映画評「大いなる夜」
☆☆★(5点/10点満点中)
1951年アメリカ映画 監督ジョゼフ・ロージー
ネタバレあり
1953年に赤狩りでアメリカを追い出されたジョゼフ・ロージーがアメリカで最後に撮った日本劇場未公開作で、WOWOWのフィルムノワール特集の一本だが、こういうのをフィルムノワールと言われるとその定義がよく解らなくなる。「エデンの東」から兄を取っ払って換骨奪胎し、スリラー要素を注入してモノクロ・スタンダードで作ったような映画と思えば、当たらずとも遠くない。一応お話をば。
17歳の少年ジョン・ドリュー・バリモアが誕生日を祝ってくれている父親プレストン・フォスターを眼前で著名スポーツ・コラムニストのハワード・セント・ジョンに打擲されて、ショックを受ける。
夕方、拳銃を持ち出して父親と行くはずだったボクシングの試合を観に行き、コラムニストの命を狙うが、大学教授と懇意になって何もできないままその家に泊まる。
夜、教授の内妻の妹ジョーン・ローリングに拳銃所持を咎められるが、結局取り返して新聞社で聞いたコラムニストの居場所へ乗り込み、揉み合ううちに銃が暴発してしまう。現場を飛び出した彼は翌朝父親が警察に逮捕されると、「自分が殺した」と事件の経緯を語る一方、父親から母親が愛人を作って飛び出した事実を知らされる。
序盤同級生たちにミルク臭いと揶揄される主人公が、父親を愚弄したコラムニストへの復讐と暴力に無抵抗だった父親への失望感の狭間で行動を起こし、その結果父親の思いと死んだと思っていた母親の真実を聞かされ、ミルク臭い少年から脱皮し大人への階段を踏み出す・・・というお話の構図は恐らく当時としても平凡 (映画「エデンの東」がお話としても秀逸なのはこの構図をひっくり返しているからである。母親の居場所を知っているのは息子で、その存在を知ったところから物語がスタートする。これが物凄く鮮烈なのだ)だったのではないかと推察されるものの、成長物語としてこじんまりと上手くまとめている。
その一方、日常の中の成長物語ではなく、下手に“事件”を交えたことからスリラー的に粗の目立つ結果をもたらしている。例えば、父親は何故逮捕されるのか? まず被害者は生きている。弾丸・弾痕が父親のピストルのものだとしても、当の父親は殴られて寝込んでいて、少年は色々なところで目撃されているはずなのに、全く説明がない為に理解に苦しむ。少年の告白を聞いても警官二人は当り前のように聞くだけで、積極的に少年を逮捕しようともせず、どうもすっきりしない。余韻を狙ったものだろうが、些かピント外れと言わざるを得ない。
ジョン・ドリュー・バリモアはドリュー・バリモアの父親ですが、似ていますか?
1951年アメリカ映画 監督ジョゼフ・ロージー
ネタバレあり
1953年に赤狩りでアメリカを追い出されたジョゼフ・ロージーがアメリカで最後に撮った日本劇場未公開作で、WOWOWのフィルムノワール特集の一本だが、こういうのをフィルムノワールと言われるとその定義がよく解らなくなる。「エデンの東」から兄を取っ払って換骨奪胎し、スリラー要素を注入してモノクロ・スタンダードで作ったような映画と思えば、当たらずとも遠くない。一応お話をば。
17歳の少年ジョン・ドリュー・バリモアが誕生日を祝ってくれている父親プレストン・フォスターを眼前で著名スポーツ・コラムニストのハワード・セント・ジョンに打擲されて、ショックを受ける。
夕方、拳銃を持ち出して父親と行くはずだったボクシングの試合を観に行き、コラムニストの命を狙うが、大学教授と懇意になって何もできないままその家に泊まる。
夜、教授の内妻の妹ジョーン・ローリングに拳銃所持を咎められるが、結局取り返して新聞社で聞いたコラムニストの居場所へ乗り込み、揉み合ううちに銃が暴発してしまう。現場を飛び出した彼は翌朝父親が警察に逮捕されると、「自分が殺した」と事件の経緯を語る一方、父親から母親が愛人を作って飛び出した事実を知らされる。
序盤同級生たちにミルク臭いと揶揄される主人公が、父親を愚弄したコラムニストへの復讐と暴力に無抵抗だった父親への失望感の狭間で行動を起こし、その結果父親の思いと死んだと思っていた母親の真実を聞かされ、ミルク臭い少年から脱皮し大人への階段を踏み出す・・・というお話の構図は恐らく当時としても平凡 (映画「エデンの東」がお話としても秀逸なのはこの構図をひっくり返しているからである。母親の居場所を知っているのは息子で、その存在を知ったところから物語がスタートする。これが物凄く鮮烈なのだ)だったのではないかと推察されるものの、成長物語としてこじんまりと上手くまとめている。
その一方、日常の中の成長物語ではなく、下手に“事件”を交えたことからスリラー的に粗の目立つ結果をもたらしている。例えば、父親は何故逮捕されるのか? まず被害者は生きている。弾丸・弾痕が父親のピストルのものだとしても、当の父親は殴られて寝込んでいて、少年は色々なところで目撃されているはずなのに、全く説明がない為に理解に苦しむ。少年の告白を聞いても警官二人は当り前のように聞くだけで、積極的に少年を逮捕しようともせず、どうもすっきりしない。余韻を狙ったものだろうが、些かピント外れと言わざるを得ない。
ジョン・ドリュー・バリモアはドリュー・バリモアの父親ですが、似ていますか?
この記事へのコメント
ピンと来ない私はもしかしてアホなのでは
ないかと念のためもう1度観ましたが
これがますますピンと来ない始末。(- -)
幅広めな輪郭と強いて言えば目元かな~?
ドリューさんのお父上のジョンさんのやたら
イキガリながらおどおどした芝居が過呼吸気味で
どうもいまいちようわからん映画でした。
演出、力み過ぎじゃないですか?これ~。
プロフェッサーの記事で、むしょうに
「エデンの東」が、観たくなりました!(^ ^)
>ピンと来ない
うーむ、犯罪劇仕立てにしたのが要因と思いますですね。
起承転結が上手く行っていない気がしました。
>目元かな
真ん中の画像を見ますと、目が少し似ていますね。^^
>「エデンの東」
導入部が抜群でしたなあ。
シネマスコープを生かした映像も素晴らしかった。
ハリウッドで最後に撮った映画というところで、そんな視点でこの映画を観たからでしょうか。「男らしさ」とか「強さ」といった、そういったところで人間性そのものを評価するそんな価値観をロージーはひっぺ返したかったんじゃないかな…そんなことを思いながら見てました。
TBしますね。
ジョゼフ・ロージーがロージーらしくなるのは恐らく「エヴァの匂い」くらいで、アメリカ時代或いは渡欧して初期の時代はまだお話の構成が甘くて、もうひとつであると思います。
>そういったところで人間性そのものを評価するそんな価値観を
そうかもしれません。
構成上は少年が大人への理解を深めるお話で、その辺り今日観た邦画「純喫茶磯辺」に何だか似ているなあ。