映画評「アキレスと亀」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
2008年日本映画 監督・北野武
ネタバレあり

TAKESHI'S」「監督・ばんざい!」と心境吐露映画が続いた北野武の長編第14作。

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大実業家の息子に生まれた少年・真知寿君(吉岡澪皇)は父親(中尾彬)が破産して心中した後冷血漢の叔父(大杉漣)夫婦の家に預けられる。引き取りに戻るはずの母親も自殺した為結局児童園へ送られる。

鑑賞眼などない癖に絵画好きな父親に真知寿(まちす)なんて名前を付けられたわけだが、彼自身も絵を描くことが大好きで、当時人気のあった画家に才能を認められてしまったことが不幸の始まり・・・青年期の彼(柳憂怜)は印刷会社に勤めながら美術学校へ通い、彼の芸術を理解する唯一の女性・幸子(麻生久美子)と出会う。中年期の彼(ビートたけし)は糟糠の妻(樋口可南子)に支えられてはいるものの相変わらず芽が出ないまま、絵の為に益々社会性を失い、遂には妻にも狂人扱いされてしまう。

「誰でもピカソ」などという芸術関連のTV番組を構成していたビートたけし=北野武らしく、お話が進行する間に具体・抽象を問わず色々な芸術論が繰り出される。アンドレ・ジイドも小説の中で触れている「写真があるので写実的絵画は不要」という説、「飢えた人には芸術など何の足しにもならない」「眠った才能は永遠に目覚めない」「芸術は金になって初めて芸術になる」等々。まずこれが面白い。

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画商に言われるまま写実を捨てキュービズムや抽象絵画をやれば物真似と批判され、メッセージを絡めろと言われても知恵が足りず、生死の狭間で書けと言われれば本当に死にかけて警察のお世話になり・・・といった中年期はビートたけしらしいギャグの連続となるが、お笑い的な場面にもペーソスを感じることしばしば。要は自主性も才能もない男の悲劇である。死んだ娘の顔に口紅を塗りたくって顔拓みたいなことをする場面は岡本綺堂「修善寺物語」の幕切れにも通じる狂気のシーンだが、天才の狂気と比べるべくもない強迫観念に過ぎない狂気が哀れになって来る。

“アキレスと亀”は有名なゼノンのパラドックスの一つで、哲学的には詭弁の類。数学的には区切りを付けて進む限り確かにいつまで経っても俊足アキレスは亀に追いつかない(連続性の中で考えれば一定の時間の後に追い抜く)。主人公はこのアキレスだったわけで、一度離れた妻が戻って来る幕切れで主人公は“亀”に追いついたらしい。この辺りの寓意は些か解りにくいが、自主性を持つことが彼にとって“亀”だったのだろう。
 或いは、“アキレスと亀”は、時間的に考えれば追い付き追い越せるものを、計算上追いつける時間に満たない条件の下で回数に論議をすり替えた、人間の陥り易い錯覚を利用したパラドックスだから、案外【目から鱗が落ちる】ようにその錯覚に気付いて人生を変える幕切れと理解して良いかもしれない。

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従来の構成論から言えば相当問題の多い作品で、特に、青年期以前と中年期の主人公の性格が一貫していないのは問題。が、全く一貫性がないかと言えばそんなこともなく、少年時代授業中に絵を書き、絵を描く為に電車を止めてしまうなどの我儘が名士の息子故に通ってしまうエピソードを観れば社会性のなさは大して変わっていないのである。他人に対する態度の変化などは考えにくいものの、最近の北野作品は従来のドラマツルギーの枠を超えた境地にあるので、僕としても容易に批判はできない。

死が何度も出てくるので「死を軽く扱っている」というご意見も目にしたが、軽さは数では量れないし、本来厳粛な死を笑いに変えることは死の重さを解っていなければ出来ない。本当に死を軽く扱っていると言うべきは、登場人物を死病や事故で殺して観客の紅涙を絞ろうとするお涙頂戴映画である。

夫婦愛の物語を期待して観ると、馬鹿みますぞ。

この記事へのコメント

蟷螂の斧
2023年11月27日 19:23
こんばんは。今日僕は有給休暇だったので、ファーストショーの割引料金で北野武監督作品「首」を見てきました。

さて、この「アキレスと亀」。

>死んだ娘の顔に口紅を塗りたくって顔拓みたいなことをする場面

この場面が一番衝撃的でした。酷いと思いました。しかし・・・。

>本来厳粛な死を笑いに変えることは死の重さを解っていなければ出来ない。

これは当たっているのでしょうか?難しい問題です。

>本当に死を軽く扱っていると言うべきは、登場人物を死病や事故で殺して観客の紅涙を絞ろうとするお涙頂戴映画である。

これは当たっています。同感です。
いろいろ考えさせられる作品でした。
オカピー
2023年11月28日 20:43
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>北野武監督作品「首」

新作は時代劇ですかあ。
1968年にも「首」という作品がありましたよ。

邦画・洋画を問わず、新作映画は食指が動きません。
洋画は(特にメジャー映画での)ポリ・コレにうんざり。
WOWOWやら配信やらで新作にも付き合っていますが、メジャーに面白い作品は少ないですね。
「首」も豊臣秀吉ではなく、徳川家康の気分で、WOWOWに出るまで待ちます。

>>本来厳粛な死を笑いに変えることは死の重さを解っていなければ出来ない。
>これは当たっているのでしょうか?難しい問題です。

解っていない監督の、ブラック・コメディーは、上滑りして笑えない。
ヒッチコックの「ハリーの災難」を見れば解るかもしれませんよ^^
「お葬式」の伊丹十三も解っている気がします。
蟷螂の斧
2023年11月30日 20:57
こんばんは。最終的には真知寿を許した妻?僕が監督だったらずっと許さない設定にしたいです。でも、そこが僕のような凡人の考えなのでしょう(苦笑)。

>「ハリーの災難」「お葬式」

両方とも監督が死の重さをわかっていると言う事ですね?

