映画評「それでも恋するバルセロナ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2008年アメリカ=スペイン映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり
「マッチポイント」と「タロットカード殺人事件」で僕を話術的に楽しませてくれたウッディー・アレンの新作はメイン・フィールドの恋愛風俗劇に戻り快調だという評判だが、僕は全く逆の感想である。
男性中心に扱ってきた彼の恋愛観、セックス観が女性中心に語り直されているだけで、僕には世間で言われるほど興味が持てない。
安定を求めるレベッカ・ホールと安定を求めないスカーレット・ヨハンスンの友人関係にある女性二人がバカンスでバルセロナにやって来て、プレイボーイ風の画家ハビエル・バルデムに声を掛けられる。
二人は北岸のオビエドに同行するが、アヴァンチュールに積極的なスカーレットが胃痛で倒れた為に婚約者もいるということで消極的なレベッカがバルデム氏と懇ろになってしまう。バルセロナに戻った後その魔力に抗うようにスペイン語学習に励み、慌てて結婚をするものの思ったような幸福が得られない。
その間スカーレットはバルデム氏と同居を始め、情熱の余り彼を殺そうとまでした彼の前妻ペネロペ・クルスが舞い戻って来ても結局意気投合し、自由な性愛関係が出来あがる。が、それも長続きせず、スカーレットは帰国し、レベッカは安定に満足し、ペネロペは狂気が再発する。
一人の男性を中心に三女性が大騒動を繰り広げるが結局は何も変わらないというシニカルな恋愛喜劇で、女性三人三様の性格設計が面白いと言えないこともないが、アレンの作品としては今さらの感が強い。
しかるに、映画としては別の面白味を僕は序盤から発見していた。僕が調べた範囲では誰も指摘する人はいないが、本作は実はトリュフォーへオマージュを捧げた作品なのである。
まずは第三者による文学的なナレーション。トリュフォー作品のナレーションは説明以上に映画にリズムを付ける為に用いられる。本作でも同じような雰囲気がある。
続いてアイリス・イン(丸がどんどん大きくなって画面全体に広がる手法、その反対がアイリス・アウト)でバルデムが映されてから、自転車に乗るバルデムとスカーレットを捉えたショットへの移行。
アイリス(上の画像参照)はトリュフォーが好んだサイレント時代によく使われた場面転換の手法だし、自転車に乗る男女と言えばバルデム、スカーレット、ペネロペの仲良し三角関係と似た構図の「突然炎のごとく」からの借用である(下の画像参照)。こうなるともう間違いない。
続いて、レベッカがスペイン語学校の知人と見る映画がトリュフォーが大好きなヒッチコック「疑惑の影」。いつまでもベルイマンでは芸がないとばかりに、トリュフォーをネタに完全に遊んでいるのである。
こういうのが楽しめるのも長く映画を観ていればこそ。映画を楽しむ要素は色々とある。
それでも恋するアレン、てなところですかな。
2008年アメリカ=スペイン映画 監督ウッディー・アレン
ネタバレあり
「マッチポイント」と「タロットカード殺人事件」で僕を話術的に楽しませてくれたウッディー・アレンの新作はメイン・フィールドの恋愛風俗劇に戻り快調だという評判だが、僕は全く逆の感想である。
男性中心に扱ってきた彼の恋愛観、セックス観が女性中心に語り直されているだけで、僕には世間で言われるほど興味が持てない。
安定を求めるレベッカ・ホールと安定を求めないスカーレット・ヨハンスンの友人関係にある女性二人がバカンスでバルセロナにやって来て、プレイボーイ風の画家ハビエル・バルデムに声を掛けられる。
二人は北岸のオビエドに同行するが、アヴァンチュールに積極的なスカーレットが胃痛で倒れた為に婚約者もいるということで消極的なレベッカがバルデム氏と懇ろになってしまう。バルセロナに戻った後その魔力に抗うようにスペイン語学習に励み、慌てて結婚をするものの思ったような幸福が得られない。
その間スカーレットはバルデム氏と同居を始め、情熱の余り彼を殺そうとまでした彼の前妻ペネロペ・クルスが舞い戻って来ても結局意気投合し、自由な性愛関係が出来あがる。が、それも長続きせず、スカーレットは帰国し、レベッカは安定に満足し、ペネロペは狂気が再発する。
一人の男性を中心に三女性が大騒動を繰り広げるが結局は何も変わらないというシニカルな恋愛喜劇で、女性三人三様の性格設計が面白いと言えないこともないが、アレンの作品としては今さらの感が強い。
しかるに、映画としては別の面白味を僕は序盤から発見していた。僕が調べた範囲では誰も指摘する人はいないが、本作は実はトリュフォーへオマージュを捧げた作品なのである。
まずは第三者による文学的なナレーション。トリュフォー作品のナレーションは説明以上に映画にリズムを付ける為に用いられる。本作でも同じような雰囲気がある。
続いてアイリス・イン(丸がどんどん大きくなって画面全体に広がる手法、その反対がアイリス・アウト)でバルデムが映されてから、自転車に乗るバルデムとスカーレットを捉えたショットへの移行。
アイリス(上の画像参照)はトリュフォーが好んだサイレント時代によく使われた場面転換の手法だし、自転車に乗る男女と言えばバルデム、スカーレット、ペネロペの仲良し三角関係と似た構図の「突然炎のごとく」からの借用である(下の画像参照)。こうなるともう間違いない。
続いて、レベッカがスペイン語学校の知人と見る映画がトリュフォーが大好きなヒッチコック「疑惑の影」。いつまでもベルイマンでは芸がないとばかりに、トリュフォーをネタに完全に遊んでいるのである。
こういうのが楽しめるのも長く映画を観ていればこそ。映画を楽しむ要素は色々とある。
それでも恋するアレン、てなところですかな。
この記事へのコメント
以前、「スコルピオンの恋まじない」には「アパートの鍵貸します」へのオマージュがあると私は書きましたが、今度はトリュフォーですか。
女性を増やして、3対1にしてしまいましたね。
ところで、アイリス・ショットは「突然炎の・・・」にもあったんでしたっけ?
