映画評「人情紙風船」
☆☆☆☆(8点/10点満点中)
1937年日本映画 監督・山中貞雄
ネタバレあり
生誕100年ということで色々なところで特集が組まれている映画監督山中貞雄は、間違いなく日本が生んだ不世出の天才だが、1938年出征1年後に28歳で病死し、また本作を含む三作を除く作品が焼失した為に古い映画に興味を持つ本格的映画ファン以外にその名を知る人は殆どいないのが実情にちがいない。四半世紀前僕が初めて観た山中貞雄が本作である。
結果的に遺作となった本作は河竹黙阿弥の歌舞伎脚本「梅雨小袖昔八丈」通称「髪結新三」を三村伸太郎が脚色、最終的に山中貞雄が手を入れて映像化した長屋もの。
江戸時代、深川の長屋に住む髪結い新三(中村翫右衛門)は何かと因縁をつけて来るやくざの親分・弥太五郎源七(市川笑太郎)の鼻を明かそうと彼の一味が用心棒として付いている質屋白子屋の娘おこま(霧立のぼる)を誘拐、隣に住む浪人・海野又十郎(河原崎長十郎)の部屋に預ける。一件は家主の要領の良い計らいで決着をみるが、新三は復讐に現れたやくざに討たれ、いつまで経っても仕官できないどころか、誘拐の片棒を担いだとの噂を立てられた海野は妻女おたき(山岸しづ江)の無理心中の刃に倒れる。
妻が内職で作っていた紙風船が空しく水路を流れて行く、有名な幕切れの重さに思わず声を呑んでしまうが、僕は明朗な「丹下左膳餘話 百万両の壷」「河内山宗俊」のほうが気に入っている。内容が山中監督らしい呼吸の良さと感応し、素直に楽しめるからである。
それはともかく、いきなり喰い詰め浪人の縊死をめぐる騒動から始まり、早くも映画全体のムードが決定されているわけだが、それでも長屋の住民たちは湿っぽい通夜の代りにどんちゃん騒ぎで死者を見送る。見送るというより酒にありつこうとする。しかし、この騒ぎは黒澤明の「どん底」に通ずる庶民のヤケクソな明るさであり、作者の悲観が画面に沈潜していることを観客は見逃さない。
この遺作が従来の作品に比べてかくも悲観的なのは、太平洋戦争前夜という世相の暗さと、召集により映画が作れなくなるという山中の不安が強く反映されているからであろう。実際本作公開当日に召集令状が届いたと聞く。
山田洋次監督は初の本格時代劇「たそがれ清兵衛」を作る時に本作を参考にしたらしい。確かに、あの時代劇の近作同様、厳しい時代のサラリーマン若しくは小市民の苦難を投影する狙いが見える。中でも開巻直後の浪人縊死事件において侍本来の死に方である切腹すらできない困窮ぶりを「竹光」の一言で表現して誠に鮮やかと言うべし。
三村と山中は庶民の生活感情を強く打ち出す為に原作にない浪人・海野を作り出した。しかし、自らの運命を知りながら人生最後になるかもしれない場に向かう原作由来の主人公・新三の潔さに比べ、亡き父親のコネに頼る海野の弱々しさが気になるのが本作の難点だろうか。
残りしが 三本だけとは ちと寂しい
1937年日本映画 監督・山中貞雄
ネタバレあり
生誕100年ということで色々なところで特集が組まれている映画監督山中貞雄は、間違いなく日本が生んだ不世出の天才だが、1938年出征1年後に28歳で病死し、また本作を含む三作を除く作品が焼失した為に古い映画に興味を持つ本格的映画ファン以外にその名を知る人は殆どいないのが実情にちがいない。四半世紀前僕が初めて観た山中貞雄が本作である。
結果的に遺作となった本作は河竹黙阿弥の歌舞伎脚本「梅雨小袖昔八丈」通称「髪結新三」を三村伸太郎が脚色、最終的に山中貞雄が手を入れて映像化した長屋もの。
