映画評「ブラインドネス」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2008年カナダ=ブラジル=日本映画 監督フェルナンド・メイレレス
ネタバレあり
「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレスがポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの「白い闇」を映画化した純文学映画で、お話は比較的単純。
日本人男性・伊勢谷友介が運転中に突然白い光が広がって何も見えなくなったのを発端に、彼に接触した人々が次々と感染して失明状態になり、政府により精神病棟に隔離される。彼を見て感染した眼科医マーク・ルファローの妻ジュリアン・ムーアは目が見えているのに患者の振りをして中に入って第一病棟をリード、食料を独占する第三病棟の独裁者ガエル・ガルシア・ベルナルを殺す。やがて監視する兵士のいないことに気付いて出てみた外は患者に溢れて健常者は全滅していたことが判明、やがて失明状態が終る時が訪れる。
突然変な病気が発生するのは先週観た「ハプニング」に似ているが、本作は(ブログでは便宜上SF/ファンタジーに分類したものの)パニック映画でもSF映画でもホラー映画でもなく、失明というギミックだけが重要であって病気の原因など全く関心がないという態度である一方、真のテーマが把握しにくいことも確か。
外が無政府状態になって混乱して健常者が死滅したのか失明と関連のある病原菌が原因なのかしかとは解らないが、隔離された者だけが生き残るところに皮肉な面白さがある。
構図的には、一種の「ノアの方舟」物語であり、一人だけ発病しないジュリアンはキリスト教の救世主的な存在と解釈される。隔離されているのに富を求める辺り人類の果てしない欲望と愚かしさが現れ、盲目の世界に出現する王国と民主国家はそのまま現実の世界の反映であり、施設内外の混乱は物質文明の脆さが具現化したものである。
日本人夫婦が孤立している印象があるのは「バベル」の【コミュニケーション不全が世界を混乱に陥れる】と似たモチーフが底流にあるからだろうし、これを【見えなくなって見えて来るもの】という本作が提示しているらしいテーマと考え合わせれば、原作者の現在の世界への絶望感と未来へのほのかな希望が感じ取れるような気がする。
かかる寓話は余り現実的に捉えてはいけないとは言え、一つだけ(でもないが)気になったのは、独裁者が現れた当初にヒロインが目の見える利点を全く生かそうとしなかったこと。最終的にそれを利用して反旗を翻すのだから、娯楽映画的な見地からはもたもたした印象に繋がって余り感心できないのである。
「ホワイトアウト」より深刻でした。
2008年カナダ=ブラジル=日本映画 監督フェルナンド・メイレレス
ネタバレあり
「シティ・オブ・ゴッド」のフェルナンド・メイレレスがポルトガルのノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの「白い闇」を映画化した純文学映画で、お話は比較的単純。
日本人男性・伊勢谷友介が運転中に突然白い光が広がって何も見えなくなったのを発端に、彼に接触した人々が次々と感染して失明状態になり、政府により精神病棟に隔離される。彼を見て感染した眼科医マーク・ルファローの妻ジュリアン・ムーアは目が見えているのに患者の振りをして中に入って第一病棟をリード、食料を独占する第三病棟の独裁者ガエル・ガルシア・ベルナルを殺す。やがて監視する兵士のいないことに気付いて出てみた外は患者に溢れて健常者は全滅していたことが判明、やがて失明状態が終る時が訪れる。
突然変な病気が発生するのは先週観た「ハプニング」に似ているが、本作は(ブログでは便宜上SF/ファンタジーに分類したものの)パニック映画でもSF映画でもホラー映画でもなく、失明というギミックだけが重要であって病気の原因など全く関心がないという態度である一方、真のテーマが把握しにくいことも確か。
外が無政府状態になって混乱して健常者が死滅したのか失明と関連のある病原菌が原因なのかしかとは解らないが、隔離された者だけが生き残るところに皮肉な面白さがある。
構図的には、一種の「ノアの方舟」物語であり、一人だけ発病しないジュリアンはキリスト教の救世主的な存在と解釈される。隔離されているのに富を求める辺り人類の果てしない欲望と愚かしさが現れ、盲目の世界に出現する王国と民主国家はそのまま現実の世界の反映であり、施設内外の混乱は物質文明の脆さが具現化したものである。
