映画評「飢餓海峡」
☆☆☆☆☆(10点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・内田吐夢
ネタバレあり
水上勉の原作を映画化したものには「五番町夕霧楼」(1963年)など秀作が多いが、戦前からの巨匠・内田吐夢が監督をした本作は断トツの名作と思う。少なくとも僕が一番愛する日本映画という位置を四半世紀以上に渡って占めている。
昭和22年北海道岩内町、質屋で強盗殺人を働いた元囚人の二人組が放火して逃走、何も知らない仕事仲間・犬飼多吉(三國連太郎)と合流し、台風により青函連絡船が沈没する事故の騒動に紛れて下北半島に逃亡しようとする。
結局犬飼一人が青森に辿り着いて巡り合った若い娼妓・杉戸八重(左幸子)の情にほだされ、強盗犯の残した大金の一部を手渡す。そのお金で自由な身の上になり東京に出た彼女は思うように人生を送れないものの恩人にお礼を言うことを念願に十年を過ごし、質屋強盗放火殺人を担当した弓坂刑事(伴淳三郎)は家族を顧みず犯人を追い結局行き詰まる。
ところが、十年後一つの小さな新聞記事が彼らの運命を再び大きく揺り動かし始める。慈善活動が取り上げられた実業家“樽見京一郎”の写真を見て恩人であると思った八重が逢いに行って不憫にも殺され、殺人事件の担当になった味村刑事(高倉健)は慈善家の証言を不審に思い、首になって刑務官に転職していた弓坂に協力を依頼、八重が後生大事に持っていた爪を証拠に彼を追い詰めていくのである。
僕がこの映画に圧倒されるのは、人間にはどうにもならない<運命の皮肉>に人が生きていくこと、貧しく生まれついた人が幸福を求めることの切なさを感じてしまうからである。
多吉も八重も貧乏育ちである。多吉はそんな彼女が不憫で偶然に手に入れてしまった大金の一部を分け与える。八重にとっては恐らく金以外で初めて信じることのできる対象と感じたのであろう、彼の親指から切り取った爪を後生大事に保管する。これ以上はないと思えるほどの感謝の念恐らくは事実上の思慕を寄せる彼女の可憐さにまずは心を打たれる。片や、彼も心根は善良な男であるが、凶行に走るのは貧乏故の不幸により八重ほど他人(ひと)を信じられなかったからである。
人が信じられるか否か・・・この一点が似たような境遇にあった二人を加害者と被害者に分けてしまう。これほど悲しく切ないお話があるであろうか。
慈善――恐らくは僥倖から生み出された財産を社会に還元する目的から発生した純なる善意――が新聞記事を通して再会を引き起こし、彼が事業に成功していたことが10年後の悲劇を生み出すという展開の中で、<運命の皮肉>を一番感じさせるのが彼女の感謝・思慕の念を象徴する多吉の爪が犯人逮捕の決め手になることだが、爪はただのミステリー的小道具に留まらず、ヒロインの不憫を観客の脳裏に強く投影し焼き付ける。左幸子が素晴らしい。
結局ヒロインが画面から消えた後も彼女の薄幸がムード的に映画を支配し、その為に、主人公が津軽海峡で連絡船から身を投げるのが行き詰まりからではなく、彼女への詫び、或いは彼女を信じ得なかった後悔からと思わずにはいられないのである。
三國連太郎は断然好演、喜劇俳優・伴淳三郎のシリアス演技も秀逸で、この三人のアンサンブルにより映画は尋常ならざる高みに持ち上げられた。わざわざ粒子の荒い16mmフィルムを使って戦後の荒廃したムードを強く感じさせると共に、ソラリゼーション(ネガポジ反転みたいなもの=上画像参照)で主人公の不安を表現するアイデアが効果的。内田監督の演出はダイナミックで、スケールの大きな描写が胸を打つ。
連絡船が延々と残す航跡に、運命という渦に引き込まれるような錯覚を覚えて暫し呆然としたのは僕だけではないだろう。
あな寒し 罪びと消えし 海峡に 恐山より 無常の風吹く
1965年日本映画 監督・内田吐夢
ネタバレあり
