映画評「女の都」

☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1980年イタリア=フランス映画 監督フェデリコ・フェリーニ
ネタバレあり

フェデリコ・フェリーニの作品の中では比較的評価の低い作品だが、僕は結構気に入っている。女性への複雑な思いが垣間見える面白さがあるのだ。
 出だしから興味深い。画面外から「マルチェロ、そろそろ始めましょ」という声が掛かる。つまり「8・1/2」以来17年ぶりにマルチェロ・マストロヤンニがフェリーニの分身を演ずることを観客に強く意識させるメタフィクションである。

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MM扮する主人公スナポラツは向いの席に座った巨乳女性(バーニス・ステガーズ)を意識するうちに眠くなり、トイレで激しいキスをした後突然下車した彼女を追う。実は本作は終幕部分を除いてずっと夢である。

女性を夢中で探すうちに見えたホテルに入ってみると、ウーマン・リブの国際大集会の最中で、一番恥ずべき男性と名指しで非難されてすごすごと逃げ出し、妙齢美人(ドナテッラ・ダミアーニ)に送り出されるものの、駅まで送ってくれるはずのいかついおばさんに強ちんされかけ、十代のパンク少女に轢き殺されそうになったところを絶倫男カッツォーネ(巨根博士)に助けられるがその豪快な女性遍歴に声を失った後、彼の1万人目なで切りを記念して開かれたパーティーで妻(アンナ・プリクナル)と出会って興醒めしてしまう。

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どことなく悪漢小説的な展開ではあるが、夢なのでさらに奔放で途方もない方向にお話は進んでいく。
 即ち、女性警察に追われてイルミネーションの滑り台で降りていくとそこは裁判所で、女性に対する罪を告白させられ、有罪なら筋肉女レスラーと闘うことになる。無罪を言い渡された彼は梯子を上って理想の女性を象った気球船に乗るが、船は女性テロリストに破裂させられ何とも醜悪な姿に変じてしまう。

ここで目を覚ました彼の前には妻が座っている。列車は開巻直後と同じように再びトンネルの中に入っていく。
 成人諸君ならお解りのように、列車は男性の、トンネルは女性のシンボルであるから、フェリーニは妻に対して戦々恐々としながらもこの幕切れで女性崇拝を表白していると解釈して良いだろう。
 かくして、様々な趣向を凝らしたお話、独自の様式的美術を通して我々(男性)観客も女性というトンネルに入り、夢の境地に至る。

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「8・1/2」でも部分的に触れられた女性への思いをぐっとストレートに表現した為に彼の諸作の中でも最も猥雑と言える一編だろうが、特徴的で興味深いのは現代的女性像を徹頭徹尾反映していることである。ウーマン・リブ、パンク少女、男性のような肉体を持つ女性レスラー等々、弱々しい男性を圧倒する女たちが次々と出てくる。
 フェリーニは強くなり過ぎた女性に幻滅しつつも、なおも女性に対する賛美を止めようとしない。僕はこの私小説的作品における最大の興味をそこに見出すのだ。

夢から覚めた最後の一幕は本当に“現実”なのかな。

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