この映画はもうオカピーさんのレビュー通り、まあいつものウッディ・アレンじゃんって感じの出来で、そうは言ってもセリフ作りは適度に巧いので6点献上がちょうど良い印象でしたね。
そんなことより!
オカピーさん、私、この記事の下から2枚目の画像のシーンを映画館で観ていて「あ、この自転車乗っている構図、なんだか『突然炎のごとく』みたい」って思ったんですよ!!
なので、本記事で「トリュフォー映画へのオマージュ」と解説されていて「謎が解けた!」と叫びたくなりました 笑
何かの映画を観ると、必ず旧作や名作を想起するっていう、嬉しい共通点を今回も確認できて、プロフェッサー・オカピーのゼミ生(←勝手にゼミ生自認)としては嬉しい限りです。
>アレンさん
いつもはベルイマンですけど、今回はトリュフォーでした。
何かの作品でトリュフォー云々という台詞があったので、インテリらしく彼の作品も好きだったのでしょう。
>アイリス
「突然炎のごとく」にはなかったと思います。
姉妹編「恋のエチュード」では使っていましたよね。強く印象に残ったのは「野生の少年」でした。
>「スコルピオンの恋まじない」
あれは40年代のハードボイルド映画も相当に参考されていて、ご機嫌になってしまいました。
つまらなくはないけれど、アレン氏の作品は多分全部観ている僕には何だか底が見えてしまい、ナレーションがトリュフォーしているのでそちらに注目して観てみようか、てな具合に鑑賞していましたね。
そしたらアイリスは出てくるわ、自転車は出てくるわ、驚いたことに「疑惑の影」まで出てきて、アレンさんの頭をなでたくなりましたよ。(笑)
>何かの映画を観ると、必ず旧作や名作を想起するっていう
日本人の悪い癖で何かとパクリパクリと鬼の首を取ったような大騒ぎをしますが、大体においては勉強の結果であって、寧ろ楽しめば良いと思うんですよね。
逆に過去の映画にどこも似ていない商業映画なんて戦後一本でも作られたか、と言いたいくらい。
そうした勉強した結果を時には直接、時には間接に、時には織り交ぜて作るのが新しい映画というものでしてね。映画に限らず、その他の芸術・文化、特にファッションなんかは顕著ですよね。
本作はトリュフォー、前作はヒッチコックとシェークスピア、いつもはベルイマンといった感じで、アレンさんも一生懸命勉強しています。
コメントありがとうございました。
「疑惑の影」は分かったのですが、トリュフォーでしたか。数本しか見ていないので、気づくべくもありませんでした。
ドヌーヴ主演の「暗くなるまでこの恋を」でしたか(うろ覚え)、なんとなく好きでした。あとは覚えているのは「アメリカの夜」でしょうか。
アレン作品でも、嫌いじゃないのはあるんですけど、これはダメでした。モテ男に反発したわけじゃないですよ!(笑)
かなり手厳しい感想でしたが、☆二つを進呈されたところにボーさんの優しさが感じられました。^^
>トリュフォー
ナレーションを聞いた時に、「最近流行りのそれとは違うな」とまず思ったんですね。
最近では一般ドラマの場合は主観で語られることが多いですが、これは第三者による文学的な香りのするナレーションなので、「もしや」という直感が走ったわけです。
あとは本文で書いたとおり。
ダメなものを、無理に好きになる必要もないですね。^^
なるほどトリュフォーへのオマージュですか。面白い視点ですね。
でも、ウディ・アレンはいいよねぇ、好きに映画が作れて(笑)
>トリュフォー
確か「さよなら、さよならハリウッド」でトリュフォーについて言及しているんですね。
僕はあの時トリュフォーをモチーフに映画を作ろうと企画したと踏んでいます。
本人に訊いてみたいくらいです。(笑)
「突然炎のごとく」云々だけ覚えていて、でもお話のムードは全然違うなぁとか思いながら観てました。
でもトリュフォーへのオマージュという受け止め方は同感で、文章を読み直すと全く同じところを指摘しておりました。なんだかなぁ。(汗汗)
>トリュフォーをネタに完全に遊んでいるのである。
そう。ネタの練り方が片手間仕事に感じられて、遊んでいると言われてもしょうがないですよね。
>コメント
十瑠さんの場合は、ご覧になっていない作品でもコメントされることがあるので、こういうこともままありますね^^
>「突然炎のごとく」
確かに。
人間のパッションを内面から探る映画的なトリュフォーと、台詞の面白味で楽しませる演劇的なアレンとでは、自ずとタッチやムードが違ってくるわけで、自らの特性を排除しベルイマン・タッチにどっぷり耽った「インテリア」とは違い、かの名作の要素を全くアレン風に翻案したという感じ。
>なんだかなぁ。(汗汗)
先日、「キッド」をTBした後、全く同じ体験をしました。
本当に汗が出ますね^^