映画評「天城越え」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1983年日本映画 監督・三村晴彦
ネタバレあり

今月(2009年12月)三本目の松本清張は再鑑賞作品。たった26年前(笑)の作品なので、今でも活躍している役者が多く、その若さに感慨ひとしお。一言で言えば、「伊豆の踊子」のミステリー版である。

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老刑事(渡瀬恒彦)が静岡の小さな印刷業者に印刷を依頼に来るのが発端で、かつて彼が担当した「天城山殺人事件」の調書を印刷するのが目的(但し口実)だが、調書を見た主人(平幹二朗)は驚き、40年前14歳の少年(伊藤洋一)だった頃遭遇した事件を回想する。
 少年は家出を試みて天城越えをするうち若い娼婦(田中裕子)と知り合うが、その直後土工が殺され、彼の証言で娼婦が犯人として挙げられたのである。

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真犯人が少年であることは余程うっかりしていない限りフラッシュバックにより序盤の内に解るはずで、とことん犯人に詰め寄って行く本格推理若しくは倒叙ものの醍醐味は薄い、いや、寧ろ意図的に薄められている。少年が殺人を犯すまでの心理の流れを後半部分でじっくり描く為である。

天衣無縫な娼婦に捧げられた純情を汚す者への怒り。激しい雨の降る中連行される娼婦を見送る少年と見送られる彼女の心の交流...。芽生えたばかりの性欲と少年らしいロマンティシズムが発露し交錯する場面が丹念に積み重ねられ甘酸っぱい情感が醸成されていく。

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一方、主人公が刑事から無罪になりながら獄死したと聞かされたショックで発作を起こす場面は重い。罪の意識の重さである。また、足のサイズによる思い込みにより初動捜査でミスを犯した刑事の悔悟もまた重苦しく、二人の40年間の思いがぶつかり合う終盤の長い場面には胸が締め付けられるような思いがする。天城峠に残された苦いノスタルジーと感傷を粉々に砕くバイクの騒音で幕を閉じる。

三村晴彦の監督デビュー作。演出は丁寧で重厚、新人離れした印象を受けたが、4本ほど作った後何故かTV映画ばかり任され、90年代以降劇場用映画を作ることなく昨年逝去した。

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配役陣では、演技力で妖艶さを醸し出す田中裕子が圧巻。

♪隠しきれない 移り香が~

この記事へのコメント

2010年01月02日 18:18
2010年☆
あけましておめでとうございます!
美麗画像はないんですね?(笑)
十瑠さんのとこもお休みみたいね。^^

ダジャレの和田勉(笑)演出TV版も
年前に観ました。(大谷直子・佐藤慶・
鶴見信吾で)
やはりダントツ田中裕子勝ちでしょう!(^ ^)
彼女は不思議な「艶っぽさ」がたまりません。
本作では特にそれが顕著ですね~。

三村晴彦さん、湿り気のある画面作る
人でしたが~・・・お亡くなりに~(合掌)

清張さんの短編映画化の中でも
「張り込み」と本作は素晴らしいと
私は思いますが。
2010年01月03日 01:29
新年明けまして、おめでとうございます。
去年は体調を崩されて心配いたしましたが、もう回復されているようで、安心しております。のんびりと更新していってくださいね。

 当方はなかなか更新できない日々が続いていますが、なんとかエイゼンシュテインの残りの一本『ストライキ』や黒澤監督関連を記事にしていきたいと思っています。

 今年もよろしくお願いいたします。ではまた!
オカピー
2010年01月03日 01:53
vivajijiさん、明けましておめでとうございます。

>美麗画像
いや、時間がないだけで、もう少しお待ちください。
チョー忙しいの。^^;
場合によってはスキップ。その時はご容赦あれ!

