映画評「華麗なるギャツビー」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1974年アメリカ映画 監督ジャック・クレイトン
ネタバレあり
35年前にロードショーで観て以来の再鑑賞になる文芸大作である。当時はまだパンフレットを買っていた。200円くらいだっただろうか。300円だったかもしれない。ロードショー料金は700円(学割)だった。
本作の原作者であるF・スコット・フィッツジェラルドが自ら名付けたジャズ・エイジ即ち第一次大戦終了後から始まる好景気に沸く1920年代アメリカの悲劇を描いている。脚本はフランシス・フォード・コッポラ。
従妹デイジー(ミア・ファロー)が富豪の夫トム・ブキャナン(ブルース・ダーン)と過しているニューヨーク郊外のロングアイランドに中西部から越してきた証券マン、ニック(サム・ウォーターストン)が、彼の家の隣で日夜パーティーが繰り広げられる白亜の豪邸に住む主ジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)に興味を持つ。
やがて、ギャツビーが戦争へ行っている間にトムと結婚した昔の恋人デイジーを取り戻そうと密造酒の販売や麻薬取引などで金持ちになり、チャンスを狙っていることが判って来るが、トムの車を運転するデイジーが接近してきたトムの浮気相手マートル(カレン・ブラック)を轢き殺すという事件が発生、ギャツビーは嘘を教えられた彼女の夫ウィルスン(スコット・ウィルスン)に射殺されてしまう。
女好きのトムとマートル、純情なギャツビーとデイジーによる二重の不貞という糸が縺れた挙句の悲劇なのだが、金目当ての結婚をしギャツビーが死んでも結局挨拶の一つもないデイジーや軽薄なトムといった人物を通してこの時代のアメリカ上流階級の身勝手さが浮き彫りにされていく。
同じ階級出身のギャツビーに共感を覚えていくしがない証券マン、ニックを傍観者的語り手として進行する原作にかなり忠実な映像化で、僕が映画館で観たバージョンより3分長い144分という長さを擁して、20年代的な華美な衣装やパーティーの乱痴気騒ぎにより濃厚な退廃ムードを醸成しているが、ジャズ・エイジの熱っぽさはさほど感じられず、その意味で英国人ジャック・クレイトンの演出はピントを外している。
そこが些か不満だが、サム・ウォーターストンを頂点として配役はなかなか宜しい。但し、庶民的なミア・ファローに我儘な上流階級の女性は些か似合わず、ミスキャスト。寧ろ新人で実力不足ながら、本作で女性ゴルファーに扮したロイス・チャイルズのほうが余程それらしい。彼女は4年後「ナイル殺人事件」で殺される上流令嬢を演じ、ミア・ファローが貧しい友人役で共演していた。こちらのほうが正しいキャスティングだ。
1974年アメリカ映画 監督ジャック・クレイトン
ネタバレあり
35年前にロードショーで観て以来の再鑑賞になる文芸大作である。当時はまだパンフレットを買っていた。200円くらいだっただろうか。300円だったかもしれない。ロードショー料金は700円(学割)だった。
本作の原作者であるF・スコット・フィッツジェラルドが自ら名付けたジャズ・エイジ即ち第一次大戦終了後から始まる好景気に沸く1920年代アメリカの悲劇を描いている。脚本はフランシス・フォード・コッポラ。
従妹デイジー(ミア・ファロー)が富豪の夫トム・ブキャナン(ブルース・ダーン)と過しているニューヨーク郊外のロングアイランドに中西部から越してきた証券マン、ニック(サム・ウォーターストン)が、彼の家の隣で日夜パーティーが繰り広げられる白亜の豪邸に住む主ジェイ・ギャツビー(ロバート・レッドフォード)に興味を持つ。
やがて、ギャツビーが戦争へ行っている間にトムと結婚した昔の恋人デイジーを取り戻そうと密造酒の販売や麻薬取引などで金持ちになり、チャンスを狙っていることが判って来るが、トムの車を運転するデイジーが接近してきたトムの浮気相手マートル(カレン・ブラック)を轢き殺すという事件が発生、ギャツビーは嘘を教えられた彼女の夫ウィルスン(スコット・ウィルスン)に射殺されてしまう。
女好きのトムとマートル、純情なギャツビーとデイジーによる二重の不貞という糸が縺れた挙句の悲劇なのだが、金目当ての結婚をしギャツビーが死んでも結局挨拶の一つもないデイジーや軽薄なトムといった人物を通してこの時代のアメリカ上流階級の身勝手さが浮き彫りにされていく。
同じ階級出身のギャツビーに共感を覚えていくしがない証券マン、ニックを傍観者的語り手として進行する原作にかなり忠実な映像化で、僕が映画館で観たバージョンより3分長い144分という長さを擁して、20年代的な華美な衣装やパーティーの乱痴気騒ぎにより濃厚な退廃ムードを醸成しているが、ジャズ・エイジの熱っぽさはさほど感じられず、その意味で英国人ジャック・クレイトンの演出はピントを外している。
そこが些か不満だが、サム・ウォーターストンを頂点として配役はなかなか宜しい。但し、庶民的なミア・ファローに我儘な上流階級の女性は些か似合わず、ミスキャスト。寧ろ新人で実力不足ながら、本作で女性ゴルファーに扮したロイス・チャイルズのほうが余程それらしい。彼女は4年後「ナイル殺人事件」で殺される上流令嬢を演じ、ミア・ファローが貧しい友人役で共演していた。こちらのほうが正しいキャスティングだ。
この記事へのコメント
実はフィッツジェラルドの原作が大好きなんですが、村上春樹氏によると、この物語は:
1.志において高貴であり
2.行動スタイルにおいては喜劇的(滑稽)であり
3.結末は悲劇的である
・・・という点が、非常に「アメリカ文学らしい」とのことです。
「ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック」というエッセイで、そう語られていました。
映画の方はフィッツジェラルドの良くも悪くもややキザでもってまわった描写が、アッサリとした形にまとめられてしまい、ちょっと物足りなさも感じましたが、でも全体的な雰囲気は原作のイメージに忠実に再現されている気がします。
この映画のロバート・レッドフォードは本当に素敵ですね。
でもミア・ファローはやっぱりちょっとミスキャストな印象で、オカピーさんのご意見に共感です。(よく意見が合いますね 笑)
>村上春樹氏
確か「偉大なギャツビー」の新訳を起こしたんですよね?
