映画評「スコルピオ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1973年アメリカ映画 監督マイケル・ウィナー
ネタバレあり
60年代後半面白い作品を連発したマイケル・ウィナーは70年代に入って本数ばかり多くて全く凡庸化した。その時代の典型的な出来栄えのスパイ・サスペンス。
ベテランCIA諜報部員バート・ランカスターが親しい殺し屋アラン・ドロンと共に要人を暗殺するが、ドロンはソ連KGBの二重スパイであるという疑いのあるランカスターを暗殺するというもう一つの指令を果たせない。CIAに麻薬容疑をでっち上げられて脅迫された彼はCIA部員になることを条件に暗殺を引受け、ウィーンに逃亡したランカスターを追うが、結局仕留めることはできない。
その間に連絡を取った妻にCIAの不手際で死なれてしまったランカスターは復讐の為に帰国、CIAのボスを暗殺する。出国間際に再びCIAに足止めを食らったドロンは遂にランカスターを仕留め、さらに裏切ったことを知らされた恋人ゲイル・ハニカットを無情に射殺する。しかし、その彼も暗殺されてしまう。
などとくどくどお話を述べるまでもないスパイ残酷物語で、国家組織の非情を冷徹なタッチで描き上げている。
CIAの無情な裏側を明確なアングルで取り上げるという狙いは良しだが、省略が多くて色々解らないところがあり手に汗を握るところまではいかない。ランカスターの二重スパイもでっち上げなのか曖昧なところがあるし、ドロンが最初の指令を果たせない理由となる友情の程度を測る材料がなく、また彼と内通していたゲイルにしても射殺されるほどの罪を犯したかという疑問が残る。何しろランカスターを殺すのはドロンの役目に過ぎず仇敵だったわけではないからだ。
これらの問題は脚本に帰するが、描写に字足らず的な印象があるのはウィナー自身の責任と言わなければならず、70年代のウィナーの仕事ぶりは相当雑という印象をこの作品でも回避できない。従って、もっと観客の心を打っても良い幕切れが空転するのは脚本家と演出家の共同作業である(笑)。
猫を可愛がるドロンは「サムライ」の小鳥の二番煎じ。しかも、あちらの主人公と違って熱々の恋人が居て孤独ではないので彼が猫を可愛がる様子をそれほど描写する必要性がなく、安易にムードに逃げている印象しか残らない。
米仏の人気俳優二人がスタントマンを使わずにきちんとアクションをこなしているのは大変よろしい。特に製作時59歳のランカスターは相当頑張っていて拍手を送りたい程だ。
1973年アメリカ映画 監督マイケル・ウィナー
ネタバレあり
60年代後半面白い作品を連発したマイケル・ウィナーは70年代に入って本数ばかり多くて全く凡庸化した。その時代の典型的な出来栄えのスパイ・サスペンス。
ベテランCIA諜報部員バート・ランカスターが親しい殺し屋アラン・ドロンと共に要人を暗殺するが、ドロンはソ連KGBの二重スパイであるという疑いのあるランカスターを暗殺するというもう一つの指令を果たせない。CIAに麻薬容疑をでっち上げられて脅迫された彼はCIA部員になることを条件に暗殺を引受け、ウィーンに逃亡したランカスターを追うが、結局仕留めることはできない。
その間に連絡を取った妻にCIAの不手際で死なれてしまったランカスターは復讐の為に帰国、CIAのボスを暗殺する。出国間際に再びCIAに足止めを食らったドロンは遂にランカスターを仕留め、さらに裏切ったことを知らされた恋人ゲイル・ハニカットを無情に射殺する。しかし、その彼も暗殺されてしまう。
などとくどくどお話を述べるまでもないスパイ残酷物語で、国家組織の非情を冷徹なタッチで描き上げている。
CIAの無情な裏側を明確なアングルで取り上げるという狙いは良しだが、省略が多くて色々解らないところがあり手に汗を握るところまではいかない。ランカスターの二重スパイもでっち上げなのか曖昧なところがあるし、ドロンが最初の指令を果たせない理由となる友情の程度を測る材料がなく、また彼と内通していたゲイルにしても射殺されるほどの罪を犯したかという疑問が残る。何しろランカスターを殺すのはドロンの役目に過ぎず仇敵だったわけではないからだ。
これらの問題は脚本に帰するが、描写に字足らず的な印象があるのはウィナー自身の責任と言わなければならず、70年代のウィナーの仕事ぶりは相当雑という印象をこの作品でも回避できない。従って、もっと観客の心を打っても良い幕切れが空転するのは脚本家と演出家の共同作業である(笑)。
猫を可愛がるドロンは「サムライ」の小鳥の二番煎じ。しかも、あちらの主人公と違って熱々の恋人が居て孤独ではないので彼が猫を可愛がる様子をそれほど描写する必要性がなく、安易にムードに逃げている印象しか残らない。
米仏の人気俳優二人がスタントマンを使わずにきちんとアクションをこなしているのは大変よろしい。特に製作時59歳のランカスターは相当頑張っていて拍手を送りたい程だ。
この記事へのコメント
あっ、すみません、ついつい本音が出ました(笑)
ウィナーさん、「狼よさらば」は巧く
さばいていたようが気がしますが
本作はほんとお話がバラケていて
深刻みに欠けるというか必然性が
あまり感じられない内容でしたね。
>アクションをこなしているのは大変よろしい。
走って走って二人とも頑張って走ってましたね~。
そしてカメラがメッタヤタラに動き回らない
追跡シーンを久しぶりに観たような。
今の人が観たらきっとモタモタしてる、とか
言うんでしょうね~。でも、人間ってほんとは
ああじゃないのかなぁ~。
最新ボンドやJ・ボーンなんて
オリンピックの陸上選手みたい。
で、もって、例の如くカメラが
ブインブインだし・・・
>「狼よさらば」
70年代に入って作ったウィナーが一番上手く作った作品ではないかと。
後はてんで適当な犯罪映画ばかりになっていますね。
なんて言っていますが、僕がウィナーを初めて観たのはこの「スコルピオ」からで、60年代の作品は後から観たのですけどね(笑)。
>必然性があまり感じられない
お話の為のお話なんですね、やはり。
ゲイルを殺す理由なんてないはずなんですがね。
しかし、お二人さんが頑張っているので★一つ進呈!
