果たして本当だったのかという疑問がふつふつと沸いているところへ、兄に自分の性格をずばり言い当てられた悔しさが嘘に走らせていった、と僕は理解しています。
そこで第二の問題、それであれほど激昂するかという疑問が出てくるわけですが、これは人それぞれと言うしかないです。^^;
>“落下そのものの客観描写”
フラッシュバックの繰り返しは、観る人によって同じことの繰り返しと思い込み、背景によって意味合いが変わっていることに気づかないんですね。
だから、そういうとんちんかんな意見も出てくるでしょう。
(続くのであります)
僕の【客観的証拠】というのは言いすぎなんですが・・・
直接の証拠にはならずとも状況証拠になるんです。
何故なら、彼は突き飛ばしたと言っているから、そこで付いたとしてもあのように縦に長い傷は絶対付かない。
ならば、彼の自白は嘘であることが解る。
逆に、千恵子の腕にも彼の指の痕跡が付いていないとは限らない。
腕の傷を取り沙汰すれば、検討の末に無罪しかないと僕は想像したわけです。それを端折って客観的証拠と言いきってしまったのです。えへへ。
>イヤホン
ヒアリング訓練用のヘッドフォンを持っていますから、これを使うといいかも。アドバイス、サンキューです。
もうずーーっと前の記事だとわかっているのですが、一つだけ加えたかったんです。
傷跡のことなんですが、あの傷跡は見ればわかるように、すでに完治(つまり白くなっている)傷であって、事件とは直接関係ないんじゃないかなと思います。
むしろ、お兄さんの方が昔自殺未遂していたのではないでしょうか。弟さんももちろんそれを知っていて、それについて何らかの罪悪感を抱いているかもしれません。事件直後、弟さんが橋のところまで走り、お兄さんの腕を引っ張るシーンがあるのですが、その傷跡を隠そうとしているように見えました。それはその傷跡に対する罪悪感か、思い出したくない過去(お兄さんとお父さんのもとを離れたこと。お兄さんにすべての責任を押し付けたこと)と関係ある、と推測しました。
しかし、かなり勝手な推測なので、映画と同時に「ゆれている」視聴者の一人ですので、わかりません^^
ご丁寧な分析有難うございます。
何しろ、事件前の右腕は一切映されていませんから、お説のような考えも十分できますね。
>弟さんが橋のところまで走り
先ほど簡単に保存したDVDで確認しましたら、確かにそういった印象がありますね。
ただ、その一方で、弟の最後の回想による、ヒロインの指が兄の右腕を引っかけながら落ちていくショットの直後に、兄の腕をわざわざ作者が見せたことを考えると、この二つを結びつけないわけにはいけないような気がします。また、傷の位置と指の位置は全く同じようにも見えました。
>完治(つまり白くなっている)傷であって
そう見えますね。
同時に、時系列的に後の後半での傷のほうがやや黒っぽくなっている印象があり、これはどういうことなのかと考えさせられます。
ひょっとして特殊メイクの問題もあるのではないかと考えました。
深い傷によるみみずばれ(?)ではああいう経時変化があるのかなとも。
>勝手な推測
いや、僕の推測に一石を投じてくれました。<(_ _)>
細かな情報を伏せたこういう作品について一人で考えると一面的になるということが解りますね。^^
本作のあれとは全く違うと私は思いますね~。
ためらい傷でもあのような傷跡はつかないし
だいたい切る箇所が違う。
死にたい人が即効果的に切るわけですから
動く手首に近い血管を・・横に・・スパッと。
で、体温と同じくらいの湯水にひたす・・・
プロフェッサー、横レスで申し訳ありません。
こういう別タイプの分析というか見方を
なさる方々がもう一度立ち止まって考える・・・
興味深いコメント欄
読ませていただきました。
そういう意味でも新人監督西川美和嬢は
大した映画をお作りになった!
あらためて私はそう思わざるをえないの。
1回観ちゃって、はい、バイバイって映画ばかり
ですもの~最近は~。(- -)^^
プロフェッサー宅でのコメントの
楽しい行き交いでした~。(ぺこり)^^
>横レス
いやいや、映画はわいわいがやがやすることで理解が増すこともあるので、大いに歓迎であります。
リストカットによる傷については全く想像がつかないのですが、その正否はともかく、僕が全く考えもしなかった視点だったので、勉強になりました。
>西川美和嬢
本作の真相を秘めながらも緻密に作り上げた映像やエピソードの積み重ねを観客がしっかり受け止めると、無制限に理解できるわけでもないですよね。しかし、それがなかなかすんなりと行かないところまで実に手が込んでいる。
仰る通り大した映画です。