日本人夫婦が孤立している印象があるのは「バベル」の【コミュニケーション不全が世界を混乱に陥れる】と似たモチーフが底流にあるからだろうし、これを【見えなくなって見えて来るもの】という本作が提示しているらしいテーマと考え合わせれば、原作者の現在の世界への絶望感と未来へのほのかな希望が感じ取れるような気がする。
かかる寓話は余り現実的に捉えてはいけないとは言え、一つだけ(でもないが)気になったのは、独裁者が現れた当初にヒロインが目の見える利点を全く生かそうとしなかったこと。最終的にそれを利用して反旗を翻すのだから、娯楽映画的な見地からはもたもたした印象に繋がって余り感心できないのである。
「ホワイトアウト」より深刻でした。
この記事へのコメント
これは劇場で観ましたが、全体的に「何だかなあ…」という印象でした。何故そう感じのかははっきりしませんが、全体的に人間がなんだか寒い印象がありました。地域全体が盲目になってからは見える人が最強であるはずですが、あまり利点を生かしていませんし、いまいち盛り上がらない映画でした。出来は悪くはなかったので、帰り道はなんだかモヤモヤしましたが、これは多分家で見る映画なのかなあと納得させていました。
それはさておき。今日は二年ぶりくらいにウェブリブログの映画のトップページを見て来たのですが、上位にいるのはすべて映画の本筋とは関係ないDVDのレーベルのものばかりで、まじめに映画評を書いている人たちは下位に追いやられるか、まったくランクインしてないかのどちらかだったので、かなり驚きました。また記事だけ異常に更新されていて、何本も一日にアップしているのとかもあって、嫌な気持ちになりました。
レーベルって自分で作るのはオーケーだと思うのですが、アップするのはどうかと思いますし、見栄え良くするために画像を貼るのは商売に使うわけではないのでオーケーだとは思いますが、あそこまでやるのはどうなんでしょうかね。
新しい人のも見に行きましたが、かなりレベルが落ちていてガッカリしました。ぼくはあまりよそ様へ出歩かないので、さらにびっくりしたのかもしれません。
映画のブログを語るのならば、せめて作品について、愛情でも嫌悪でも良いので、もっと感情を込めて欲しいですね。
ではまた!
結局、こうしたギミックを使った純文学を商業ベースで映画化すると、なまなかになるということではないでしょうか。
先日観た木下恵介の「善魔」という作品は、1951年という純文学映画など理解されていない時代に純文学的を取上げたために、大衆性と純文学性の間に挟まれて妥協的な産物になって失敗していました。
>ウェブリブログの映画のトップページ
そうですね。
DVDのレーベルは作ったものを見せるだけでは大した意味がなさそうですが、他の人に使って貰うのが目的なのでしょうか?
数か月前にはもっとひどいのがあって、自分のHPにおける映画女優でもない芸能人のH写真等にリンクしているだけのブログがトップに君臨していたこともありますよ。肖像権・著作権の問題を指摘されたらしく、突然削除されましたが。
現在のトップ10の中にも、映画と直接関係のないブログが【映画】の中に入っています。
女優を含めて芸能人のネタだけなら、項目を【芸能人】にしてもらいたいですね。
>映画と直接関係のないブログ
本当にひどいですね。映画ブログというのは映画を語る人々が集う場所だったはずですが、語らない、または語れない者がただジャンル的に集まりが良いことだけを利用して、映画の本筋とはまったく関係ない、肖像権を犯すだけの無意味なブログをやっているという印象が強かったですよ。
見に行ったもののなかには、映画だけではないスポーツも絡めた数十本くらいのなんだかまとまりのない記事を短期間に大量アップして、しかもどの記事にもひとつのコメントすらないという気味が悪いのもありますね。
ウェブリもきちんと把握して、風紀委員会みたいな役割を担わないと、ここの映画ブログページは新人が育たなくなるではないでしょうか。せっかく映画に興味がある人があのトップページの状況を見て、上位の記事を閲覧したら、さぞやガッカリされるでしょうね。
ではまた!
ウェブリの【映画】ブログはgooやアメブロに比べると批評・感想ブログが少ないですね。
現に、レーベル紹介の類をのぞくと、僕がずっと1位ですから。
入院で3週間以上も留守をしていたのにまだ20位くらいにあったのにも驚きました。もっと他の人にも頑張って貰いたいと思いました。
その中で数少ない良い事件は、最強の豆酢ちゃんが他のブログを止めて新・豆酢館を開設して奮闘していること。彼女の紹介及び批評の精細さには本当に頭が下がります。他に類がないでしょう?
>風紀委員会
先に挙げたような悪質なブログは論外ですが、レーベル・ブログは難しいでしょうか。
乱立しているので自然淘汰される予感もしますけどね。