>モタモタしてる
それがリアルさであり、その範囲で迫力が出るように努力したのが当時の作品。土台がしっかりしている。
今のようにふらふらカメラで撮ったものを切り刻んで繋ぎ合せ、迫力があるように誤魔化そうとしているのとは違いますね。
現在は土台がしっかりしているいないに関係なく、目が痛くならんばかりにショットを繰り出しますが、実は何をやっているのかさえよく解らない描写が多い。
言わば劇画的な編集。
こんなことで良いのかな、映画というものは?
オカピーさんっ!またまた、ハリウッド・ドロンですね。
でも、6点かあ。残念です。
しかし、読ませていただくと、納得せざるを得ませんね。なるほどなあ。ドロン・ファンとしても、このような客観評を読むのはためになりますよ。
ウォルター・ミリッシュ・プロの作品なので、わたしは「夜の大捜査線」のシドニー・ポワチエとロッド・スタイガーを思い出してしまうんです。
どちらも社会に対する反骨が強いですよね。
ちょうど、アメリカン・ニューシネマとアクション映画全盛期、「フレンチ・コネクション」や「ダーティ・ハリー」、チャ-ルズ・ブロンソン、スティーブ・マックイーンなどの・・・全盛期。ドロンがハリウッドを意識して当然の時代を迎えていました。
それから、ポワチエの作品ってドロンの作品との共通点が多いような気がしてるのです。ラルフ・ネルソンやジョアンナ・シムカスとも映画を撮っているし。
わたしは、あとドロンが、ジョセフ・ロージー監督の「暗殺者のメロディ」に同時期に出演していることが印象に強いんです。東西どちらの殺し屋も演じたドロン、ここまで徹底していろんな殺し屋を演じたことは「殺し屋」役者の冥利につきるんじゃあないかな。
「スコルピオ」は、作品としては、オカピーさんのおっしゃるとおりですけれど、ハリウッドでのドロン作品としては、一番ドロンらしさで勝負できた作品のようには思っています。
では、また。
>6点
すみません。
良い点とは言えませんが、観るべきところはあったという点ですね。
7点ならば、作品のタイプによって違いますけど、かなりご機嫌になっていると思って良いでしょう。^^
>ミリッシュ・プロ
腹蔵なく申して、全く意識したことのない製作者です。^^;
当時で言えば、カルロ・ポンティとかラウレンティスなんてのは意識せざるを得ない製作者でしたが。
この辺り、トムさんは徹底しています。
>ポワチエ
言われてみるとそうですね。
どうでも良い話ですが、シムカス嬢とは年がかなり離れていたような気がしますなあ。
>「暗殺者のメロディ」
ふーむ、ジョゼフ・ロージーはまだ取り上げていない・・・かな?
これも少年時代以来再鑑賞したい作品ですが、トムさんと豆酢さんが控えてらっしゃるので、ちょっと書きにくい。(笑)
>ドロンらしさで勝負できた作品
イエス・サーですね。
ハリウッドでのドロンは「テキサス」みたいにちょっとだらしない役が多かったですから。
「スコルピオ」取りあげましたので、TBします。
>現在は・・・目が痛くならんばかりにショットを繰り出し・・・実は何をやっているのかさえよく解らない描写が多い。・・・劇画的な編集。
そんな「オカピーコメント」に刺激を受け、ラスト・シークエンスを繰り返し観て、トム(Tom5k)のモンタージュ講座の記事としました(笑)。
わたしは、この作品のラストの編集なかなか良いと思いましたよ。ある意味劇画的ですが、音響とサイレントとセリフのバランスなど基本的な映像表現となっていたようにも思えました。
もちろん、全体を通してしまえば「オカピー評」の通りでしょうね。そして、一番の難点はドロンとゲイル・ハニカットとの関係のプロットの「雑」さでしょうね。「かわいい女」のキャラクターから、悪い女優さんじゃないはずと・・・もったいなかったですよね。
では、また。
ウェブリーのメンテ等でレスが遅くなりました。<(_ _)>
>劇画的
現在のカット割りは、カット割りというよりはとにかく観客に格好良さだけを感じさせるのを目的としているようで、2秒未満の短いショットをアップで繋いでいくので、アクションの主が何をしているか雰囲気でしか伝わってこないんですよね。あれはまるでコマで割られた劇画を観るような感覚で、コミック育ちの人々が映画を作るとこうなるのかなという印象が強いです。
その正反対がスピルバーグで、観客が全体像を捉えやすいようにロングでじっくり撮る。格好良さなんて求めない。最近スピルバーグへの非難が、自分が観たいものを見せてくれないといった理由で、激しくなっていますが、とんでもないことです。
本作のマイケル・ウィナーも職人的でカット割りは上手い。本作は脚本がちょっと足りない気はしますけど、今から思うと随分“映画的”でしたなあ。
>モンタージュ講座
僕みたいに普段は俯瞰的に捉えている人間でも、たまに細かく書きたくなる映画もありますよ。