>TV版
最近NHKで再放映されていたような。

>不思議な「艶っぽさ」
田中裕子の演技力ですね。
そういうタイプの女優ではないのに、白粉の匂いを感じさせるような演技をしますよね。仰るように本作なんか絶品です。

>「張り込み」
大昔に観ましたが、忘れちゃったなあ。ごめんなさい。
そのうちまた観ますよ。
年末年始は清張づけになっちゃっています。
オカピー
2010年01月03日 18:22
用心棒さん、新年明けましておめでとうございます。

>体調
頭は使っても大丈夫な病気なので、ぼつぼつやっております。
家の事情で今年は多少鑑賞本数が減るのではないかと思いますが、ブログは問題なく続けられます。

>エイゼンシュテイン
ふーむ、当方、ブログではまだ扱っていませんよ。
ちゃんと書きたいけれど、余りに古典なのでちょっと億劫になっちゃう。(笑)

>黒澤監督関連記事
よろしゅう頼んます。<(_ _)>

こちらこそ宜しくお願い致します。
2010年01月05日 10:07
プロフェッサー、明けましておめでとうございます。

この作品、懐かしいですね。
何度か鑑賞した作品ですが、かなり前ですので詳細は・・・。

ただ、どっぷりとその世界に入り込んだのと、足のサイズ、思いこみからその可能性というか、真実を見つけ出した展開は強く印象にあります。

再見したい1本です。

それでは、最近は映画記事が少ない私ですが、本年もどうかよろしくお願い板hします。
オカピー
2010年01月05日 23:15
イエローストーンさん、明けましておめでとうございます。

僕は公開時に観て以来久しぶりでした。

>足のサイズ
一種の倒叙もので、僕らは足のサイズについての秘密は解っていますから、あの氷小屋(?)でミスを犯す一幕は印象的です。
少年犯罪ですし、時効もあるので、刑事事件ととしては意味がないのに刑事は印刷所まで足を運ぶわけですね。ふーむ、面白い(福山雅治の真似のつもり)。

>映画記事
たまに遊びに来て戴ければ結構ですよ。

こちらこそ本年も宜しくお願い致します。
シュエット
2010年01月07日 10:52
5日から仕事始めで、ようように通常モードを取戻しつつあるシュエットです。
だもんで、早々とご挨拶を頂きながら、私めの新年の挨拶が遅くなりまして(フニャっ!)
松本清張作品もみんなが帰った3日の夜からじっくりゆっくり見れた次第。こういう重くて深みと厚みのある、映画らしい映画作品をみると、本当にゆっくりとした気分で、やっと正月休みって気がしました。
>芽生えたばかりの性欲と少年らしいロマンティシズムが発露し交錯する場面が丹念に積み重ねられ甘酸っぱい情感が醸成されていく。
いやぁ、上手いですよね。それと母の中の女。穢されることに対する大人の男たちへの憎しみ。いい仕事してますよね。
動機はなんだったんでしょうね? そんな質問にもあえて説明的な描写もなく、握り締めたお守りの中にあったマッチ箱。
やっぱり清張は「時代」そのものを、時代が背負っている感情みたいなものを強烈に作品で描いてますよね。そんなことを今回のwowow特集で松本清張作品を再鑑賞していて、改めて思いました。2.30年前は原作も映画も、ミステリー的な部分も面白くって夢中で読んだし観たけれど、それでもそれ以上に強烈に惹かれるものを感じたのは、強烈に描かれた時代感覚なんだろうなって改めて思いました。
それから田中裕子の素晴らしさに加え、本作の少年といい、「鬼畜」の少年といい、「砂の器」の少年といい、子役の少年たちもいい演技してますよね。じっと大人を見詰めるときの演技なんて、クローズアップに耐えてますものね。
シュエット
2010年01月07日 10:54
Pさま 長くなりました。
>天城峠に残された苦いノスタルジーと感傷を粉々に砕くバイクの騒音で幕を閉じる。
再鑑賞してみると、このラストシーンがさらに印象的だった。公開された時には、この映画の醸し出す情緒を受け止める感覚が残っていた時代から、確実に時代も邦画も変わってったって、そんな現代という時代を象徴するようなシーン。
続いて他の清張作品もコメント入れさせていただきますね。

最後になりました。
今年も宜しくお願いいたします。
一つでも多くP様にTBとコメントを入れられますように!
私めにはTBオンリーで十分ですよ。今年もお気遣いなく、お願いいたします。
オカピー
2010年01月08日 01:20
シュエットさん、こんばんは。

