映画評「映画は映画だ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2008年韓国映画 監督チャン・フン
ネタバレあり
キム・ギドクの原案を助監督だったチャン・フンが脚本化し自ら映像化した作品。映画製作等をテーマに虚実を交差させながら展開する作品としてはフェデリコ・フェリーニの「8・1/2」等少なからずあるが、そこに俳優の仮面性を加えたアングルに面白味がある。
本物のヤクザのように暴力的なので共演する男優がいなくなったアクション映画俳優カン・ジファンが、以前高級クラブで知り合った映画俳優を目指した時代もあったという中堅ヤクザ、ソ・ジソプを共演者に選んで新作の撮影を続けるが、ソは映画出演をするうちに人間的な部分が出て仏心を出して殺すべき男を生かした結果今度は自身の生命が脅かされ映画をキャンセルする羽目になる。一命を取り留めた後復帰したソがカンとやり合った本物の殴り合いに“リアルさ”を目指す監督コ・チャンソクは大満足するが、ソは却って本来の道を選んで以前生かした男に向っていく。
ギドクらしい部分とこの新人監督らしい部分とがあるが、ギドクらしさでは、カンが白の衣服を、ソが黒の衣服を着ているという、人物の記号化に現われている。虚実の区分で言えば、白が虚で黒が実である。ソが服役中の会長に面会中にやるのが囲碁で、ここでも彼は黒の石だが、白で囲まれれば徐々に黒の石が少なくなっていくように(オセロであればなお解り易い)、ヤクザもどきの俳優と俳優になりたかったヤクザは演じ合ううちに虚実の境界が曖昧になり表裏一体の関係になって行く。
それは寧ろ自分自身の発見に繋がって結局俳優は俳優としての実力を磨くことになり、ヤクザは進むべき道がヤクザにあることに気付く、という展開は皮肉で興味深い。
この種の作品からは、観客はその虚実の交差に観客としての視線を加えることで、さらなる面白さを味わえる。その為には映画の中の“現実”が虚構であることを観客に意識させ続けることが重要で、古い作品では上記「8・1/2」、最近の作品では「主人公は僕だった」などが上手い例である。
本作における映画監督がリアルさを言い続けるのはある意味本作の方向性とは逆であるわけで、僕はあるタイプの映画作りへの皮肉も感じたが如何だろうか?
北野武が見たら悔しがるんじゃないの?
2008年韓国映画 監督チャン・フン
ネタバレあり
キム・ギドクの原案を助監督だったチャン・フンが脚本化し自ら映像化した作品。映画製作等をテーマに虚実を交差させながら展開する作品としてはフェデリコ・フェリーニの「8・1/2」等少なからずあるが、そこに俳優の仮面性を加えたアングルに面白味がある。
本物のヤクザのように暴力的なので共演する男優がいなくなったアクション映画俳優カン・ジファンが、以前高級クラブで知り合った映画俳優を目指した時代もあったという中堅ヤクザ、ソ・ジソプを共演者に選んで新作の撮影を続けるが、ソは映画出演をするうちに人間的な部分が出て仏心を出して殺すべき男を生かした結果今度は自身の生命が脅かされ映画をキャンセルする羽目になる。一命を取り留めた後復帰したソがカンとやり合った本物の殴り合いに“リアルさ”を目指す監督コ・チャンソクは大満足するが、ソは却って本来の道を選んで以前生かした男に向っていく。
ギドクらしい部分とこの新人監督らしい部分とがあるが、ギドクらしさでは、カンが白の衣服を、ソが黒の衣服を着ているという、人物の記号化に現われている。虚実の区分で言えば、白が虚で黒が実である。ソが服役中の会長に面会中にやるのが囲碁で、ここでも彼は黒の石だが、白で囲まれれば徐々に黒の石が少なくなっていくように(オセロであればなお解り易い)、ヤクザもどきの俳優と俳優になりたかったヤクザは演じ合ううちに虚実の境界が曖昧になり表裏一体の関係になって行く。
それは寧ろ自分自身の発見に繋がって結局俳優は俳優としての実力を磨くことになり、ヤクザは進むべき道がヤクザにあることに気付く、という展開は皮肉で興味深い。
この種の作品からは、観客はその虚実の交差に観客としての視線を加えることで、さらなる面白さを味わえる。その為には映画の中の“現実”が虚構であることを観客に意識させ続けることが重要で、古い作品では上記「8・1/2」、最近の作品では「主人公は僕だった」などが上手い例である。
本作における映画監督がリアルさを言い続けるのはある意味本作の方向性とは逆であるわけで、僕はあるタイプの映画作りへの皮肉も感じたが如何だろうか?
北野武が見たら悔しがるんじゃないの?
この記事へのコメント
そうですね、北野武もこういう映画好きだろうし、撮りたいでしょうね。
今度の「暴力映画」はまだ見ていないんで、なんともいえませんが。
でもまあ、韓国の役者さんは、根性入ってますね(笑)
そうでしょう!?
北野氏の場合は、暴力映画と内省的な映画を分けてしまっているところがありますが、それを合体させれば正に本作みたいになりますものね。
>根性
日本映画界全体が変な風に“洗練”されてしまった感がありますから、見方によっては非常に味気ない作品や薄っぺらい俳優が多くなりましたね。
公開中の監督2作目の「義兄弟」を観にいくにあたり本作を観ましたので記事アップ。記事の中のフェリーニの言葉にドキリだわ。私は韓国映画のこのパワフルさ、シリアスな作品の中でもどこか人間の滑稽さもまぜこぜにした泥臭いエネルギーを観ていて、フェリーニ作品と通じるなって思うのです。でも振り返ると、かつて日本映画もこんなに元気があった時代があったんですね。韓国映画の芝居がかっているけれどなぜかそれがリアルに思える。
この映画の白と黒がぶつかり合ってグレイの泥沼での格闘シーン。映画は映画だ。たかが映画。されど映画。熱いシーンでした。
>7点
の価値は十分あったでしょう?
人物の記号化にちょっと気になる部分があって7点に留めましたけど、お笑いが全く入らない韓国映画は珍しくて嬉しくなりましたね。
彼らの行為自体が可笑しく見えるかはまた別問題。
>フェリーニ
僕は主に手法的にそう感じたわけですが、パワフルさ滑稽さという面でもなるほど通ずるものがあるようです。
もっとフェリーニの映画も取り上げたいけれど・・・
>日本映画
やはりTV局絡みの大味な“大作”が日本映画全体にダメにしましたね。
80年代くらいまでの作品には本作やポン・ジュノのようなパワフルな作品もありましたよ。