映画評「夏時間の庭」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2008年フランス映画 監督オリヴィエ・アサイヤス
ネタバレあり
日本でもかなり紹介されているようだが、個人的には異色作「イルマ・ヴェップ」以来となるオリヴィエ・アサイヤスのドラマ。
有名な画家だった大叔父がアトリエに使っていた邸宅に暮す母親(エディット・スロブ)の75歳の誕生日に、経済学者の長男(シャルル・ベルリング)、デザイナーの長女(ジュリエット・ビノシュ)、中国の工場で製造技術を担当している次男(ジェレミー・レニエ)の三人が集まる。先の永くないことを察した母は少なからぬ美術品をリスト化して整理、亡き後は速やかに処分するのが無難だろうと長男に告げ、1年後実際に亡くなる。母親は大叔父の恋人だった。
悲しみに浸る間もなく、家や美術品に愛着を覚えながらも現実的な対応に迫られ、三者三様の言い分を確認した後、家を売却し膨大な相続税を避ける為に美術品を寄贈することにする。
というお話で、そこから浮かび上がるのは由緒のある邸宅や美術品に沈潜する家族の愛情と絆で、現代っ子の孫娘ですら祖母との思い出の詰まる家や庭に感傷的にならざるを得ないのだ。
遺産を巡る作品としては、骨肉相はむ大騒ぎになる邦画「女系家族」とは正反対、フランス映画界の先輩ルイ・マルの秀作「五月のミル」に通ずる味わいがある。
しかし、ユーモアとペーソスに溢れるかの作に比べ真面目すぎて面白味が薄い本作は、映画はより映画的であれかしと思っている僕には文学的すぎて些か物足りない。文学愛好者の立場では古典文学的な構成と味わいに捨てがたいものを覚えるのだが。
他方、一部で批判のあるフェイドアウトによる場面転換については全然問題にあらず。明確なストーリーはあっても物語性で勝負をする作品ではないので、これで連続性が途絶えるという指摘は的を射ていない。フェイドが古いという考えもどうだろうか。
カットで場面を繋ぐ場合、そのままでは場面(厳密にはシークェンス)が変ったことが解りにくく時間経過も把握しにくいことが多いし、あるいは、それを明解に示そうとエスタブリッシュ・ショット(下の註参照)を一々挿入する為に却って流れが悪くなることがある。フェイドで繋げば、本作のような情緒を浮かび上がらせることを主旨とする作品ではその数秒の間にそこはかとない余情が浮かび上がるというプラス効果のほうが期待できる。
註:映画全体の、若しくはシーン/シークェンスの始めに置く環境描写。アメリカ映画でよくあるのはビル群の空撮など。シーンやシークェンスの転換に使う場合は本来の環境描写の機能は殆どない。
著作権に相続税が掛からないのはちと変ではないか、と思う今日この頃。
2008年フランス映画 監督オリヴィエ・アサイヤス
ネタバレあり
日本でもかなり紹介されているようだが、個人的には異色作「イルマ・ヴェップ」以来となるオリヴィエ・アサイヤスのドラマ。
有名な画家だった大叔父がアトリエに使っていた邸宅に暮す母親(エディット・スロブ)の75歳の誕生日に、経済学者の長男(シャルル・ベルリング)、デザイナーの長女(ジュリエット・ビノシュ)、中国の工場で製造技術を担当している次男(ジェレミー・レニエ)の三人が集まる。先の永くないことを察した母は少なからぬ美術品をリスト化して整理、亡き後は速やかに処分するのが無難だろうと長男に告げ、1年後実際に亡くなる。母親は大叔父の恋人だった。
悲しみに浸る間もなく、家や美術品に愛着を覚えながらも現実的な対応に迫られ、三者三様の言い分を確認した後、家を売却し膨大な相続税を避ける為に美術品を寄贈することにする。
というお話で、そこから浮かび上がるのは由緒のある邸宅や美術品に沈潜する家族の愛情と絆で、現代っ子の孫娘ですら祖母との思い出の詰まる家や庭に感傷的にならざるを得ないのだ。
遺産を巡る作品としては、骨肉相はむ大騒ぎになる邦画「女系家族」とは正反対、フランス映画界の先輩ルイ・マルの秀作「五月のミル」に通ずる味わいがある。
しかし、ユーモアとペーソスに溢れるかの作に比べ真面目すぎて面白味が薄い本作は、映画はより映画的であれかしと思っている僕には文学的すぎて些か物足りない。文学愛好者の立場では古典文学的な構成と味わいに捨てがたいものを覚えるのだが。
他方、一部で批判のあるフェイドアウトによる場面転換については全然問題にあらず。明確なストーリーはあっても物語性で勝負をする作品ではないので、これで連続性が途絶えるという指摘は的を射ていない。フェイドが古いという考えもどうだろうか。
カットで場面を繋ぐ場合、そのままでは場面(厳密にはシークェンス)が変ったことが解りにくく時間経過も把握しにくいことが多いし、あるいは、それを明解に示そうとエスタブリッシュ・ショット(下の註参照)を一々挿入する為に却って流れが悪くなることがある。フェイドで繋げば、本作のような情緒を浮かび上がらせることを主旨とする作品ではその数秒の間にそこはかとない余情が浮かび上がるというプラス効果のほうが期待できる。
註:映画全体の、若しくはシーン/シークェンスの始めに置く環境描写。アメリカ映画でよくあるのはビル群の空撮など。シーンやシークェンスの転換に使う場合は本来の環境描写の機能は殆どない。
著作権に相続税が掛からないのはちと変ではないか、と思う今日この頃。
この記事へのコメント
>フェイドアウトによる場面転換
故意の演出だったのですね。
長くなりすぎたからカットされたのだと思っていました。^^
ストーリーはともかく、美術館主導の作品だけに、その色合いが濃く出ていると感じました。
>長くなりすぎたからカットされたのだと
まあそれはないでしょう。^^
フェイドも変なタイミングでやられると気が抜けて困ってしまうケースもあるのですが、この映画は効果の出る使い方をしていると思います。
>美術館主導
そういう意味では、ちょっと珍しいタイプの作品ですね。
だからかな、私としては映画作品的にはさほどの期待もせず、画家の家の風情とか、庭とか、アンティークな家具とか、インテリアとか、そんなところで割合に楽しめたといえるでしょうか。とりわけ庭は良かった。会社で私が使っているPCの待ちうけ画面にこの庭の画像をいまも使っている。
最近は「普通」というところで、まぁまぁ悪くはないかって、ずいぶんと大目にみる作品が多くなったわぁ。
>真面目すぎて面白味が薄い本作
最近フェリーニはまたもや嵌っております。真面目すぎて面白みが薄いって本作に限らず最近の映画って多いみたい。広がっていかないというか、こじんまりまとまってというか。スクリーンの大きさに映像が負けている。以前は映像がスクリーンからはみ出るくらいのパワーがありましたよね(しみじみ…)
>フェリーニ
双葉師匠は、フェリーニは苦手だけどパワーが凄い、と評していましたね(ベスト10選出には大概入れていました)。
ベスト10を選ばせると欧州映画が多くなるのが先生で、事情を知らない人は欧州映画偏重と仰っていましたが、本当はアメリカ映画が好きなのでした。好きだから評価が厳しくなるというのです。
現在の我が家には、「お宝鑑定団」に出せるようなものは何一つありませんね。寂しいことだとも思うし、まあかえって気楽よという思いもありますね。
我が家も同様。
昔は小地主でしたが、所謂新宅なもので、何もないです。
どこかで買ってきた掛け軸では、処分代で金を取られるくらいが関の山。