映画評「霧の旗」(1965年版)
☆☆☆★(7点/10点満点中)
1965年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり
山口百恵主演でも映画化された松本清張の同名ミステリーの最初の映画化で、脚本は橋本忍。監督は橋本と共同で「ゼロの焦点」や「砂の器」を脚色した経験のある山田洋次。この作品以降は喜劇と一般ドラマばかりを作ることになる山田監督だが、カット割りが絶妙で繋ぎの呼吸が良いので、精妙な編集テクニックが必要な正統派サスペンスに向いていると僕は思っている。
高利貸しの老婆殺しの容疑をかけられた兄(露口茂)の弁護をして貰おうとわざわざ熊本から上京した柳田桐子(倍賞千恵子)は頼りの高名弁護士・大塚欣三(滝沢修)に多忙と高額の費用を理由に拒絶され、兄は死刑を言い渡される。
一年後、兄が死んだのを受けて再び上京しバーのホステスになった彼女が懇意の記者から大塚弁護士が事件に関心を持っていることを知った頃、同僚(市原悦子)に頼まれてその恋人・杉田(川津祐介)を尾行した先で杉田の死体を発見して動揺する女将・河野径子(新珠三千代)と出くわす。
女将が大塚の愛人と知った桐子は彼女が犯人でない旨の証言を拒み、証拠であるライターを現場から持ち去る。懇願する彼がアパートに来るように仕組むと強姦の証拠をでっちあげ、彼を奈落の底に突き落とす。
高名弁護士の心に生じた僅かな隙が四人の男女を煉獄に落とす壮絶な悲劇で、ヒロインの凄絶な復讐心に圧倒されてしまうが、お話には多少疑問が残る。傲慢というには余りに軽微な罪しか犯していない弁護士に対するヒロインの逆恨みではない。逆恨みは本作最大のモチーフであるから放っておきましょう。
一つは素朴な疑問で、一年以内に死刑になるのが早すぎはしないかということである。今に比べて死刑反対の声の少ない時代だから処刑までのスパンが短い可能性もあっても、控訴等を考えると短すぎる。というのは間違いで、ちゃんと「控訴の途中で病死した」と桐子は書いている。実はこの部分は1分ほど席を外さざるを得ず、キネマ旬報を参考にしたのだがすっかり騙された。ここにお詫びして訂正致します。
もう一つ、復讐ドラマとしては偶然に訪れたチャンスに頼っているのが若干弱い。
一方、演出は既に相当しっかりしている。
まず、タイトルバックになっているヒロインが列車に乗って熊本から上京するその距離(原作の書かれた当時なら列車では24時間以上かかったはずである)を感じさせるショットの積み重ねが上手い。先輩の野村芳太郎の演出をかなり参考にした感じがある。
弁護を拒まれたヒロインの絶望感と無力感の大きさを表現する為にハイヒールのコツコツ音以外の音をシャットアウト、通りすがりの記者の声をきっかけに現実音が入ってくる・・・という演出はヌーヴェルヴァーグ以降既に他の監督も試みていたはずだが、印象としては大変フレッシュ。
そういったテクニックを交えたコントラストの強いモノクロ映像が人間の心の闇を凝視する。兄の冤罪を晴らすチャンスすら犠牲にするヒロインの頑なな心が哀感をもって我々の心情に迫り、寒々とさせないではおかない。
倍賞千恵子がそんなヒロインに扮して絶品。
目には目を。拒絶には拒絶を。
1965年日本映画 監督・山田洋次
ネタバレあり
山口百恵主演でも映画化された松本清張の同名ミステリーの最初の映画化で、脚本は橋本忍。監督は橋本と共同で「ゼロの焦点」や「砂の器」を脚色した経験のある山田洋次。この作品以降は喜劇と一般ドラマばかりを作ることになる山田監督だが、カット割りが絶妙で繋ぎの呼吸が良いので、精妙な編集テクニックが必要な正統派サスペンスに向いていると僕は思っている。
高利貸しの老婆殺しの容疑をかけられた兄(露口茂)の弁護をして貰おうとわざわざ熊本から上京した柳田桐子(倍賞千恵子)は頼りの高名弁護士・大塚欣三(滝沢修)に多忙と高額の費用を理由に拒絶され、兄は死刑を言い渡される。
一年後、兄が死んだのを受けて再び上京しバーのホステスになった彼女が懇意の記者から大塚弁護士が事件に関心を持っていることを知った頃、同僚(市原悦子)に頼まれてその恋人・杉田(川津祐介)を尾行した先で杉田の死体を発見して動揺する女将・河野径子(新珠三千代)と出くわす。
