映画評「PARIS」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2008年フランス映画 監督セドリック・クラピッシュ
ネタバレあり
「スパニッシュ・アパートメント」の続編「ロシアン・ドールズ」で僕をして“デジタル時代のフランソワ・トリュフォー”と言わしめたセドリック・クラピッシュの新作は、従来より年齢層をちょっと上げた群像劇である。
中心となるのは、心臓病を宣告された元ダンサーのロマン・デュリス、彼の面倒をみる為に三人の子供を連れて越してくるその姉ジュリエット・ビノシュ。
その彼がベランダから眺めるアパートの一室に住む美人女子大生にすっかり岡惚れしてしまう歴史学教授ファブリス・ルキーニ、その弟で兄から普通と言われるのが何だかしっくり来ない建築家フランソワ・クリュゼ、市場の隣同士で働いている元妻に事故死されてしまうアルベール・デュポンテル、移住を夢見てパリにやってくるカメルーン男性、人種差別も甚だしいのに新しくやってきたアラブ人女子学生が気に入ってしまうパン屋の女主人、等々の人物が姉弟と交錯していく。
群像劇には色々な人生模様が見られる為上手く作れば飽きにくい利点がある一方、余り上手く繋げられないと散漫になってその利点が生かせない。かと言って、それらの人物を強引に関連付けようとすれば作為が目立って現実味の観点からは余り感心しないことになる。
本作にはさほど強引に結びつけようとした印象がない一方、その分やはり散漫になっている。そこを逆手に取ってコラージュに徹する手法もありえたが、実際はさほどにあらず。例えば“デジタル時代のトリュフォー”らしさが辛うじて伺われる建築家の幻想シーンが浮いた感じがするのは、デュリスとジュリエットの姉弟に重心を置き過ぎているからである。
一番落ち着く作劇は、高みから俯瞰するデュリスを医者にでもして訪れては去って行く患者たちを描写するといったところだが、それでは構図として余りに月並みだろう。
などと考えているうちに、“デジタル時代のトリュフォー”が何かの拍子で、若き本物のトリュフォーが猛烈に批判した(後に一部再評価したらしい)ジュリアン・デュヴィヴィエの「パリの空の下セーヌは流れる」(1951年)の現代版を作る気になったのではないかと思えて来た。その意味でも彼はやはりトリュフォーの後継者たる資格がある。
前述作同様にパリの空の下に生きる市井の人々を捉えつつ人生の幸を寿(ことほ)いだ作品と思えば良いようだが、結果的に小市民が人生模様を織り成すパリという大都市が主役であるような印象を覚えさせるのも計算のうちだろう。
それは良いとして、三分の二辺りを過ぎた頃からどうも面倒臭くなってきてしまったので、僕の感覚から言えば、この内容で130分は些か長い。或いは、逆にもっと時間を掛けて各エピソードを描き込んだほう面白くなったかもしれないが、何とも言えない。
世界の空の下フランス映画は続く。
2008年フランス映画 監督セドリック・クラピッシュ
ネタバレあり
「スパニッシュ・アパートメント」の続編「ロシアン・ドールズ」で僕をして“デジタル時代のフランソワ・トリュフォー”と言わしめたセドリック・クラピッシュの新作は、従来より年齢層をちょっと上げた群像劇である。
中心となるのは、心臓病を宣告された元ダンサーのロマン・デュリス、彼の面倒をみる為に三人の子供を連れて越してくるその姉ジュリエット・ビノシュ。
その彼がベランダから眺めるアパートの一室に住む美人女子大生にすっかり岡惚れしてしまう歴史学教授ファブリス・ルキーニ、その弟で兄から普通と言われるのが何だかしっくり来ない建築家フランソワ・クリュゼ、市場の隣同士で働いている元妻に事故死されてしまうアルベール・デュポンテル、移住を夢見てパリにやってくるカメルーン男性、人種差別も甚だしいのに新しくやってきたアラブ人女子学生が気に入ってしまうパン屋の女主人、等々の人物が姉弟と交錯していく。