江戸時代、深川の長屋に住む髪結い新三(中村翫右衛門)は何かと因縁をつけて来るやくざの親分・弥太五郎源七(市川笑太郎)の鼻を明かそうと彼の一味が用心棒として付いている質屋白子屋の娘おこま(霧立のぼる)を誘拐、隣に住む浪人・海野又十郎(河原崎長十郎)の部屋に預ける。一件は家主の要領の良い計らいで決着をみるが、新三は復讐に現れたやくざに討たれ、いつまで経っても仕官できないどころか、誘拐の片棒を担いだとの噂を立てられた海野は妻女おたき(山岸しづ江)の無理心中の刃に倒れる。
妻が内職で作っていた紙風船が空しく水路を流れて行く、有名な幕切れの重さに思わず声を呑んでしまうが、僕は明朗な「丹下左膳餘話 百万両の壷」「河内山宗俊」のほうが気に入っている。内容が山中監督らしい呼吸の良さと感応し、素直に楽しめるからである。
それはともかく、いきなり喰い詰め浪人の縊死をめぐる騒動から始まり、早くも映画全体のムードが決定されているわけだが、それでも長屋の住民たちは湿っぽい通夜の代りにどんちゃん騒ぎで死者を見送る。見送るというより酒にありつこうとする。しかし、この騒ぎは黒澤明の「どん底」に通ずる庶民のヤケクソな明るさであり、作者の悲観が画面に沈潜していることを観客は見逃さない。
この遺作が従来の作品に比べてかくも悲観的なのは、太平洋戦争前夜という世相の暗さと、召集により映画が作れなくなるという山中の不安が強く反映されているからであろう。実際本作公開当日に召集令状が届いたと聞く。
山田洋次監督は初の本格時代劇「たそがれ清兵衛」を作る時に本作を参考にしたらしい。確かに、あの時代劇の近作同様、厳しい時代のサラリーマン若しくは小市民の苦難を投影する狙いが見える。中でも開巻直後の浪人縊死事件において侍本来の死に方である切腹すらできない困窮ぶりを「竹光」の一言で表現して誠に鮮やかと言うべし。
三村と山中は庶民の生活感情を強く打ち出す為に原作にない浪人・海野を作り出した。しかし、自らの運命を知りながら人生最後になるかもしれない場に向かう原作由来の主人公・新三の潔さに比べ、亡き父親のコネに頼る海野の弱々しさが気になるのが本作の難点だろうか。
残りしが 三本だけとは ちと寂しい
この記事へのコメント
BSもあと二年でなくなると思うとチトさびしいですね。
ここまで来たのですから、ぜひキネ旬の年間ベスト5を始めた年から現在までをやって欲しいですね。
BSによって映画ファンが受けた恩恵は計り知れません。ノーカット放送で字幕版で、しかもCMが入らないという理想的な環境で放送してくれていたこの媒体がなくなってしまうのはなんとも残念です。
まあデジタル化が進んでいってしまったために権利問題等がややこしくなっているのは分かりますが、ほとんどの人は自分のライブラリーを充実させるために録画するだけでしょうから、海賊盤とは違う観点でダビング10とかも見直して欲しいですね。
こうしたクラシック映画企画を通して、若いファンの人たちに山中・小津・溝口・黒澤監督らの仕事を身近に見て欲しい、と切に願います。見た目が派手な映画だけではなく、しんみりしたり、考えさせられたりする作品にめぐり合って欲しい。~して欲しいばかりに成ってしまうのが情けないです(笑)
ではまた!
>BSも
ええっ!?
BSアナログだけでしょ?
で、調べてみたらNHK-BS3(デジタルハイビジョン)も中止で、現在のNHK-BS1/BS2(デジタル)がデジタルハイビジョン化だそうです。一本化される上でのハイビジョン化でしょうか?
