映画評「12人の怒れる男」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2007年ロシア映画 監督ニキータ・ミハルコフ
ネタバレあり
シドニー・ルメットが映画デビューを飾った裁判映画の傑作「十二人の怒れる男」をロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフがロシアに舞台を移して換骨奪胎した野心作。と来れば、ある程度ベテランの映画ファンなら興味を抱かずにはいられないであろう。
ロシアの裁判所で、検察がチェチェン人少年に対してロシア人の養父を殺したとして第一級殺人の罪により終身刑を求刑、任意に選ばれた十二人の陪審員が全員一致という条件の下に有罪か無罪か決めることになる。
携帯電話が没収されるという配慮があることを考えれば、21世紀の現在に陪審員全員が男性という設定は些か非現実的である感が否めないが、密室を裁判所の隣にある学校の体育館という広い場所にした変更が事件再現の場面で大いに生かされる。
陪審員長は芸術家と呼ばれる二番(ミハルコフ自身)が務め、確固たる証人が二人いる為に十一人の陪審員が“有罪”に挙手するが、ただ一人一番(セルゲイ・マコヴェツキイ)だけが“無罪”にする。確信があるわけではなく、簡単に決めることは良心的にできない、と言うのである。
早めに帰宅したい人々などの事情を交えた序盤から、やがて議論が白熱、次第に無罪評が増えていく、という骨格はオリジナルと全く同じ。しかし、僕の見るところでは狙いは大分違っていて、社会性を漂わせながらもあくまで評決までのスリリングな紆余曲折が目的であるという印象を残すオリジナルに対して、本作は評決までの経緯を縦糸、陪審員たちの語る物語を横糸にしてロシアの荒廃した人心や社会、チェチェン人などとの民族紛争という模様を織り上げようとしている。
それがオリジナルが僅かに96分、本作が160分という上映時間の差として現れているが、その目的においては成功の部類。
無罪派への転向を一気に促進するのが想像の域を出ない仮説ばかりなのがミステリー的には気になるものの、本作は一種の寓話なのでその辺りを気にするのは野暮であろう。
最後は人が人を裁くことの難しさを滲ませ、抗争の絶えないロシアの少数民族との力関係が浮び上がる。従って、真夏の夕方に主人公に爽快さを与えた筈の風が感じられ気分宜しく観終えたオリジナルとは極めて対照的に、真冬という設定に通じる冷え冷えとしたムードに寒気を禁じ得ない部分がある。但し、恐らく少数民族を象徴する小鳥のリリカルな扱いが清涼剤のような後味を残すのは有難い。
チェチェン人は、それでも、自由を求む。
2007年ロシア映画 監督ニキータ・ミハルコフ
ネタバレあり
シドニー・ルメットが映画デビューを飾った裁判映画の傑作「十二人の怒れる男」をロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフがロシアに舞台を移して換骨奪胎した野心作。と来れば、ある程度ベテランの映画ファンなら興味を抱かずにはいられないであろう。
ロシアの裁判所で、検察がチェチェン人少年に対してロシア人の養父を殺したとして第一級殺人の罪により終身刑を求刑、任意に選ばれた十二人の陪審員が全員一致という条件の下に有罪か無罪か決めることになる。
携帯電話が没収されるという配慮があることを考えれば、21世紀の現在に陪審員全員が男性という設定は些か非現実的である感が否めないが、密室を裁判所の隣にある学校の体育館という広い場所にした変更が事件再現の場面で大いに生かされる。
陪審員長は芸術家と呼ばれる二番(ミハルコフ自身)が務め、確固たる証人が二人いる為に十一人の陪審員が“有罪”に挙手するが、ただ一人一番(セルゲイ・マコヴェツキイ)だけが“無罪”にする。確信があるわけではなく、簡単に決めることは良心的にできない、と言うのである。