>ポリ・コレにうんざり。

何とかして欲しいです。

>キッシンジャー元米国務長官が100歳で死去

彼もアメリカをいろいろ動かした人。そしていろいろな真実を知っていた人なのでしょう。
オカピー
2023年12月01日 18:27
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>最終的には真知寿を許した妻?僕が監督だったらずっと許さない設定にしたいです。

大分前に観たきりなので、どういう扱いが良かったか判断がつきかねますが、厳しい幕切れが実は作りとして甘いというエースもまれにあります。

>>「ハリーの災難」「お葬式」
>両方とも監督が死の重さをわかっていると言う事ですね?

僕の勝手な判断ですが、伊丹十三は13歳の時に、戦争を挟んで不遇の晩年を送った名監督の父親・伊丹万作(残された映画を見ると天才でした)を失って、死ぬまでの苦闘を身近に見ていたはず。
 ヒッチコックは、子供時代に(親が叱る為に)警察の留置場で過ごした経験で恐怖を知り、サスペンスをライフワークとする監督になりました。大概の人にとって死は恐怖ですから、恐怖を知る監督は恐らく死の恐怖・尊厳は解っているだろう、ということです。

>>キッシンジャー元米国務長官が100歳で死去

小中学時代に大統領以上にTVニュースで観た記憶がありますね。

彼はユダヤ人でナチスから逃れてきた人ですから、死の恐怖を良く知っているでしょう。
 しかし、人権より国(アメリカ)の為に何百万人の人が亡くなる政策を支持・指示した人でもあるから、僕の思いは複雑。国という観念について考えざるを得ません。

20年前に桑田佳祐が傑作「ロックンロール・ヒーロー(ROCK AND ROLL HERO)」という歌で、アメリカに頭を下げっ放しの日本の現状を揶揄しましたが、その状態は改善されるどころかもっと悪くなっていますね。
 暴論を言いますと、来年自国のことしか考えないトランプが再び大統領に選出されたら、僕はアメリカと縁を切って中国側に付いたほうが良いとさえ思います。そのほうが日本の安全は増すのでは?
蟷螂の斧
2023年12月03日 19:26
こんばんは。伊丹十三もヒッチコックも父親の経験から死の恐怖・尊厳を学んだのですね。

>「飢えた人には芸術など何の足しにもならない」

これは的を得ています。

>アメリカと縁を切って中国側に付いたほうが良い

東側を嫌っている用心棒さんのご意見もお聞きしたいです。

>人権より国(アメリカ)の為に何百万人の人が亡くなる政策を支持・指示した人

ユダヤ人でナチスから逃れてきた人ならば、たくさんの人の命を大事にする政策を支持して欲しかったです。

>山田太一氏逝去

「男たちの旅路」が好きでした。
ご冥福をお祈り申し上げます。
オカピー
2023年12月03日 20:39
蟷螂の斧さん、こんにちは。

>>アメリカと縁を切って中国側に付いたほうが良い
>東側を嫌っている用心棒さんのご意見もお聞きしたいです。

僕も、東というより独裁政権は大嫌いですけど、アメリカも悪ですよ。
中南米もアメリカのCIAやシカゴ経済学派の暗躍で、しなくてもよい艱難辛苦を強いられた感ありです。イスラエルやパレスチナの現状もアメリカ無しに考えられません。

米軍出ていけというと反日で、沖縄でそういう運動をする人を(中国人や在日朝鮮人が絡んでいるせいもあって)反日と言いますが、本来自国は自国で守るのが正道なのであって、(あくまで結果的に)共産党や基地反対運動している人のほうが、本来の保守なんですよ。今の日本は保守・革新の価値観がねじれています。

トランプは韓国から米軍を引き上げ、お金を増やさないのであれば日本からも出ていくと息巻いていましたが、それを実行すると、日本は現在以上に中国・ロシア・北朝鮮(場合によってはアメリカ)から攻められる可能性が増えます。今は北朝鮮は全く問題ありません。
 少なくとも、日本のことを考えるならロシアと仲の良いトランプは応援してはいけません。安倍元首相と仲が良かったので、安倍支持者にトランプを支持する人が多いけれど、ちゃんと考えた方が日本の為です。

>ユダヤ人でナチスから逃れてきた人ならば

助けてくれた米国が大切だったんですね。

しかし、現在イスラエルがしたい放題なのは、ホロコーストが多くの人に、イスラエルへの免罪符という印象を与えているからなんです。その為イスラエルの横暴を指摘したり停戦を主張すると、反ユダヤ主義ということにされてしまう。困ったもんです。

>>山田太一氏逝去
>「男たちの旅路」が好きでした。

ドラマを見て来なかったので、名前しか知りませんが、大きな業績を残した方のようですね。
 うちが半世紀以上取っている東京新聞に「岸辺のアルバム」を連載(後にドラマ化)していました。時々読んだかもしれませ。今度きちんと読んでみようかな。

合掌。

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