映画評「原爆の子」

☆☆☆★(7点/10点満点中)
1952年日本映画 監督・新藤兼人
ネタバレあり

WOWOWが去る三月に企画した新藤兼人特集の一本で、再鑑賞作品。ちょっと新作のスケジュールが空いたので重い腰を上げて観ることにした。

戦後イタリアで始まったネオ・レアリスモはアメリカに飛び火して実話をロケ中心に映像化するセミ・ドキュメンタリーが生まれ、1940年代終わり頃から暫く日本の映画界でも模倣が流行した。原爆を本格的にテーマにした最初の作品と言われる本作も形式としては模倣型セミ・ドキュメンタリーである。

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瀬戸内海の島で教師を務める孝子(乙羽信子)が七年前に被爆し両親と妹を失った広島に里帰りし、幼稚園時代の同僚・夏江(斎藤美和)の家に泊まり、彼女の情報で健在を確認した三人のかつての園児を訪問することにする。
 が、最初の三平は父親が原爆症で重症に陥っている為に靴磨きをしなければならず、二番目の敏子は教会に引き取られ原爆症で最後の日々を迎えている。三番目の平太は両親を原爆で失った後兄弟四人で助け合って生きていて、足を悪くした姉(奈良岡朋子)が嫁ぐのを見送る。

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というお話で、孝子を狂言回しに被爆から七年後に広島市民特に子供たちが迎えている現状を浮かび上がらせていく。原爆そのものへの言及もあるが、原作が子供たちの作文であるように主眼は8月6日の後遺症を原爆症、孤児、貧困といった角度から描くことで、平太の家族が力を合せて生きる様子を筆頭に胸に迫る場面が少なくない。家族だけでなくあらゆる人間の絆が悲劇の中にあっても希望を生み出すことを懸命に示そうとしている。

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しかし、孝子を完全な傍観者とせず8月6日まで彼女の家で働いていた岩吉(滝沢修)の孫・太郎に対して主体的に行動させ描写が余りに情緒に流れてしまう為に、セミ・ドキュメンタリーとして徹底できていない。この辺りが当時の日本映画の弱点で、模倣と言わざるを得ない所以である。その一方、一般的にはこうした作り方のほうが共感しやすいと思われ、技術的な完成度が高ければ良い映画になると一概に言い切れないのも確かなのだ。

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  • 原爆の子

    Excerpt: あえて強く主張せず、「淡々と見せる」演出が特徴的な作品です。また、原爆投下直後のシーンを「演劇」で表現するところが印象に残りました Weblog: 映鍵(ei_ken) racked: 2010-08-06 04:08