水上勉の原作を映画化したものには「五番町夕霧楼」(1963年)など秀作が多いが、戦前からの巨匠・内田吐夢が監督をした本作は断トツの名作と思う。少なくとも僕が一番愛する日本映画という位置を四半世紀以上に渡って占めている。
昭和22年北海道岩内町、質屋で強盗殺人を働いた元囚人の二人組が放火して逃走、何も知らない仕事仲間・犬飼多吉(三國連太郎)と合流し、台風により青函連絡船が沈没する事故の騒動に紛れて下北半島に逃亡しようとする。
結局犬飼一人が青森に辿り着いて巡り合った若い娼妓・杉戸八重(左幸子)の情にほだされ、強盗犯の残した大金の一部を手渡す。そのお金で自由な身の上になり東京に出た彼女は思うように人生を送れないものの恩人にお礼を言うことを念願に十年を過ごし、質屋強盗放火殺人を担当した弓坂刑事(伴淳三郎)は家族を顧みず犯人を追い結局行き詰まる。
ところが、十年後一つの小さな新聞記事が彼らの運命を再び大きく揺り動かし始める。慈善活動が取り上げられた実業家“樽見京一郎”の写真を見て恩人であると思った八重が逢いに行って不憫にも殺され、殺人事件の担当になった味村刑事(高倉健)は慈善家の証言を不審に思い、首になって刑務官に転職していた弓坂に協力を依頼、八重が後生大事に持っていた爪を証拠に彼を追い詰めていくのである。
僕がこの映画に圧倒されるのは、人間にはどうにもならない<運命の皮肉>に人が生きていくこと、貧しく生まれついた人が幸福を求めることの切なさを感じてしまうからである。
多吉も八重も貧乏育ちである。多吉はそんな彼女が不憫で偶然に手に入れてしまった大金の一部を分け与える。八重にとっては恐らく金以外で初めて信じることのできる対象と感じたのであろう、彼の親指から切り取った爪を後生大事に保管する。これ以上はないと思えるほどの感謝の念恐らくは事実上の思慕を寄せる彼女の可憐さにまずは心を打たれる。片や、彼も心根は善良な男であるが、凶行に走るのは貧乏故の不幸により八重ほど他人(ひと)を信じられなかったからである。
人が信じられるか否か・・・この一点が似たような境遇にあった二人を加害者と被害者に分けてしまう。これほど悲しく切ないお話があるであろうか。
慈善――恐らくは僥倖から生み出された財産を社会に還元する目的から発生した純なる善意――が新聞記事を通して再会を引き起こし、彼が事業に成功していたことが10年後の悲劇を生み出すという展開の中で、<運命の皮肉>を一番感じさせるのが彼女の感謝・思慕の念を象徴する多吉の爪が犯人逮捕の決め手になることだが、爪はただのミステリー的小道具に留まらず、ヒロインの不憫を観客の脳裏に強く投影し焼き付ける。左幸子が素晴らしい。
結局ヒロインが画面から消えた後も彼女の薄幸がムード的に映画を支配し、その為に、主人公が津軽海峡で連絡船から身を投げるのが行き詰まりからではなく、彼女への詫び、或いは彼女を信じ得なかった後悔からと思わずにはいられないのである。
三國連太郎は断然好演、喜劇俳優・伴淳三郎のシリアス演技も秀逸で、この三人のアンサンブルにより映画は尋常ならざる高みに持ち上げられた。わざわざ粒子の荒い16mmフィルムを使って戦後の荒廃したムードを強く感じさせると共に、ソラリゼーション(ネガポジ反転みたいなもの=上画像参照)で主人公の不安を表現するアイデアが効果的。内田監督の演出はダイナミックで、スケールの大きな描写が胸を打つ。
連絡船が延々と残す航跡に、運命という渦に引き込まれるような錯覚を覚えて暫し呆然としたのは僕だけではないだろう。
あな寒し 罪びと消えし 海峡に 恐山より 無常の風吹く
この記事へのコメント
邦画のオールタイム・ベスト10には必ず入る作品ですね。三時間があっという間に過ぎていく素晴らしい作品でした。映像も凝っているし、ストーリー展開と人間性を燻り出していく手腕には脱帽でした。
こういう映画をたくさん観たいと思っていて、そういった映画を欲しているのはむしろ若い層なのかもしれませんね。
ではまた!
