映画評「影武者」
☆☆☆☆★(9点/10点満点中)
1980年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明第26作は武田信玄を中心とした権謀術数を描く戦国絵巻である。若い時御大には<応仁の乱>を映像化するアイデアがあったらしいので、本懐を遂げた形と言って良いのだろう。
元亀四(1573)年、信玄(仲代達矢)が徳川家康の家臣の放った銃弾により負傷、やがて他界する。重臣たちは遺言に従ってその死を三年間隠すことに腐心、本人も長い間影武者を務めた弟・信廉(のぶかど=山崎努)が拾って来た盗人(仲代二役)を影武者に立てる。
不埒な盗人も信玄の死体がこっそり諏訪湖に沈められるのを見て自覚が出来、三年間の役目を全うしかけるが、荒馬から落下したのが運の尽き、正体を側室(倍賞美津子、桃井かおり)たちに知られて追放される。
雨の中を追放されるシーンが哀れを誘うが、ここから映画は忠臣よろしく武田軍勢を追いかける盗人の視点で描かれるクライマックスを迎える。
動かざる山・信玄を名実共に失って功を急ぐ実子・勝頼が拙速に動いて織田信長と家康の繰り出す鉄砲隊の前に惨敗する長篠の戦い、これなり。盗人も、人馬が死屍累々と横たわる中を敵兵に近づいて倒される。信玄に対する事実上の殉死である。
信玄の「三年間死を秘匿すること」という遺書に基づき虚実を織り交ぜて描き上げた大スペクタクルで、お馴染みの武将の面々が互いに繰り出す誠に興味尽きない権謀術数のうちに信玄の武将としての大きさが浮かび上がるのとは対照的に、三年間影武者を務めながら尊敬されることもなく放逐される盗人の哀れが戦国時代の残酷をえぐり出す。
故人と影武者のほうが重要視される現実に勝頼が冷静さを失い、やがて重臣たちの進言に耳を傾けず独断で負け戦に向っていくのも史実と絡み合わせて誠に興味深い。
日本の戦国時代についてさほど詳しくないので精度についてはとやかく言えないが、映画としては短いと言えないもののTVの時代劇に比べて遥かに短い3時間という限定された長さの中で繰り広げられる権謀術数の面白さ、性格描写の面白さは日本の戦国絵巻ものとして他に類がない。それを支えるのは無数のエキストラを擁した戦闘場面の迫力で、大量に盛り込まれる騎馬アクションは実写の手本と言うべし。
ディテイルにも面白いところが多い。
まず、終盤盗人が観る悪夢。彼としては影武者という大役を降りたいので信玄から離れていこうとするが、影だけに信玄が動くとそちらに引き寄せられてしまう。つまり、彼は潜在意識の中で自らのアイデンティティーを失っていることにもがき苦しんでいるのだ。
或いは、久しぶりに会って「変った」と連発する側室たちをうまく丸め込んだ後影武者が去る場面での影も絶妙に扱われている。彼が去るに連れて影は次第に大きくなり、やがて影だけが残る。意味深長で真意は解りかねるが、彼が真の影武者になったことを示すと理解したら当たらずとも遠からずであろう。
唯一気に入らないのは、影武者が信玄らしく【山のように動かない】ことを要請される夜の合戦模様。夜なので様子が把握しにくい割に些か長すぎはしないだろうか。撮影技術の素晴らしさは別にして、解り難いなあと思ううちに些か退屈感が出てくる。
中盤敵のスパイたちが薪能を見物する信玄(実は影武者)を見守る場面も冗長に思えるが、ここにはスパイたちが納得する為に必要な長さであることを次第に理解させてしまうだけの強い描写力がある。
配役では、勝新太郎のピンチヒッターとして力演した仲代達矢は本来知的なムードの役者なので、信玄はともかく盗人役は似合わず、必ずしも適材適所とは言いにくい。
木下恵介が甲斐武田氏の隆盛と滅亡を描いた異色時代劇「笛吹川」と併せて観よう。
1980年日本映画 監督・黒澤明
ネタバレあり
黒澤明第26作は武田信玄を中心とした権謀術数を描く戦国絵巻である。若い時御大には<応仁の乱>を映像化するアイデアがあったらしいので、本懐を遂げた形と言って良いのだろう。
元亀四(1573)年、信玄(仲代達矢)が徳川家康の家臣の放った銃弾により負傷、やがて他界する。重臣たちは遺言に従ってその死を三年間隠すことに腐心、本人も長い間影武者を務めた弟・信廉(のぶかど=山崎努)が拾って来た盗人(仲代二役)を影武者に立てる。
