映画評「君のためなら千回でも」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2007年アメリカ映画 監督マーク・フォースター
ネタバレあり
1990年以降現れた映画作家の中でマーク・フォースターは名前を聞くだけで作品を観たくなる数少ない俊才の一人である。幅広いジャンルを首尾良くカバーするところは現在のウィリアム・ワイラーとでも言ったところか。そんな彼の新作は、アフガニスタンから1970年代末に移住してきたアメリカの作家カーレド・ホッセイニの大ベストセラーの映画化。
1978年アフガニスタンの首都カブール、富裕層の息子アミール(ゼキリア・エブラヒミ)は出産の時に母親を死なせたので父親(ホマユーン・エルシャディ)から疎まれていると思い、凧揚げのうまい召使の息子ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)に精神的に支えられているが、そのハッサンが凧揚げに勝った日に近所の人種差別主義者の少年に性的暴行されるのを見ながら助けないどころか、彼に盗みの罪を着せ家を出るように仕向けてしまう。ハッサンを見る度に自身の弱さに覚えるやり切れなさを避けたかったのであろう。直後ソ連軍の侵攻があり、反共産主義者の父と共に国外へ脱出、アメリカへ移住する。
22年後アメリカで処女作が刊行された直後、小説家になる夢を持たせてくれた亡父の親友ラヒム・カーン(シャウブ・トウブ)から国際電話を受けてアミール(ハリド・アブダラ)は祖国を訪れ、実は異母弟と教えられたハッサンの息子をタリバンから奪還しに向う。
少年時代の描写と内容は殆ど文句の付けようがない。この段階で描かれるアフガニスタンはまだ美しく郷愁に満ち溢れる(後半での荒廃ぶりと比較するとなおさら)一方で、少年たちの心理の交錯が誠に繊細かつ緻密に描出され、その扱いはアメリカ映画としては例外的と言いたくなるほど厳しい。
例えば、アミールが逆切れ的に(事件の被害者である)ハッサンに果物を投げつけ、その服は赤く染まる。アミールの為には何でもするつもりのハッサンは自分の顔で果物を押し潰す。服と顔についた赤はハッサンの心の痛み、友の裏切りにより心が流した血を示す隠喩である。ここにアメリカ映画的な要素は全く見い出せない。
だから、終盤、ハッサンの息子に男色趣味を発揮していたタリバン幹部(実はハッサンを凌辱したいじめっ子の成人した姿)から奪還する段になるといかにもハリウッド的な調子の良い描写に推移するのには何とも失望させられる。
が、布石を随所に敷きつめた全体の作劇は精緻を極めているので大きなマイナスとはしたくない。特に父親がラヒム・カーンに語る「アミールは何かが欠けている。自分を守れない子供は誰も守れない大人になる」という言葉を全体の基調として展開したのがすこぶる効果的で、成人したアミールが人間的にも成長して勇気を振り絞ってハッサンの息子を奪還することでハッサンに対して犯した罪を贖おうとする姿が大変胸を打つ。少年時代に父親の言葉を盗み聞くショットがなければこの終盤がここまで感動的になることはなかったはずである。
序盤から画面いっぱいに広がる、相手の凧の糸を切って勝ち負けを争うアフガン独自(?)の凧揚げの扱いが抜群。風俗的な魅力に留まらず、起承転結の重要なポイントで使われ、素晴らしい効果を発揮している。
少年二人が「荒野の七人」を観る場面あり。本作放映の翌日(厳密には同日)NHK-BSで同作が放映されたのが何とも奇遇。
2007年アメリカ映画 監督マーク・フォースター
ネタバレあり
1990年以降現れた映画作家の中でマーク・フォースターは名前を聞くだけで作品を観たくなる数少ない俊才の一人である。幅広いジャンルを首尾良くカバーするところは現在のウィリアム・ワイラーとでも言ったところか。そんな彼の新作は、アフガニスタンから1970年代末に移住してきたアメリカの作家カーレド・ホッセイニの大ベストセラーの映画化。