>動機
自分の経験からして、14歳くらいの男は性欲が芽生える一方で、女性とりわけ母親に対して依然神聖な思いを持っていて、その二つが拮抗する年齢です。
それから推測するに、恐らく土工への行為は母親に対する叔父さんへの行為の代償になっていたかも知れませんなあ。

>時代
それが問題でもありましてね。
時代を写し取るような精緻な描写がありますから、リメイクなどする時は脚本家はきちんとその辺を考えないといけませんよね。
背景となる時代を変える場合は、本筋との関係をきちんと測り直さなければいけないし、そのままの場合でも現在の観客に解るように作る必要があるはずで、現在公開中の「ゼロの焦点」はその辺りをどうやっているのか・・・僕が見るのは来年の春先くらいになりそうですけど。

>ラストシーン
実はフェリーニのローマ」のラストシーンがバイクの走行で、「このシーンの意味は何じゃろう」と友達と話し合ったことがありますが、あれもフェリーニの少年時代のお話がメインですから、やはり本作と同じ効果を狙ったものになりましょうか。
そうすると、脚色もした三村監督が「フェリーニのローマ」から拝借したのかもしれませんね。

こちらこそ今年も宜しくお願い致します。
シュエット
2010年01月09日 07:23
再鑑賞してみて、今回はとりわけ大人の世界をじっとみつめる子供の視線が痛いなって、それがとても印象的な鑑賞でした。「天城越え」「鬼畜」「砂の器」の3本をそんな印象から感想を書いたのでTBしますね。
オカピー
2010年01月09日 18:33
シュエットさん、こんばんは。

>大人の世界をじっとみつめる子供の視線
今の子供は心が汚れるのが早い(笑)ので、十歳くらいまでではないとお話にならないかも、などと昔の子供たちを観て思っちゃいましたなあ。

いずれにしても、清張の映像化作品を続けて観ると、舞台となる土地とか、主題やモチーフといったところで、相互に関連性が高いのを思い知らされましたよ。
続けて観る効果ですね。
シュエット
2010年01月29日 15:11
こんなお喋りしにきてよかったかしら?
今日29日から公開のピーター・ジャクソン監督の「ラブリーボーン」。殺された14歳の少女の視点から両親や犯人の人生、そして自分自身の死をみつめるという映画、観にいくつもりなんだけど、14歳の少女役には「つぐない」で13歳のブライオニー役を演じたシアーシャ・ローナン。それで覆いだしたのだけれど、「つぐない」も13歳という多感な少女の、純で一途な思い、一途さゆえの残酷さが、その後の彼らの人生を狂わせたともいえる物語。13歳のブライオニーと「天城越え」の14歳の少年。多感な年齢のこの一途さが物語の始まり。二つの作品って重なるなぁ。
感受性の強い透明感のあるブライオニーをみせてくれたシアーシャ・ローナンが本作では14.5歳。彼女の成長もみれるのも楽しみ。
なかなかいい作品みたいです。
オカピー
2010年01月30日 01:20
シュエットさん、こんばんは。

現在忙殺されている為にレスがすぐに出来ない場合がありますけど、ご遠慮なく遊びにいらして下さい。

>「ラブリーボーン」
いきなりびっくりしましたけど、思春期初めの主人公という共通点があるわけですね。
ピーター・ジャクソンは「ロード・オブ・ザ・リング」以降の安定した仕事ぶりを示している天才監督だし、シアーシャ・ローナンも「つぐない」でのセンシティヴな演技が印象的だっただけに、相当期待できそうですね。
まあ、僕は映画館では観ないのだろうけど。^^;
mirage
2023年08月16日 22:22
こんばんは、オカピーさん。「影の車」の流れから、私にとって思い出の映画の1本である「天城越え」について、感想を述べてみたいと思います。

この映画「天城越え」は、現在、過去、大過去と回想の断片を錯綜させ、響きと怒りに満ちた、この世のおぞましい地獄絵と人間の情念を描いた秀作だと思います。

この松本清張原作、三村晴彦監督の「天城越え」は、本物の映画でした。
この映画は、三村監督のデビュー作だが、おそらく彼が本当に作りたくて、何年間も執念を燃やし、親鳥が長い間、卵を抱いて孵化させるように、シナリオをじっとあたため続けてきたのだと思います。

