映画評「007/死ぬのは奴らだ」
☆☆☆(6点/10点満点中)
1973年イギリス映画 監督ガイ・ハミルトン
ネタバレあり
007シリーズ第8作で、ロジャー・ムーアの三代目ジェームズ・ボンドお披露目作。三十うん年ぶりの再鑑賞で、内容は初鑑賞にも等しいくらい殆ど何も憶えていない。多分当時の僕はご贔屓ポール・マッカートニー(&ウィングズ)の主題歌に夢中だったのだろう。
国際的麻薬組織の親玉ミスター・ビッグ(ヤフェット・コットー)を調査中の英国諜報部員三人が別々の場所で次々と殺され、ボンドは親玉の隠れているニューヨークに飛ぶが、彼が雇っているタロット占いの美女ソリテア(ジェーン・シーモア)に見事に行動を当てられてピンチに陥った後、CIAのフェリックス・ライターと連絡を取りながら、麻薬製造の本拠地らしいサン・モニク島(国)に渡る。
ボンドは懇ろになった為に予知能力を失いミスター・ビッグことドクター・カナンガ一味に狙われることになったソリテアと脱出行。空港での待ち伏せで再び敵の手に落ちた彼女を救う為にボンドが敵の陣地に乗り込む。
麻薬を絡ませ黒人が登場するのが1970年代前半というブラックパワーの時代を感じさせるが、「ダイヤモンドは永遠に」までの悪党ブロフェルドの繰り出すテロに比べると些かスケールが小さく、ジャングルの中でのピンチから美女を救うのがお話のヤマ場ではスパイ映画としては全く物足りない。
開巻直後のヘッドフォン殺人や葬式殺人にご機嫌になった後は暫く平板な展開で、後半になってやっと出て来る最大の見せ場即ちモーターボートでのアクションにしても長すぎてもたれる。
その代り小ネタが面白い。強力磁石に早変わりする腕時計がワニの群れに囲まれたピンチで生きるかと思いきやボートがロープで繋がれていて観客に肩すかしを喰らわせておき、終盤銃弾引き寄せに成功して帳尻を合わせる。或いは、いつやるかと思って観ていたワニの八艘飛びを期待通りにやってニヤニヤさせ、あるいはトランプでの全部同じ絵柄を使うインチキを見せてゲラゲラさせる。こういう一連のお遊びにロジャー・ボンドらしい楽しさがある。
新人だったジェーン・シーモアはヴードゥー教呪術師など暑苦しいものばかり出て来る作品の中で涼風の魅力、衣装をとっかえひっかえ登場するのもお楽しみ。
「二度死ぬのは奴らだ」でなくて良かったですね。
1973年イギリス映画 監督ガイ・ハミルトン
ネタバレあり
007シリーズ第8作で、ロジャー・ムーアの三代目ジェームズ・ボンドお披露目作。三十うん年ぶりの再鑑賞で、内容は初鑑賞にも等しいくらい殆ど何も憶えていない。多分当時の僕はご贔屓ポール・マッカートニー(&ウィングズ)の主題歌に夢中だったのだろう。
国際的麻薬組織の親玉ミスター・ビッグ(ヤフェット・コットー)を調査中の英国諜報部員三人が別々の場所で次々と殺され、ボンドは親玉の隠れているニューヨークに飛ぶが、彼が雇っているタロット占いの美女ソリテア(ジェーン・シーモア)に見事に行動を当てられてピンチに陥った後、CIAのフェリックス・ライターと連絡を取りながら、麻薬製造の本拠地らしいサン・モニク島(国)に渡る。
ボンドは懇ろになった為に予知能力を失いミスター・ビッグことドクター・カナンガ一味に狙われることになったソリテアと脱出行。空港での待ち伏せで再び敵の手に落ちた彼女を救う為にボンドが敵の陣地に乗り込む。
麻薬を絡ませ黒人が登場するのが1970年代前半というブラックパワーの時代を感じさせるが、「ダイヤモンドは永遠に」までの悪党ブロフェルドの繰り出すテロに比べると些かスケールが小さく、ジャングルの中でのピンチから美女を救うのがお話のヤマ場ではスパイ映画としては全く物足りない。
開巻直後のヘッドフォン殺人や葬式殺人にご機嫌になった後は暫く平板な展開で、後半になってやっと出て来る最大の見せ場即ちモーターボートでのアクションにしても長すぎてもたれる。
その代り小ネタが面白い。強力磁石に早変わりする腕時計がワニの群れに囲まれたピンチで生きるかと思いきやボートがロープで繋がれていて観客に肩すかしを喰らわせておき、終盤銃弾引き寄せに成功して帳尻を合わせる。或いは、いつやるかと思って観ていたワニの八艘飛びを期待通りにやってニヤニヤさせ、あるいはトランプでの全部同じ絵柄を使うインチキを見せてゲラゲラさせる。こういう一連のお遊びにロジャー・ボンドらしい楽しさがある。
新人だったジェーン・シーモアはヴードゥー教呪術師など暑苦しいものばかり出て来る作品の中で涼風の魅力、衣装をとっかえひっかえ登場するのもお楽しみ。
「二度死ぬのは奴らだ」でなくて良かったですね。
この記事へのコメント
軽いジョークがムーアのボンドに合っているのでしょうか。
脚本家がそう考えているのかどうか知りませんが。
オープニングクレジットから、ブードゥーっぽいイメージが濃いですね。
ジェーン・シーモアの存在は大きかったと思えます。
>脚本家
かの名監督ジョゼフ・L・マンキーウィッツの息子のトム君が「ダイヤモンドは永遠に」から「黄金銃を持つ男」まで脚本を共同(本作のみ単独)で書いていますが、細かなギャグは恐らく彼の趣味なんでしょう。
しかし、「私を愛したスパイ」でもお笑い路線はさらに強化され続きますから、製作者が「ロジャー・ボンドはコミカルに」と考えていたのかもしれませんね。
>ジェーン・シーモア
お話が大して面白くないので、相対的にも重要度が増した感ありです。
ヘンリー八世の三番目の奥方と同じ芸名にした理由を知りたいものですね。