この辺良く解っておりません。
僕は8年くらい前からアナログ/デジタル併用なので設備的には問題ないですが、映画枠だけは今のまま取っておいてほしいなあ。
その頃はブルーレイ・レコーダーも買っているだろうし。
ブルーレイになればハイビジョン放送をディスク化した時に画質が下がらないはずですから、個人的にはダビング10の問題はなくなるかなあ(WOWOWはダビング10にすらなっていませんが)。NGの時のために余裕はあったほうが良いですけどね。
ということで、NHK全体が映画から撤退することはないでしょうが、今より本数が減るとは思います。どこかの誰かがNHKは放送枠が多すぎるとかいちゃもんを付けていましたし。
山中貞雄の話が吹っ飛んでしまいましたが、呼吸・リズムの良い映画を作る監督は良いですね。伊丹万作も、「赤西蠣太」一本しか観ていませんが、素晴らしい。
BSがなくなるわけじゃないんですね?良かったです!
BSの映画プログラムって、おそらく最初は番組数が少ないBSが苦肉の策として放送し続けたというのが真相だと思いますが、映画ファンへの恩恵は計り知れませんね。これからもつまんない情報番組よりも映画をたくさん放送して欲しいですね。
>万作
ぼくは彼の作品って、一本も観てないんですよ。DVDがレンタルに並ぶか、CSで特番があるまでは地道に待ちます。息子さんの方は全作品観たんですけどね(笑)
ではまた!
そのはずです。
BSには難視聴地区の為に地上波デジタルの代替として使う目的も生まれるので、NHKについてはBS1を地上波そのまま、BS2を独自プログラム(あるいはその逆)という編成になるかもしれません。
そうなると映画は明らかに減るのですけどね。
>BSが苦肉の策
そうかもしれませんね。
>映画ファンへの恩恵
そうですね。相当貴重な映画を観ましたよ。
エルモ・リンカーンの「ターザン」第一作とか、目玉の松ちゃんの「忠臣蔵」とか。伊丹万作の「赤西蠣太」もそうだったかも。
>万作
代表作と目される「国士無双」も焼失組ですよね。
戦前の日本では映画はただの消耗品だったということを伺わせる映画会社の態度は何とも腹立たしい。
本作だけが未見でした。
3作品放映前に特集番組「ちとさびしい」も観て感慨一入。
戦時下で国策映画を撮るために彼の撮ったフィルムも使いまわしで使われたとか。惜しいなぁって思う。
観たらゆっくりじっくりP様の映画評を読ませていただきますね。まずはコメントだけ。
それから用心棒さんからレニ監督の「意思の勝利」国内版が来年1月ごろDVD発売されるとの情報。アマゾンで予約販売してるっていうんで早速にワンクリックしてしまいました。これは私はタイトルと内容だけは知っていたけど未見作品。どんな映像をレニが撮ったのか大いに興味ありです。
運命って残酷だし、皮肉ですよね。
レニも素晴らしい映像を撮る人、そして山中貞雄も。ifって考えてしまいますよね。ただ、レニは人一倍自尊心が強い人だと思う。ある意味ナチス政権なればこそ彼女を満足させたのかな?なんて考える。
山中貞雄は本作封切りの日に赤紙が届いたそうですね。
生きて帰還していれば、中国戦線の体験を経て彼は戦後どのような映像を撮っただろうって思う。
>じっくり
結構これは手抜き記事なんです。
>未見
そうでしたか。
僕は、大分前に本作を観たのが最初で、次に「百万両の壺」、そして「河内山宗俊」という順番だと思います。
>山中貞雄は本作封切りの日に赤紙が届いたそうですね
そのようですね。僕も本稿でやはり書いてしまいました。
>生きて帰還していれば
戦後はGHQの政策により時代劇は基本的に禁止でしたし、観客の要請もあって現代劇を撮ったはずでして、用心棒さんのところでも「山中貞雄の現代劇が観たかった」と書いてきました。
映画史に残る現代劇もものしたか・・・と残念でなりません。