映画評「ファニーゲームU.S.A.」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2007年アメリカ=フランス=ドイツ=イギリス=オーストリア映画 監督ミヒャエル・ハネケ
ネタバレあり
純文学的とでも言うべきスタンスからサスペンスを作り続けているミヒャエル・ハネケが自身の97年作をアメリカに舞台を移してリメイクしたサスペンス映画。
ヴァケイションを過ごすために小学生の息子デヴォン・ギアハートを連れて別荘を訪れたティム・ロス、ナオミ・ワッツの夫婦が、隣家に暮らす夫婦の甥と称して卵を求めに来た大学生風のマイケル・ピットとブラディー・コーベットに自宅に監禁されて、とんでもない目に遭わされる。
という単純なお話で図式も珍しくないが、観ている間若いインテリ二人組に腸(はらわた)が煮えくり返る思いに苛まれること必定。それも犯人側の身体的暴力の描写を限定して、精神的に追い詰める手法を重視しているのにこれだけの不快感を感じさせるハネケは相当の実力者と認めざるを得ない。例えば、犯人が一旦引き揚げた後ナオミが外に出たシークェンスでの車の使い方や、その後のゴルフボールの使い方が抜群に上手い。しかし、ここまで後味が悪い映画には抵抗を覚える。狙いに反するだろうから勧善懲悪とは言わないまでも多少は後味のことも考えるべきだろう。
映画的に注目に値するのは、演劇用語で言う【異化効果】を狙った、或いは【第四の壁を破る】手法、即ち、観客に向かって話しかけたり、リモコンで時間を巻き戻して失態を帳消しにしてしまうといったアイデアを大胆に持ち込んだことである。これらは一般的に喜劇に使われる手法であるが、いずれにしても観客に“作り物”であることを意図的に感じさせようとしているのである。それでいて反作用的に我々を“現実”のうちに引き留めてしまうもの凄さ。
しかし、ここまで不愉快さしか生み出さない作品は困るとしか言いようがない。それが目的なのであるから良く出来た作品には違いないが、良く出来た映画が必ずしも良い映画ではないことを強烈に意識づける。
ところが、本作に「カタルシスがある」というとんでもないことを仰る御仁がallcinemaの投稿者にいらっしゃいました。金持ちというだけで憎まれる理由になるといった理屈をつけているが、加害者の方も教養を詰め込んだ金持ちのぼんぼんに見えるからその理屈は乱暴にすぎる。白人のぼんぼんが金持ちの白人をやっつけても貧乏人や有色人種のフラストレーションが吹き飛ぶはずもないのである。
ましてハネケはそうした対立の構造で見せようとしているのではなく、身体的・精神的を問わず暴力の不愉快さを表現しようとしているのだから、カタルシスを覚えたとしたら監督の狙いとは逆となる。
昨日の「ある戦慄」のチンピラがマシに見えてくるのが怖い。
2007年アメリカ=フランス=ドイツ=イギリス=オーストリア映画 監督ミヒャエル・ハネケ
ネタバレあり
純文学的とでも言うべきスタンスからサスペンスを作り続けているミヒャエル・ハネケが自身の97年作をアメリカに舞台を移してリメイクしたサスペンス映画。
ヴァケイションを過ごすために小学生の息子デヴォン・ギアハートを連れて別荘を訪れたティム・ロス、ナオミ・ワッツの夫婦が、隣家に暮らす夫婦の甥と称して卵を求めに来た大学生風のマイケル・ピットとブラディー・コーベットに自宅に監禁されて、とんでもない目に遭わされる。
という単純なお話で図式も珍しくないが、観ている間若いインテリ二人組に腸(はらわた)が煮えくり返る思いに苛まれること必定。それも犯人側の身体的暴力の描写を限定して、精神的に追い詰める手法を重視しているのにこれだけの不快感を感じさせるハネケは相当の実力者と認めざるを得ない。例えば、犯人が一旦引き揚げた後ナオミが外に出たシークェンスでの車の使い方や、その後のゴルフボールの使い方が抜群に上手い。しかし、ここまで後味が悪い映画には抵抗を覚える。狙いに反するだろうから勧善懲悪とは言わないまでも多少は後味のことも考えるべきだろう。