作品に対する、このような粘っこい執念や情熱といったものが、画面を通して観る者に確実に伝わってくるといった種類の映画でした。
そして、この種の映画は、一人の監督でも、そうやたらと作れるものではないと思います。
生涯に1本ないし2本作れるかどうかだと思いますね。

14歳の少年が、一人で天城越えをした。
少年が、一人旅をするようになったのは、母の情事を目撃したからだ。
少年は、亡き父を裏切った母が許せなかった。

少年にとって、それまで母は神であり、恋人であり、神聖な存在だった。
その母が男に抱かれた。そんな母が、少年には許せない。
母から逃れるために、彼は静岡の兄を頼って、一人で天城を越えようとしたのだった。

そして、旅の中で、少年は一人の女と知り合った。
彼女は、なぜか素足だった。
女と話しながら、峠を歩くうちに、少年は、彼女の面差しに母の顔を二重映しにしていた。

女は美しかった。女は、しかし、一人の土工に会うと、少年と別れ、土工と一緒に歩き出す。
そして、二人が草むらの中で情交している姿を、少年は目撃する。

そして、土工が殺された。女が逮捕された。
女は、湯が島の売春宿の女で、一文無しで逃げた。
土工と情交を重ねたのは、逃走資金欲しさのためであろう。

事実、彼女は金を持っているうえに、土工の死体があった近くの永倉のオガ屑の上に、九文半くらいの小さな足跡が残っていた。
彼女の足の大きさも、九文半前後であった--------。

このストーリーからもわかるように、これは原作者の松本清張版の「伊豆の踊子」だと言えるだろう。
川端康成の「伊豆の踊子」は、旧制の一高生を主人公にして、伊豆を旅する旅芸人の一座の中の踊子にみせる、淡い思慕を瑞々しく描き、過去にも繰り返し映画化されているが、この「天城越え」は、貧しい少年の目に映る娼婦の姿を描いているのです。

社会の底辺から、人間をじっと凝視するという、いかにも松本清張らしい短編小説だけれども、ミステリとしての結晶度は、それほど高いとは思えません。
そんな、松本清張の原作を、少年の目に映る娼婦というモチーフを使い、極めて結晶度の高い作品に仕立て上げたのが、三村晴彦監督なのです。

少年の目に映る娼婦は、永遠の女性です。
男性にとって、永遠の女性は、常に自分の母親のイメージと、どこかで二重映しになっている。

母親のそれとダブッた永遠の女性は、少年の目には限りなく美しいものに映る。
心の中にあって、永遠の女性は、比類のない美しさで棲みつき、だからこそ、それは誰の手によっても汚されてはならない。
神聖にして犯すべからざる存在なのです。

男性にとって、最初に接する異性は、母親だ。
そして、思春期を迎え、現実に肉体的に接触する最初の女性は、かつて多くの場合、娼婦であった。
このへんから、男性にとって、永遠の女性は、母親と娼婦が微妙に混淆したものとして存在するのだと思います。

峠の長い暗いトンネルの向こうに、少年は"雪国"ではなく、"地獄"を見るのだが、それも彼自身の手で描き出す、響きと怒りに満ちたこの世のおぞましい地獄絵だ。

映画が始まるのは、それから三十数年後------。
この天城越えのエピソードは、現在、過去、大過去と回想の断片を錯綜させて語られていきます。

オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」以来、どんなに複雑な構成をもつ回想形式も珍しくはないのだが、「天城越え」には最初から故意に、ほとんど唐突なくらいに、大きなアナというか時間的な欠落が用意され、その深く大きな空白の時間をラストの三十分-----死に直面した主人公の懺悔のような"主観的回想"で埋めるという形になっている。

そのラストの三十分で、主人公(平幹二朗、少年時代は伊藤洋一)の《バラの蕾》とは一体何であったのか(主人公の手にしっかりと握られていた思い出のマッチが、死の寸前に開かれた手からポトリと落ちる)、少年の見た地獄とは何であったのかの謎が解明され、その謎解きのために、エモーショナルなサスペンスが高められていくのです。