不埒な盗人も信玄の死体がこっそり諏訪湖に沈められるのを見て自覚が出来、三年間の役目を全うしかけるが、荒馬から落下したのが運の尽き、正体を側室(倍賞美津子、桃井かおり)たちに知られて追放される。
雨の中を追放されるシーンが哀れを誘うが、ここから映画は忠臣よろしく武田軍勢を追いかける盗人の視点で描かれるクライマックスを迎える。
動かざる山・信玄を名実共に失って功を急ぐ実子・勝頼が拙速に動いて織田信長と家康の繰り出す鉄砲隊の前に惨敗する長篠の戦い、これなり。盗人も、人馬が死屍累々と横たわる中を敵兵に近づいて倒される。信玄に対する事実上の殉死である。
信玄の「三年間死を秘匿すること」という遺書に基づき虚実を織り交ぜて描き上げた大スペクタクルで、お馴染みの武将の面々が互いに繰り出す誠に興味尽きない権謀術数のうちに信玄の武将としての大きさが浮かび上がるのとは対照的に、三年間影武者を務めながら尊敬されることもなく放逐される盗人の哀れが戦国時代の残酷をえぐり出す。
故人と影武者のほうが重要視される現実に勝頼が冷静さを失い、やがて重臣たちの進言に耳を傾けず独断で負け戦に向っていくのも史実と絡み合わせて誠に興味深い。
日本の戦国時代についてさほど詳しくないので精度についてはとやかく言えないが、映画としては短いと言えないもののTVの時代劇に比べて遥かに短い3時間という限定された長さの中で繰り広げられる権謀術数の面白さ、性格描写の面白さは日本の戦国絵巻ものとして他に類がない。それを支えるのは無数のエキストラを擁した戦闘場面の迫力で、大量に盛り込まれる騎馬アクションは実写の手本と言うべし。
ディテイルにも面白いところが多い。
まず、終盤盗人が観る悪夢。彼としては影武者という大役を降りたいので信玄から離れていこうとするが、影だけに信玄が動くとそちらに引き寄せられてしまう。つまり、彼は潜在意識の中で自らのアイデンティティーを失っていることにもがき苦しんでいるのだ。
或いは、久しぶりに会って「変った」と連発する側室たちをうまく丸め込んだ後影武者が去る場面での影も絶妙に扱われている。彼が去るに連れて影は次第に大きくなり、やがて影だけが残る。意味深長で真意は解りかねるが、彼が真の影武者になったことを示すと理解したら当たらずとも遠からずであろう。
唯一気に入らないのは、影武者が信玄らしく【山のように動かない】ことを要請される夜の合戦模様。夜なので様子が把握しにくい割に些か長すぎはしないだろうか。撮影技術の素晴らしさは別にして、解り難いなあと思ううちに些か退屈感が出てくる。
中盤敵のスパイたちが薪能を見物する信玄(実は影武者)を見守る場面も冗長に思えるが、ここにはスパイたちが納得する為に必要な長さであることを次第に理解させてしまうだけの強い描写力がある。
配役では、勝新太郎のピンチヒッターとして力演した仲代達矢は本来知的なムードの役者なので、信玄はともかく盗人役は似合わず、必ずしも適材適所とは言いにくい。
木下恵介が甲斐武田氏の隆盛と滅亡を描いた異色時代劇「笛吹川」と併せて観よう。
この記事へのコメント
>「一番美しく」・・・木下恵介は黒澤のベスト
おおっ!そうですか!いや、確かに。
チャップリンでさえ、戦時国債のキャンペーン映画を撮っていますものね。映画の天才がぎりぎりのところで抵抗した側面もあるのかもしれませんね。確かに黒澤監督は、レニ・リーフェンシュタールやエリア・カザンのようなところにはないでしょうね。
>作り手はバランス感覚、鑑賞者はフレキシビリティ・・・ゴダールには不満・・・【映画批評ってどんなモンダイ!】でトムさんのゴダール論
お恥ずかしいです。確かにわたしもゴダールは好きではないのですが、逆にゴダール擁護のようなものになってしまいました。イエローストーンさんとの議論のときもそうなのですが、基本的に賛同できる意見などに対して逆に疑問が生じてしまう変な癖が、わたしにはあるようです。批判にはより根拠が必要であるような気がしたり、客観評価への憧れがあったりしてしまうんですよね。
また、それだけ映画とういう文化が奥深いからなのかもしれません。
さて、「影武者」ですけれど、これは高校生のとき父親と観にいきました。上記の三人の写真のシークエンスが強烈で、映画ファンといえども、このインパクトはめったに受けられない貴重な経験でした。
おしゃるとおり、三船が出演していない、勝新が降板したこと、テーマに先見性がありすぎたり、当時、正確にこの作品を理解できていたかどうか?