僕は野崎孝氏の翻訳で読みましたが、映画版は大体同じでしたね。
>・・・という点、非常に「アメリカ文学らしい」とのことです。
ふむふむ、確かにそんな感じがしますよ。
ヘミングウェイの「老人と海」なんか見事に当てはまるでしょう。
>アッサリとした形
監督のジャック・クレイトンは英国出身。
ジャズ・エイジという米国独自の狂躁状態が肌で理解できていなかった部分があるような気がします。80年代後半の日本のバブルと似た感じだったのかな。
>ロバート・レッドフォード
敢えて触れませんでしたが、予想以上の適役でした。
>ミア・ファロー
でしょう!
彼女はやはりミア・“フォロー・ミー”・ファローですよ。
当時の学割料金は覚えてませんが、座った席は右側の真ん中あたりで見ていた記憶は残ってます。ミス・キャストという指摘と重なるところがあって、ある意味とても印象に残る映画でした。記憶に残る当時の感想(今もそれほど変わってなかった)
>庶民的なミア・ファローに我儘な上流階級の女性は些か似合わず、ミスキャスト。
私も上流階級の女性にミア・ファロー? ちょっとイメージ違うだろう? おかしくないか?って思ったけれど、見ているうちにそれほどのミス・キャストとも思えず観れました。
ギャツビーにとって、デイジーは彼には手の届かない上流階級の高嶺の花であって、デイジーのいるところにまで自分も昇ろうする彼の野心であり夢でもあったわけで、彼は結局は幻想の中のデイジーを愛していた。デイジーとの恋を成就させることが彼にとっては自己実現の全てだった。すっごい階級社会の壁を感じました。
夢の中の女性。そういう意味では、ミア・ファローの肉感の無さとか現実感の希薄な雰囲気が、案外とはまっているのかもって思えてきました。
それにデイジーの本性って、娘に「女の子はお馬鹿さんがいいのよ」って教え、涙流しながら男の出方を見極めている女の狡さを身に備えていて、根性も愛よりも金で卑しいでしょ? そんなデイジーとミア・ファローの根性とが重なって見えました。
だからミア・ファローのデイジーは、適役かどうかは別にして私にはなかなか面白いキャスティングでした。
この映画の数年前に「ローズマリーの赤ちゃん」でミア・ファローを初めてみて、そばかすだらけで、けったいな顔の、でもどっか魅力のある女優だわって、案外とこの作品で彼女には好印象持ってたところもあるでしょうね。
逆にギャツビーの対しては、お前の人生とはこんな女のために捧げるために終ってしまったのか!(そう思えたのも、ミア・ファローだからだったかも知れない。)
階級の壁は高く厚いけれど、ギャツビーが夢見たロマンとはこんなちっぽけなもの過ぎなかった! とてもやるせない哀れが苦い後味として残った映画として、非常に印象に強く残った映画でした。
ギャツビー演じたレッドフォードは適役だったけど、美しいアメリカ男の代名詞みたいに言われ過ぎ、この映画でかなり長い間レッドフォードにアレルギー反応を持ってしまいましたわ(笑)
おおっ、超大作!
僕の本文より長いかもです。^^
>座った席は右側の真ん中
げげっ、そんなことまで憶えているということは最初から結構印象深い作品だったのでしょう。
当方は700円時代にかなり映画館に通ったので、金額の方はよく憶えています。
>ミア・ファロー
上流階級という柄でもないし、ましてファム・ファタールじゃないですよね。
大昔に既にその道40年だった映画批評家・津村秀夫氏が「べディ・デーヴィスくらいの実力がないと」などと仰っていましたが、実力はともかく、余り悪女然としすぎていてもダメなような気もするので、デーヴィスでは強すぎる。とにかく、かなり難しい役です。
「イヴの総て」で先輩女優を何気なく蹴散らしてしまうアン・バクスターが良いかも・・・って、すっかりトムさんとたまにやる【幻想映画館】状態に入ってしまいました。^^;
で、ミア・ファローは、タイプ的には「ローズマリーの赤ちゃん」でして、哀れなタイプが似合う。「ナイル殺人事件」とか。
続くのです。^^
それが形式的には主題ですよね。
彼の涙ぐましい計画とのコントラストという点では、貧乏臭い(失礼!)ミア・ファローだから、というシュエットさんのご意見も、頷けなくもないところです。でも、アン・バクスターだな、やはり。(爆)
>レッドフォード
やはり色男でしたね。
最近のレッドフォードの印象が頭にあるので、びっくりしちゃいましたよ。
アラン・ラッドの「暗黒街の巨頭」が二度目、本作が三度目、TV映画をはさんで五度目の映像化があるようですよ。詳細は全く解りませんが、余り期待できないなあ。
というのも、色々文句を言いつつ、豪華だし、主役以外の配役が面白いし、本作を超えるのは難しそうだもんね。