映画評「雨の味」

☆☆(4点/10点満点中)
2006年シンガポール映画 監督グロリア・チー
ネタバレあり

NHKアジア・フィルム・フェスティバル参加作品。シンガポール映画は初めて観るが、監督グロリア・チー、出演者共に中国系で、話される言語も北京語。

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心を閉ざしている若者シャオチー(ナサニエル・ホー)は幼馴染コンロン(トレイ・ホー)と同居中。不眠症気味で彷徨していたある夜、手に傷を負った少女リア(リア・ロウ)と知り合い、心惹かれて動向を伺ったりするのに、彼女の求愛に動揺して返事に窮してしまう。

という物語で、その間に彼の脳裏を何度か過る少年時代のフラッシュバックにより、ある雨の夜男の元に走って母親に捨てられたことから他人に対して心を閉ざし、その日からコンロンと支え合って生きてきたこと、そのせいで雨の降る前に漂う匂いが嫌いになったことが判って来る。彼女に心を開けないのもそうした背景があるのだ。
 一方、彼女は父親に殴られる日々から救ってくれる誰かを求めている。勇気を奮い起した彼は彼女を迎えに行く。かくして似た者同士の二人は結ばれ、コンロンは部屋を出ていく。

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シャオチーの心情がパズルを組み立てるように明快になっていく内容は文学的な見地からはなかなか良く出来ているが、主人公の内面モノローグ的なナレーションを多用した手法は感心できない。ナレーションを使うと説明的になりどうにも味気なくなってしまうのだ。手抜きと言われても仕方がなく、現在全世界な規模のナレーション正確にはナラタージュの流行には目を覆いたくなる。映像と物語構成によりテーマやメッセージを浮かび上がらせるのが映像作家の仕事ではないか。

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その一方で、台詞が少ない上に必要のないスローモーションを使ったりムードだけが際立つ。ムードは映画において重要な要素だからそれ自体は一向に問題でないが、そこに登場人物の心理若しくは感情が沈潜しないとミュージック・クリップ的な空虚な映像になり鑑賞者の琴線に響くことはない。まして、本作は失望したことに深みの出ないビデオ撮影だからその傾向が加重され、退屈を誘発する。
 そもそも主人公がヒロインのもとに駆けつける終盤の場面にスローモーションを使うのも考えにくい。本来なら主人公の意志や焦る心を表現する為にスピードを表現すべき箇所である。スローという手法でスピードを表現したかったのなら勘違いも甚だしい。

展開の合間に挿入される景観は美しい。若々しい感性には見るべきものもあるから、こうしたショットから登場人物の心情が浮き出るような力量を身に付けて戴きたいものである。

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