いくら魅力的な指導者でも盲信し信奉してしまうと、やはりそれは犬死の結果になるんでしょうね。
考えると黒澤監督も画家を目指していた時代の左翼思想、「一番美しく」の国策映画、「トラ・トラ・トラ」でのハリウッドとの確執・・・
黒澤監督もこの影武者のように魅力あるものに魅かれて、自ら拘泥し苦悩した経験から完成していった作品なのかもしれません。
巨匠といわれていても、そこに垣間見えるのは感受性が豊かでデリケートな映画青年の姿なのでしょうね。
「影武者」は珍しく黒澤監督の苦悩が結晶化した作品だったように思います。
では、また。
>「一番美しく」
作劇の素直さから言えば、これを含め(笑)初期の3作が抜群だと思います。
国策映画なりに観客が金を払って観るだけのレベルの作品を作ろうとしたのは十分伺え、そのまま戦争色を抜いてしまえば、スポ根ドラマでしたよね。
贔屓目かも知れませんが、額面通りに受け取って良いのかという気がしないでもないのでした。
>基本的に賛同できる意見などに対して逆に疑問が生じてしまう変な癖
面白い癖ですね(笑)。
冗談はともかく、要は自己における論理の整理であり、相手からもっと論理性を引き出したいという思いでしょう。僕は抽象的な議論はかなり苦手ですが(笑)。
続きますです。
そうですね、一人二役とメークで三人の揃い踏みですから、誰しも「何が始まったんだ!?」と思ったでしょうね。
こういう映画の嘘は楽しい。双子がやってもつまらない(笑)。
トムさんとして一人二役というアラン・ドロン的興趣にも満ちた作品として、その頃はまだそういう想念が出来ていなかったにせよ、そそられた作品ではないですか?
トムさんのコメント後半部分は難しいところですが、僕としては、初めての時代絵巻ものを作りながら、武将を主人公にせず盗人出身の影武者というキャラクターを利用し卑小な存在である人間に下降していく視線に黒澤らしいヒューマニズムが維持されているなあと思いましたね。その意味で新しくもあり、旧来通りでもある、という思いを抱かせる作品です。
>感受性が豊かでデリケートな映画青年の姿
「虎の尾を踏む男達」の前に<応仁の乱>をテーマに戦国絵巻を作ろうとしたらしいですが、その時代のナイーブさと熱情が恐らく本作を作る時にも同じようにあったのでしょうね。
>信玄を名実共に失って功を急ぐ実子・勝頼
鉄砲隊の前で次々に倒れていく武田騎馬軍団。歯を食いしばって悔しそうな顔をするショーケンの演技がいいですよね。
>仲代達矢は本来知的なムードの役者なので、信玄はともかく盗人役は似合わず
やはり勝新太郎が演じる方が良かったでしょうか?
>宮城県と福島県で最大震度6強
先ほどニュースで見て驚きました。
>ロシア軍が病院を占拠
患者や住民ら400人を人質に。酷過ぎです!
>歯を食いしばって悔しそうな顔をするショーケンの演技がいいですよね。
ショーケンというアナーキーな雰囲気を漂わす人を、正統的な時代劇の武将役に使うというアイデアが面白かったデス。
>やはり勝新太郎が演じる方が良かったでしょうか?
盗人役にはふさわしいけれど、武田信玄の格調はどうかという気がしないでもなく、一長一短のような気がしますね。
>先ほどニュースで見て驚きました。
11年前の地震の余震でしょうかねえ。
震源が深い為に長く続き、布団の中で固まっていました。
>患者や住民ら400人を人質に。酷過ぎです!
20世紀前半ならともかく、21世紀の現在、国連の理事国でもある大国がこんなデタラメをやるなんて信じがたい思い。
ロシアがウクライナを捉まえて言っている、ナチだの、テロだのは、自分のことを言っているようですね。我が国の右派もよくそういう発言をしますよ。
ロッキー山脈、その他の景色が美しかったです。
出演する役者たちもあまりイケメンとは言えない曲者俳優が多かったです。
>ショーケンというアナーキーな雰囲気を漂わす人
70年代という雰囲気に合ってた人でした。
>11年前の地震の余震でしょうかねえ。
数年後、また起きるのでしょうか?
>21世紀の現在、国連の理事国でもある大国がこんなデタラメをやるなんて信じがたい思い。
「絞首」で見せしめ公開処刑。無茶苦茶です!
>1月にBSから録画した「去り行く男」を見ました
映画評あります。下記にURLを添付しましたので、ご参考にどうぞ。
デルマー・デーヴィスという監督は、環境描写に秀でた監督で、彼の西部劇はいつも風景が美しいです。
https://okapi.at.webry.info/201810/article_22.html
>数年後、また起きるのでしょうか?
どれが本震でどれが余震か解りませんよね。
熊本のように余震の方が大きいということもあります。
しかし、自然に殺される方が、弾丸や生物化学兵器で殺されるより、まだましでしょう。
>「絞首」で見せしめ公開処刑。無茶苦茶です!