1978年アフガニスタンの首都カブール、富裕層の息子アミール(ゼキリア・エブラヒミ)は出産の時に母親を死なせたので父親(ホマユーン・エルシャディ)から疎まれていると思い、凧揚げのうまい召使の息子ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)に精神的に支えられているが、そのハッサンが凧揚げに勝った日に近所の人種差別主義者の少年に性的暴行されるのを見ながら助けないどころか、彼に盗みの罪を着せ家を出るように仕向けてしまう。ハッサンを見る度に自身の弱さに覚えるやり切れなさを避けたかったのであろう。直後ソ連軍の侵攻があり、反共産主義者の父と共に国外へ脱出、アメリカへ移住する。
22年後アメリカで処女作が刊行された直後、小説家になる夢を持たせてくれた亡父の親友ラヒム・カーン(シャウブ・トウブ)から国際電話を受けてアミール(ハリド・アブダラ)は祖国を訪れ、実は異母弟と教えられたハッサンの息子をタリバンから奪還しに向う。
少年時代の描写と内容は殆ど文句の付けようがない。この段階で描かれるアフガニスタンはまだ美しく郷愁に満ち溢れる(後半での荒廃ぶりと比較するとなおさら)一方で、少年たちの心理の交錯が誠に繊細かつ緻密に描出され、その扱いはアメリカ映画としては例外的と言いたくなるほど厳しい。
例えば、アミールが逆切れ的に(事件の被害者である)ハッサンに果物を投げつけ、その服は赤く染まる。アミールの為には何でもするつもりのハッサンは自分の顔で果物を押し潰す。服と顔についた赤はハッサンの心の痛み、友の裏切りにより心が流した血を示す隠喩である。ここにアメリカ映画的な要素は全く見い出せない。
だから、終盤、ハッサンの息子に男色趣味を発揮していたタリバン幹部(実はハッサンを凌辱したいじめっ子の成人した姿)から奪還する段になるといかにもハリウッド的な調子の良い描写に推移するのには何とも失望させられる。
が、布石を随所に敷きつめた全体の作劇は精緻を極めているので大きなマイナスとはしたくない。特に父親がラヒム・カーンに語る「アミールは何かが欠けている。自分を守れない子供は誰も守れない大人になる」という言葉を全体の基調として展開したのがすこぶる効果的で、成人したアミールが人間的にも成長して勇気を振り絞ってハッサンの息子を奪還することでハッサンに対して犯した罪を贖おうとする姿が大変胸を打つ。少年時代に父親の言葉を盗み聞くショットがなければこの終盤がここまで感動的になることはなかったはずである。
序盤から画面いっぱいに広がる、相手の凧の糸を切って勝ち負けを争うアフガン独自(?)の凧揚げの扱いが抜群。風俗的な魅力に留まらず、起承転結の重要なポイントで使われ、素晴らしい効果を発揮している。
少年二人が「荒野の七人」を観る場面あり。本作放映の翌日(厳密には同日)NHK-BSで同作が放映されたのが何とも奇遇。




この記事へのコメント
僕は、この作品がアメリカで300万部も読まれているということに、ちょっと驚いています。移民の人たちが読んでいるのか、一般の白人層なのか、わからないんですけど。
村上春樹はともあれ、日本ではこんな作品がとてもミリオンセラーになるとは思えないんですね。
寂しい話ですけど。
>300万部
ふーむ、凄い数ですね。
アフガニスタンの総人口を考えてみても、アメリカへの移民が100万単位でいるとは思えないので、リベラル層に読まれているのでは?
>村上春樹
にもびっくりですけどね。流行は純文学もベストセラーにする。
>寂しい話
映画についても全く同じですね。
TV局主導の程度の低いメロドラマ、さもなくば毎年公開される定番アニメが邦画配収トップ20くらいをほぼ独占する。