映画評「ディセンバー・ボーイズ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2007年オーストラリア映画 監督ロッド・ハーディー
ネタバレあり
オーストラリアの作家マイケル・ヌーナンの小説をニュージーランド出身のロッド・ハーディーが映画化・・・などと言っても全然ピンと来ない。現時点の話題性としては「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフ君が主演ということに尽き、日本で劇場公開された理由が彼の人気にあるのは間違いない。
オーストラリア内地にあるカトリック修道院付属孤児院に暮らす子供たちのお話。
12月生まれという共通点のある4人の少年ラドクリフ、リー・コーミー、ジェームズ・フレイザー、クリスチャン・バイアーズが、海辺に住む元海軍将校夫妻に招かれ、南半球では真夏である12月ひと月をそこで過ごすことになる。ある時近所に住むオートバイ乗りのサリヴァン・ステイプルトンとヴィクトリア・ヒルの夫婦が子供を欲しがっていることを盗み聞きしたコーミー君は抜け駆けしようかと迷いつつ結局他の三人に告白、彼等の姪テリーサ・パーマーとの恋模様の方に傾いているミドルティーンのラドクリフを除いて、三人は早速若い夫婦に媚を売り始める。結局ラドクリフ君の恋は彼女の突然の帰郷で呆気なく終わり、コーミー君は折角申し込まれた養子の道を断って友情を選ぶ。
という少年たちの友情と成長の物語が、コーミー君がその少年期を演じた演じた“ミスティ(霧)”の回想形式により語られる。
彼と“スパーク(閃光)”“スピット(唾)”の三人はローティーン。思春期初めなので雑誌に載っているジェーン・マンスフィールドのアンダーヘアが見えるかどうかで騒いだりする一方、基本は相当無邪気で、養子になる為には他者を蹴落とすようなことをするように必ずしも一枚岩ではないからこそ、最終的に“ミスティ”が友情を選ぶところに成長の跡が伺われることになる。最初から確固たる友情ありきでは意味を成さない。
方や、ラドクリフ君演ずる“マップス”はミドルティーン故に既に恋愛や進路が具体的な意味を持っていて、養子の話には醒めた目を、眼前に現れた美少女には熱い眼を注ぐわけである。
同じ年頃でない少年を交えたことで、数年の差が少年に与える鮮やかな“変化”がなかなか興味深く見られる。その表現の為に、語り手である“ミスティ”の視点に時々“マップス”の視点が混ざって来る不具合が出てくるものの、スケッチ的なタッチは思春期ものらしい爽やかさを伴って丁度良い。
展開は生と死、少年と老年を対比させる為に遅めの部分もあるが、ドラマ的に十分計算されたスピードであるから文句を言っても仕方がない。これさえ理解し、かつ、40年以上人生を過ごしてきた人間ならば、素直に思春期時代を偲んで感傷にふけることもできるだろう。
ちょっと困るのは時代の特定がしにくいことで、マンスフィールドのグラビアが出て来ることと最後に見られる“現在”の姿から推せば1960年前後になるらしい。従ってCCRの「フール・ストップ・ザ・レイン」など70年前後のロックを中心に使った音楽は大変紛らわしく齟齬感がある。
環境描写は抜群で、特に入江を収めたショットは圧巻。
ポール・サイモン風に言えば、December I remember...か。僕は7月生まれだから、July I cry...ですかな。
2007年オーストラリア映画 監督ロッド・ハーディー
ネタバレあり
オーストラリアの作家マイケル・ヌーナンの小説をニュージーランド出身のロッド・ハーディーが映画化・・・などと言っても全然ピンと来ない。現時点の話題性としては「ハリー・ポッター」シリーズのダニエル・ラドクリフ君が主演ということに尽き、日本で劇場公開された理由が彼の人気にあるのは間違いない。
オーストラリア内地にあるカトリック修道院付属孤児院に暮らす子供たちのお話。
12月生まれという共通点のある4人の少年ラドクリフ、リー・コーミー、ジェームズ・フレイザー、クリスチャン・バイアーズが、海辺に住む元海軍将校夫妻に招かれ、南半球では真夏である12月ひと月をそこで過ごすことになる。ある時近所に住むオートバイ乗りのサリヴァン・ステイプルトンとヴィクトリア・ヒルの夫婦が子供を欲しがっていることを盗み聞きしたコーミー君は抜け駆けしようかと迷いつつ結局他の三人に告白、彼等の姪テリーサ・パーマーとの恋模様の方に傾いているミドルティーンのラドクリフを除いて、三人は早速若い夫婦に媚を売り始める。結局ラドクリフ君の恋は彼女の突然の帰郷で呆気なく終わり、コーミー君は折角申し込まれた養子の道を断って友情を選ぶ。
という少年たちの友情と成長の物語が、コーミー君がその少年期を演じた演じた“ミスティ(霧)”の回想形式により語られる。
彼と“スパーク(閃光)”“スピット(唾)”の三人はローティーン。思春期初めなので雑誌に載っているジェーン・マンスフィールドのアンダーヘアが見えるかどうかで騒いだりする一方、基本は相当無邪気で、養子になる為には他者を蹴落とすようなことをするように必ずしも一枚岩ではないからこそ、最終的に“ミスティ”が友情を選ぶところに成長の跡が伺われることになる。最初から確固たる友情ありきでは意味を成さない。
方や、ラドクリフ君演ずる“マップス”はミドルティーン故に既に恋愛や進路が具体的な意味を持っていて、養子の話には醒めた目を、眼前に現れた美少女には熱い眼を注ぐわけである。
同じ年頃でない少年を交えたことで、数年の差が少年に与える鮮やかな“変化”がなかなか興味深く見られる。その表現の為に、語り手である“ミスティ”の視点に時々“マップス”の視点が混ざって来る不具合が出てくるものの、スケッチ的なタッチは思春期ものらしい爽やかさを伴って丁度良い。
展開は生と死、少年と老年を対比させる為に遅めの部分もあるが、ドラマ的に十分計算されたスピードであるから文句を言っても仕方がない。これさえ理解し、かつ、40年以上人生を過ごしてきた人間ならば、素直に思春期時代を偲んで感傷にふけることもできるだろう。
ちょっと困るのは時代の特定がしにくいことで、マンスフィールドのグラビアが出て来ることと最後に見られる“現在”の姿から推せば1960年前後になるらしい。従ってCCRの「フール・ストップ・ザ・レイン」など70年前後のロックを中心に使った音楽は大変紛らわしく齟齬感がある。
環境描写は抜群で、特に入江を収めたショットは圧巻。
ポール・サイモン風に言えば、December I remember...か。僕は7月生まれだから、July I cry...ですかな。
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