まだ未確定の情報。
イラクの大量破壊兵器のように誤情報であることを願います。
黒澤明監督の「影武者」は、カンヌ国際映画祭で、ボブ・フォッシー監督の「オール・ザット・ジャズ」と共にグランプリ(現在のパルムドール賞)を受賞しましたが、私個人の好みから言えば、断然「オール・ザット・ジャズ」の方が、グランプリの受賞に値する作品だと思っています。
この映画「影武者」は、権力に対する皮肉を優れて絵画的な映像美で、全ては夢と幻想であるというモチーフで描いた黒澤明監督の力作だとは思いますが--------。
言うまでもなく、日本が誇る世界的な巨匠、黒澤明監督作品。
1980年度第33回カンヌ国際映画祭で、この映画「影武者」は「オール・ザット・ジャズ」(ボブ・フォッシー監督)と共に、グランプリを獲得した作品です。
当時の海外での評価は異常に高く、本物(存在)と影(外見)という西洋哲学的な主題を、"東洋的な虚無感"と"古典的な様式美"、そして"凝結した躍動美"で映像化する事に成功したと絶賛されました。
また、"輝くばかりのオペラ"、"死の美学"、"映画的勇壮"とも評され、フランスのル・モンド紙は、「映画を見終わった後、全ては夢と幻想であるという作者の声が聞こえてくる」と最大限の賛辞を贈っています。
特に画家を志したという黒澤明監督の、壮麗で豪華な絵画を思わせる絵巻物のような、全編を通しての美しい映像には圧倒されます。
いずれにしても、当時の製作費として14億5,000万円、撮影日数292日、3時間に及ぶこの黒澤作品は、やはり映画史的にも価値のある力作だと思います。
そこには、「羅生門」「七人の侍」「蜘蛛巣城」「隠し砦の三悪人」「用心棒」「椿三十郎」といった黒澤時代劇の"影"を見る事が出来るような気がします。
その"影"は重厚であって、勇壮な男の世界が、その根底にある悲しさや優しさというものを秘めて、迫力があり、しかも優れて造形的な映像美で、黒澤独自の入念な"完璧主義"をもって描かれていると思います。
しかし、この作品が同じ黒澤明監督の珠玉の名作「生きる」のように、素直に私の心に響いて来ないのは、脚本(黒澤明、井手雅人)にかなり無理があるからではないかと思います。
まず、処刑されかかっていた小悪党の泥棒(仲代達矢)が、一度会っただけの武田信玄に心服して、その亡き主人のための"影武者"として、何故、武田家のためにその身を捧げようと決意したのかという事が、説得力に欠けるという面があります。
信玄の水葬の場面はうまく描かれていたと思いますが、だからといって、小悪党が滅私の"影武者"になる心理的動機とはならないような気がします。
また、信玄が、「われ死すとも三年は喪を秘し、領国の備えを固め、ゆめゆめ動くな」と遺言して死にますが、三年に限られた理由と、その後の武田家一門の政略、特に息子の勝頼の立場がどうもはっきりしません。
だから、"影武者"の役割もはっきりしないのだと思います。
また、"影武者"が落馬して、本物ではないという事がバレて側室達が騒ぎ立てますが、"影武者"である事は近習達も知っているのだから、武田家のために側室達を黙らせられないはずがない----といった幾つかの点に筋立ての不自然さが目立ってしまいます。
脚本がもう少しうまく書けていれば、亡くなった"本物"に代わる"影"が持つ、虚実取り混ぜた人間的な面白さと、問題の深刻さをもっと掘り下げる事が出来たのではないかと惜しまれてなりません。
本来、"本物"あっての"影"ではありますが、小悪党の"影"は、場合によっては天下を獲る大悪党の"本物"になる事も出来るはずです。
"影"が、"本物"になり切って決断を下す場面に、この映画のもつ危険な本質がチラリと現れている気がしますが、映画はそこは深く掘り下げずにそのままに終わっています。
この"影武者"のような役は、ケレン味のない仲代達矢よりは、やはり当初のケレン味があって、あくどい個性の勝新太郎が演じた方が、やはり適役だったなという気がして、返す返すも勝新太郎が降板したのが残念でなりません。
演劇、そして映画そのものが考えてみれば、"本物"を真似る"影"であり、役者はいくら"本物"に近づけて演じたとしても、決して"本物"にはなりえない"影"なのだと思います。
しかし、演技によっては、本物以上の存在になる事も出来るのです。
>海外での評価
海外の方は、日本映画を語る時、異国情緒を異様に高く評価に要素にしてしまうので、当てにならないことがありますね。
とは言え、僕は、黒澤のカラー映画の中では一番好きでしょうか。