早めに帰宅したい人々などの事情を交えた序盤から、やがて議論が白熱、次第に無罪評が増えていく、という骨格はオリジナルと全く同じ。しかし、僕の見るところでは狙いは大分違っていて、社会性を漂わせながらもあくまで評決までのスリリングな紆余曲折が目的であるという印象を残すオリジナルに対して、本作は評決までの経緯を縦糸、陪審員たちの語る物語を横糸にしてロシアの荒廃した人心や社会、チェチェン人などとの民族紛争という模様を織り上げようとしている。
それがオリジナルが僅かに96分、本作が160分という上映時間の差として現れているが、その目的においては成功の部類。
無罪派への転向を一気に促進するのが想像の域を出ない仮説ばかりなのがミステリー的には気になるものの、本作は一種の寓話なのでその辺りを気にするのは野暮であろう。
最後は人が人を裁くことの難しさを滲ませ、抗争の絶えないロシアの少数民族との力関係が浮び上がる。従って、真夏の夕方に主人公に爽快さを与えた筈の風が感じられ気分宜しく観終えたオリジナルとは極めて対照的に、真冬という設定に通じる冷え冷えとしたムードに寒気を禁じ得ない部分がある。但し、恐らく少数民族を象徴する小鳥のリリカルな扱いが清涼剤のような後味を残すのは有難い。
チェチェン人は、それでも、自由を求む。
この記事へのコメント
これ、僕はすごく高得点で。
こんなに有名な作品を、堂々とこんな骨太な寓話にする手腕がすごいなあ、と。
役者さんも知らない人がほとんどだけど、みんなうまいなあ、と。
彼らが話す程々の長さの挿話が、どこかチェーホフの短編小説を思わせたり、或いはロシアという国の現状を包括的に見つめる姿勢がドストエフスキー的だなあとか、ロシア文学の香りが匂って来る部分を楽しみました。
その一方で、その話が現実的な審議と乖離している印象を捨てきれないところがあって「絶賛はできない」という星に落ち着きました。
>ニキータ・ミハルコフがロシアに舞台を移して換骨奪胎した野心作
といわれてるんだけど、ロシアの状況を浮かび上がらせるという意図は読み取れるんだけど、観ていて骨がバラバラのまんま横たわっているって感じて、今ひとつ、う~ん どうなんだろうなぁって感じました。
もう少し旧ソ連の少数民族の現状に焦点を絞ってほしかったなぁって……
チェチェンに対する描き方も曖昧で……それが限界だったとは思うけれど…
(ソ連時代と同様今も怖ろしいロシアだし)
やっぱりオリジナルと重ねてみてしまう。
有罪にした男性は少年の父親の死とも関係する組織の側にかつてはいた人間なんでしょう。無罪にして少年を世間に出すよりも刑務所にいる方が安全だ。それが彼の有罪にした理由。それほどの組織(体制)の怖ろしさなんでしょう。
ここで引っかかったんだよな。体制側に守られた不自由な安全と、危険であってもロシアという体制からの自由。闘っているのはそこだろうって思うと、そこで映像にがーんと反撥してしまったわ。
TBして戴いた記事を拝読致しましたが、シュエットさんの不満は大体僕と同じですね。
例えば、シュエットさんはチェチェン少年の回想シーンと審議との関連性に不満を述べていますが、僕は挿入のタイミングが荒っぽいなと感じたんです。つまるところ、関連性が薄いから荒っぽく感じるのだろう、ということです。
審議と各人の語るお話の関連性も乏しいですね。ただ、寓話と思ってそれは大目に見ました。
>反撥
思うに、ミハルコフは祖国を憂える愛国主義者であって、決してチェチェンやその他の少数民族を憂えているわけではないのでしょう。
国家のようにチェチェンへの攻撃を良しとしているわけではないとしても、「中に留まるも、寒い外に出るのもお前の自由だ」という小鳥への言葉は大国的な発言として受け止められますよね。言葉は些か傲慢でも、鳥を外に出したことは悪くないなと思いますです。