>人が信じられるか否か
多吉は金持ちにはなったけれど
金も人も、信じてない。
八重はそれこそ全身全霊で、
金も人も、信じた。
その対比を実に巧妙にそして
力強く映像化しましたね。
まさに3時間があっという間。
「圧巻!」という言葉はこういう映画の
ためにあるような気がします。
余談ですが
法律事務所でぼんやりバイトしていた頃、
洞爺丸でふた親とも亡くされた方と机を
並べていました。
親戚に預けられてかなりの苦労をされた
ようでいつもうつむき加減でしたが
頭の良いしっかりした方でした。
ちょっと思い出したもんですから。^^
>邦画のオールタイム・ベスト10
当初はそこまで評価されていなかったようですね。キネマ旬報のベスト10でも5位くらいだったでしょう? 尤も「七人の侍」も4位ですが。
僕が初めて自主上映で観た頃(1980年前後)には定評ある作品になっていましたが、とにかくあの時は興奮したなあ。
神の視点で作られた傑作の一本でしょうね。
>若い層
映画が本当に好きな人はそうでしょうね。
こんな素晴らしい映画をまだ観ていない若い人が羨ましいです。
古いという理由だけで観ないで終わってしまう人は実に勿体ない。
>日本映画の至宝
その言葉通りの作品ですね。
余りに愛する作品なので、却って書くのに苦労しました。
昔書いた文章から多少流用しましたが、なるべく精度を高くしようと思うと、なかなか難しい。
>金も人も、信じてない。
金もというのが良いですね。
本格ミステリーと違って、主人公の性格が善悪二元論的に設定していないところが、胸を打つ要素になっていますね。
対立軸としての八重の存在が圧倒的で、「にっぽん昆虫記」と共に好きな左幸子です。
>洞爺丸
そういう方と知り合うのも人生における財産でしょうね。
余談と言えば、母親が終戦直後函館で下女をしており、余りに嫌な主人一家なので雪の中夜逃げしてきたそうです。
いやぁ、何も言うことないですね。
こんな五臓六腑にずしんと沁みてくる映画をつくっていた時が、日本映画界にもあったんだって、今回久々に見直していて思いました。
三國連太郎、左幸子、伴淳三郎…今の役者で、これだけの重みで演技できるのっているのかなって思いましたねぇ。演じている人物の人生そのものが見えてくる。ラストの津軽海峡の波しぶき。圧巻でした。言葉ではなくまさに映像そのものがドラマ。
そう、この映画は別格。
僕の邦画No.1!
もう何も言わない(笑)。いや、言えない、かな。
三人ともものすごい演技をしていますが、僕が好きなのは左幸子で、この映画を見るともう一本の代表作「にっぽん昆虫記」も観たくなってきます。
暫く温めていましたが、そろそろ再鑑賞時期だろうと思います。
>恩人であると思った八重が逢いに行って不憫にも殺され
何と言う悲劇でしょうか。恩人にお礼を言おうと思って会いに行ったのに・・・。それが多吉にとっても八重にとってもああ言う結末になってしまいました。
>人間にはどうにもならない<運命の皮肉>に人が生きていくこと
古今東西。それに関して苦しんでいる人がたくさんいますよ。天命と言うものもあります。
>すっかり忘れているなあ。人間の脳には限界がありますね。
僕もよく忘れます。でも嫌な事に関してはいつまでも覚えています。
>調べたら1991年のこと
長嶋氏が「カール!」でも気づいて貰えなかった。翌年はバルセロナ五輪。カール・ルイスは100m走の国内予選で6位。落選・・・。でも走り幅跳びでは五輪で金メダル。全盛期を過ぎても、やはり天才!