と言っても、プロットの上では、実は謎はないのだ。
主人公が、三十数年前の"天城山の土工殺し"の事件の当事者であることは、映画の冒頭のワン・カットで、はっきりと明かしてしまっている。
残された謎はただひとつ、少年が天城峠で出会った女なのです-------。

三村監督は、この作品について「天城越えは母恋物語です。旅の女ハナへの憧れは、母への憎悪と同じものなのです」と語っていて、このことからも、この作品がストーリーの意外性や犯人探しの推理の面白さを狙ったサスペンスではないということがわかります。

少年の心の高まり、生理と官能の震えの中で捉えられた"女のイメージ"のサスペンスと言ったらいいのかも知れません。

ヒロインの旅の女ハナを演じた田中裕子は、圧倒的な素晴らしさで、この上なく汚辱にまみれた瞬間に、この上なく崇高な表情を見せます。

土工殺しの容疑で逮捕され、取調室でハバカリに行くことを禁じられ、屈辱の小水をもらすシーンは、それまでほとんど見られなかった女の姿を、見事に感動的に演じていました。

カメラは田中裕子の一瞬の表情を捉えるのです。
その目に涙はありません。
ただ、取調べの刑事たちに対して"人でなし"という小さな叫び"がもれるのです。

そして、雨の中を護送車に引きたてられる田中裕子が、少年を見つけて、ふっと"菩薩の表情"で全てを語るワン・カットが、少年の、そして三村監督の万感の思いを込めたスローモーションのイメージで、連続三回繰り返して画面をよぎります。

まさにこの美しいワン・カットだけでも、この三村晴彦第一回監督作品は、長く私の記憶の中に残り続けていくと思います。

それは、田中裕子という女優に、「西鶴一代女」の田中絹代から、「清作の妻」の若尾文子、「曽根崎心中」の梶芽衣子に至る、全ての女性映画の名作の忘れがたいヒロインたちを、更に現代的に鮮烈に演じられるに違いないという、無限の可能性を約束するワン・カットなのです。

とにかく、この「天城越え」という映画は、隅から隅まで田中裕子という女優に捧げられた映画なのだと思います。

そして、色彩的にはグリーンが実に美しい。
映画がカラーであることが当たり前になっている中で、久しぶりに色彩なくしては考えられない"映画の肌ざわり"みたいなものを感じさせてくれました。

特に、陰惨な殺人事件の血にまみれた現場の背景になる、天城山中の木々の鮮やかな緑といった、グリーンの強烈な色調が印象的で、そのグリーンのイメージが、田中裕子の女の官能的なニュアンスを匂うように画面に浮き上がらせる効果を出しているのだと思います。

そして、山の中で日が暮れて、ひとりぼっちで心細くなった少年の目の前に、不意に現われてくる田中裕子の顔や首筋に塗られた白粉、吹き流しにかぶった白い手拭い、赤い蹴出しからのぞいた白い裸足の白のイメージの衝撃。

山の中の緑が、みるみる夜の闇に吸収されて沈んでいく瞬間の背景の、深く濃い色調が実に素晴らしい。

アルバート・ルーインの「パンドラ」やアルフレッド・ヒッチコックの「めまい」やフランソワ・トリュフォーの「終電車」を引き合いに出すまでもなく、グリーンは夜への誘惑の色なのです。

「天城を越える過去が重要なポイントなので、これをいかに美しく際立った映像にするか留意した」ことを撮影の羽方義昌は語っていますが、このグリーンを基調にした色彩設計の素晴らしさは、数ある日本映画の中でも傑出して素晴らしかったと思います。
オカピー
2023年08月17日 16:03
mirageさん、こんにちは。

>この松本清張原作、三村晴彦監督の「天城越え」は、本物の映画でした。
>生涯に1本ないし2本作れるかどうかだと思いますね。

同意いたします。
同じく清張を原作とした次作「彩り河」は、ほぼ駄作と言って良い出来栄えでした。ちょっと匙加減を間違えると、あのような変な映画になってしまう。
三村監督はこの映画で精魂を使い果たしてしまった感があります。

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