映画的に注目に値するのは、演劇用語で言う【異化効果】を狙った、或いは【第四の壁を破る】手法、即ち、観客に向かって話しかけたり、リモコンで時間を巻き戻して失態を帳消しにしてしまうといったアイデアを大胆に持ち込んだことである。これらは一般的に喜劇に使われる手法であるが、いずれにしても観客に“作り物”であることを意図的に感じさせようとしているのである。それでいて反作用的に我々を“現実”のうちに引き留めてしまうもの凄さ。
しかし、ここまで不愉快さしか生み出さない作品は困るとしか言いようがない。それが目的なのであるから良く出来た作品には違いないが、良く出来た映画が必ずしも良い映画ではないことを強烈に意識づける。
ところが、本作に「カタルシスがある」というとんでもないことを仰る御仁がallcinemaの投稿者にいらっしゃいました。金持ちというだけで憎まれる理由になるといった理屈をつけているが、加害者の方も教養を詰め込んだ金持ちのぼんぼんに見えるからその理屈は乱暴にすぎる。白人のぼんぼんが金持ちの白人をやっつけても貧乏人や有色人種のフラストレーションが吹き飛ぶはずもないのである。
ましてハネケはそうした対立の構造で見せようとしているのではなく、身体的・精神的を問わず暴力の不愉快さを表現しようとしているのだから、カタルシスを覚えたとしたら監督の狙いとは逆となる。
昨日の「ある戦慄」のチンピラがマシに見えてくるのが怖い。
この記事へのコメント
この映画は未見です・・・というか一生観ない予定です 苦笑
オカピーさんご存知の通り理不尽な暴力が画面上に溢れている映画がどうも苦手で。
この監督とラース・フォン・トリアーは苦手ツートップなんですが、どちらも「
「救いようのない人間の暗部を露呈する」という主題のための、エグイ描写やストーリー展開を用意しているのは理解できますが、でも後味が悪過ぎて、観賞後に偏頭痛になってしまうんですよねぇ。
映画はどんな暗いお話でも、1割の「エンタメ要素」と「救い」は残しておいてほしいです。
とはいえ、同監督の「ピアニスト」は苦手と言いながらも、作品としての完成度については脱帽でした!(でも、後味は・・・ 笑)
出来の悪いホラー映画で、不快な気分になることはたくさんあるんですけどね。
この作品の不愉快さは、次元が違いますね。
現実の世界の中で、こうした不条理、こうした不愉快さは、あちこちに顔をのぞかせているような気がして、普段はそのことを見たくないものだから、考えまい、無視しよう、ありえない、と思ったりする。
そこを、ハネケ監督は、意地悪く、ついてくるんじゃないかと思います。
他の後味の悪い作品と比べてもこの作品の後味の悪さは異質ですよ。
>一生観ない
それが賢明でしょう(笑)。
>ラース・フォン・トリアー
仰るような共通点がありますね。
ただ、例えば「ドッグヴィル」は、神(僕はヒロインは神の使いと思っているんです)が「えいやっ」と嫌な人間を滅ぼしてしまう結末に納得できるものを用意していると思えますが、本作の一家は特に相手に対して悪いことはしていませんから、不快感は進行するに連れてどんどん増していきまして・・・始末に負えません。
>1割の「エンタメ要素」と「救い」
そう思います。
さもないと、悪夢が現実と心理的にリンクしてしまうというか。
>出来の悪いホラー
なら、すぐに現実に戻れるでしょうね。(笑)
>意地悪く
悪すぎますねえ。
映画として上手いから、余計に癪にさわりますね。(笑)
ははっ、感情面と理性面でこれほど評価の分かれる作品も珍しいでしょうね。
全くボーさんと同じ印象でした。