>それが多吉にとっても八重にとってもああ言う結末になってしまいました。
爪も大きな役目を果たしましたね。
長い原作を詰めたところもありますが、爪は原作以上に効果的だったように思います。脚本家(鈴木尚之)が実に良い仕事をしました。
>長嶋氏が「カール!」でも気づいて貰えなかった。
あははは。
謂わば浪人中で、何をやっていたんでしょうねえ(笑)
>翌年はバルセロナ五輪。
>でも走り幅跳びでは五輪で金メダル。
次のアトランタでも走り幅跳びで金メダル。なかなか連覇の難しい種目で、連覇した人は他にいません。それを4連覇。凄いですね。
石川さゆりが唄う「飢餓海峡」。
https://www.youtube.com/watch?v=Tt8fDfPvvIw
「♪ちり紙につつんだ 足の爪 後生 大事に持ってます」
いきなり凄まじいです!
>左幸子が素晴らしい。
殺される時の表情が何とも悲しかったです・・・。
>次のアトランタでも走り幅跳びで金メダル。
確か6回目の跳躍で金メダル決定だった記憶があります。
1988年ソウル五輪。カール・ルイス対ベン・ジョンソン。世紀の対決!しかし・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=gPTYbZvURl4
その後の検査で・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=_SKlNUbyhwA
>石川さゆりが唄う「飢餓海峡」
>「♪ちり紙につつんだ 足の爪 後生 大事に持ってます」
へえ、この映画が元ネタの曲がありましたか。題名は聞いたことがあるような気がしますが、知らなんだなあ。
そう言えば、小説には爪の挿話はなく、映画オリジナルだったと思い出しました。水上勉は映画を観て悔しがったのでは。
>殺される時の表情が何とも悲しかったです・・・。
恩人と信じて来た人に殺されるとは、切ないですよねえ。
>確か6回目の跳躍で金メダル決定だった記憶があります。
そうでしたっけねえ。
>1988年ソウル五輪。カール・ルイス対ベン・ジョンソン。世紀の対決!しかし・・・。
記録も衝撃的でしたが、その後の展開にも衝撃的でしたね。ジョンソンにとっては正に天国と地獄!
テレビドラマ版「無用ノ介」第1話(昭和44年)を見ました。
ゲストは山形勲、南原宏治、大前釣、根岸一正、小松方正、中村是好と言った昭和の映画によく出てくる豪華メンバー。面白い脚本に演出。内田吐夢が監修なんですね。
オカピー教授も昔「無用ノ介」をご覧になったのでしょうか?
>オカピー教授も昔「無用ノ介」をご覧になったのでしょうか?
1969年ですか。観ていないですね。
この年に観ていた時代劇は「素浪人 花山大吉」ですね。個人的にはその全シリーズ「素浪人 月影兵庫」がお気に入りで、北島三郎の歌う主題歌は今でも歌えます。♪青い風が~
内田吐夢の監修とは!
内田監督は時代劇の多い監督ですので、不自然ではないですが、TVにも関係していたとは少々驚きました。
>内田吐夢の監修とは!
内田吐夢監督と言えば、『宮本武蔵』シリーズですね。
>当時15歳の吉沢京子がまだ花が開く前の蕾。
何歳かと思いましたら、うちの兄貴より一つ下の69歳。
誕生日が同じでした。今度会った時に話してみよう。
思い出すのは「さぼてんとマシュマロ」。
彼女の歌う主題歌も憶えています。
>内田吐夢監督と言えば、『宮本武蔵』シリーズですね。
これは傑作。
全部観るのは大変なので再鑑賞していませんが。