女将が大塚の愛人と知った桐子は彼女が犯人でない旨の証言を拒み、証拠であるライターを現場から持ち去る。懇願する彼がアパートに来るように仕組むと強姦の証拠をでっちあげ、彼を奈落の底に突き落とす。
高名弁護士の心に生じた僅かな隙が四人の男女を煉獄に落とす壮絶な悲劇で、ヒロインの凄絶な復讐心に圧倒されてしまうが、お話には多少疑問が残る。傲慢というには余りに軽微な罪しか犯していない弁護士に対するヒロインの逆恨みではない。逆恨みは本作最大のモチーフであるから放っておきましょう。
一方、演出は既に相当しっかりしている。
まず、タイトルバックになっているヒロインが列車に乗って熊本から上京するその距離(原作の書かれた当時なら列車では24時間以上かかったはずである)を感じさせるショットの積み重ねが上手い。先輩の野村芳太郎の演出をかなり参考にした感じがある。
弁護を拒まれたヒロインの絶望感と無力感の大きさを表現する為にハイヒールのコツコツ音以外の音をシャットアウト、通りすがりの記者の声をきっかけに現実音が入ってくる・・・という演出はヌーヴェルヴァーグ以降既に他の監督も試みていたはずだが、印象としては大変フレッシュ。
そういったテクニックを交えたコントラストの強いモノクロ映像が人間の心の闇を凝視する。兄の冤罪を晴らすチャンスすら犠牲にするヒロインの頑なな心が哀感をもって我々の心情に迫り、寒々とさせないではおかない。
倍賞千恵子がそんなヒロインに扮して絶品。
目には目を。拒絶には拒絶を。
この記事へのコメント
読み返しまして
あの28のコメント群の濃密さと情熱に
私、一瞬、めまいが起きそうになりました~^^
まさにいい意味で映画に取りつかれた方々(笑)
の映画談話サロンを呈しておりましたね。(懐)
たしか橋本忍の仕事と題したBS特番で
ゲストの山田監督がこの「霧の旗」を
自ら振り返って
「僕にとってもこの映画はとっても感慨
深い作品なんだよ。そして、とても好きな
作品なんだ・・・」と。^^
おっしゃる通りですね。刑期は短か過ぎ、
事件とその遭遇が確かに偶然過ぎ、です。
清張作品、けっこう“偶然”に頼ってる
作品ありますよ~~。(- -)^^
清張さんを好まない理数科系の男性が
この点をよく突っ込んでくるんですけどね。
(笑)
いつも拝見させていただいています。
実は、この映画見ていないのです。しかし、原作は読んでいます。
刑期の短さが問題となっていますが、原作では、刑が確定する前か後かは忘れましたが、絶望の中獄死したことになっていた記憶があります。このほうが自然だし、悲痛さもより増すように思えるのですが、死刑になったとしたほうがよりインパクトが強いと脚本家は考えたのかもしれませんね。
>コメント群
“あれは3年前”ですね。
僕もすごく印象に残っています。
姐さんの仰るように、山田監督は性善説的なところがあるから、素材としてのサスペンスは向いていませんが、あくまで技術的な相性としてはサスペンスに向いていると未だに思っておりますです。^^
>偶然すぎ
僕は完全な文系ですが、左脳派なので、結構気になりますね。
作品として評価しないわけではありませんけど。
「砂の器」の小説の方も三か所くらい偶然が目立つところがありましたが、映画版は端折ったせいで却って目立たなくなった印象あり。
僕も原作を読んでいますが、獄中死だったような記憶があります。
>悲痛さもより増すように
仰るとおりですね。
しかし、天下の橋本忍と山田洋次ですから、何か意図があったのかもしれません。
ある人は「映画版は必ずしも冤罪を説明していない」という立場を取っていて、それに従えば、冤罪による悲痛さを強調する必要はないということになり、一応辻褄は合うのですが。
実際のところは解りかねます。
また、遊びに来てください。
>26日の一挙放映
ワイド画面の非ハイビジョン放送は上下に二重になったように映るので、僕はなるべく避けています。これしか放映されない場合は仕方がないんですけどね。
その代わり大量に録り溜めることができるので、シュエットさん、頑張りましょう。(笑)
山田洋次のサスペンスは監督作品としてはこれ一本だから貴重品ですし、瑞々しくて良いです。
リンク及び引用有難うございました。<(_ _)>