群像劇には色々な人生模様が見られる為上手く作れば飽きにくい利点がある一方、余り上手く繋げられないと散漫になってその利点が生かせない。かと言って、それらの人物を強引に関連付けようとすれば作為が目立って現実味の観点からは余り感心しないことになる。
本作にはさほど強引に結びつけようとした印象がない一方、その分やはり散漫になっている。そこを逆手に取ってコラージュに徹する手法もありえたが、実際はさほどにあらず。例えば“デジタル時代のトリュフォー”らしさが辛うじて伺われる建築家の幻想シーンが浮いた感じがするのは、デュリスとジュリエットの姉弟に重心を置き過ぎているからである。
一番落ち着く作劇は、高みから俯瞰するデュリスを医者にでもして訪れては去って行く患者たちを描写するといったところだが、それでは構図として余りに月並みだろう。
などと考えているうちに、“デジタル時代のトリュフォー”が何かの拍子で、若き本物のトリュフォーが猛烈に批判した(後に一部再評価したらしい)ジュリアン・デュヴィヴィエの「パリの空の下セーヌは流れる」(1951年)の現代版を作る気になったのではないかと思えて来た。その意味でも彼はやはりトリュフォーの後継者たる資格がある。
前述作同様にパリの空の下に生きる市井の人々を捉えつつ人生の幸を寿(ことほ)いだ作品と思えば良いようだが、結果的に小市民が人生模様を織り成すパリという大都市が主役であるような印象を覚えさせるのも計算のうちだろう。
それは良いとして、三分の二辺りを過ぎた頃からどうも面倒臭くなってきてしまったので、僕の感覚から言えば、この内容で130分は些か長い。或いは、逆にもっと時間を掛けて各エピソードを描き込んだほう面白くなったかもしれないが、何とも言えない。
世界の空の下フランス映画は続く。
この記事へのコメント
私の方のblogにもコメント頂きましてありがとうございました。
この作品、一年経って冷静に思い起こしてみると、たしかに劇場で観た時、途中で「ちょっと長いなっ」とつぶやきたくなる冗漫なシーンも結構ありました!
市場で働く男性達とモデルみたいなオネーサン達のエピソードとか、カメルーン人のお話とか・・・消化してきれていなくて散漫なまま終わっていましたね。
90分くらいでまとまっていれば、また印象も違ったけれど。
なので、わたし的にも好きな方の作品ではあるものの、6点が妥当かも?
同じパリを舞台にした群像劇では「モンテーニュ通りのカフェ」の方が1枚上手の印象を受けました。
>ジュリアン・デュヴィヴィエ
あ、センセイ、この監督の作品については未熟者ワタクシでも未見ではないですよー!ふふふ。詳しくは弊blogのコメントの方で!
>オネーサン達
出てきただけみたいな感じでしたね。
>カメルーン人
良かれ悪しかれフランス或いはパリで移民が重要な存在になっていることを点出しようとしているのでしょうが、どうも弱いです。
上映時間と作り方の関係に一考の余地あり。散漫を恐れず、全くのコラージュにしたほうがある種の一貫性が出たように思いましたね。
>「モンテーニュ通りのカフェ」
確かに、ヒロインが主人公にして狂言回しなので話がきちんと回り、加えて洒落っ気があり、完成度が高かったです。
>デュヴィヴィエ
「望郷」とか「舞踏会の手帖」などという古典もご覧下さいな。
たしかにそれは言えてる。
ただ、この映画を観たときあたりが、友人が骨髄移植の手術待ち状態だったから、ちょっと別の感情移入して観てましたね。
窓からみえるパリの町。見慣れた光景が新鮮に見えるんだろうなって。
そう思ったら何気ない光景の映像も素直に観れたわ。
僕の場合は逆に、主人公の心臓病から、父の心臓手術が目の前にちらぬいて涙が出てきて、落ち着いて見ていられなかったというのがあります。
集中できないと映画はつまらなくなってしまいますからね。ちょっと可哀想なことを致しました。評価はほぼ妥当と思いますけどね。