映画評「女の子ものがたり」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2009年日本映画 監督・森岡俊行
ネタバレあり
西原(さいばら)理恵子の半自伝的同名コミックを森岡俊行監督が映画化したドラマ。
スランプに陥った三十代半ばの女流漫画家・高原菜都美(深津絵里)が新米の編集者(福士誠治)と交流して孤独な様子に「友達なんかいないでしょ」と揶揄されるうちに、母親の再婚と共に越して来た町で知り合った親友きみこ(小学時代:三吉彩花、高校以降:波留)とみさ(小学生時代:佐藤初、高校以降:高山郁子)を思い出す。
小学生時代(西原女史の年齢を考えると昭和49年から50年あたり)を描く序盤からヒロインが新しい父親(板尾創路)に言われる「他人(ひと)とは違う人生を送るような気がする」が通奏低音として進行する作品で、暴力夫にされるまま無抵抗を貫くきみことみさと文字通り一線を画したことで友情は決裂する(ように見える)、という展開にその通奏低音が非常に利いている。
しかも、若く病死してしまったきみこの実家を訪れた時に彼女が実はなつみ(小学生時代:森迫永依、高校時代:大後寿々花)=菜都美を非常に大事に思っていたことが遺児の存在から明らかになる幕切れに逆転ホームラン的な鮮やかさがあり、きみこの秘めた友情に目頭が熱くならずにはいられない。
その一方で気になったのが、同級生にからかわれるほど貧乏という設定の少女たちが見事に清潔であること。家にしても全然貧乏に見えない。昭和40年代の平均的貧乏家とはあんなものではない。僕は高校まで風を防げないくらいひどい家に住んでいたので「あれが貧乏か」と呆れたものの、わが家との比較はともかく、貧乏や汚らしいことが特に前半では展開上のキーとして使われているのでドラマの完成度に重要な影を落とす。例えば、三人は貧乏でも健やかに健気に青春を過ごして来たという印象が醸成されないのである。
それでもリアルであることを過大に重要視しなければ致命的とは言えず、幕切れの感慨が損なわれることはない。また、その幕切れでは原作が書かれる由来が説明され、本作が一種の入れ子構造になっている辺りに捨てがたい面白さがある。
友達は遠くにありて思うもの、か。
2009年日本映画 監督・森岡俊行
ネタバレあり
西原(さいばら)理恵子の半自伝的同名コミックを森岡俊行監督が映画化したドラマ。
スランプに陥った三十代半ばの女流漫画家・高原菜都美(深津絵里)が新米の編集者(福士誠治)と交流して孤独な様子に「友達なんかいないでしょ」と揶揄されるうちに、母親の再婚と共に越して来た町で知り合った親友きみこ(小学時代:三吉彩花、高校以降:波留)とみさ(小学生時代:佐藤初、高校以降:高山郁子)を思い出す。
小学生時代(西原女史の年齢を考えると昭和49年から50年あたり)を描く序盤からヒロインが新しい父親(板尾創路)に言われる「他人(ひと)とは違う人生を送るような気がする」が通奏低音として進行する作品で、暴力夫にされるまま無抵抗を貫くきみことみさと文字通り一線を画したことで友情は決裂する(ように見える)、という展開にその通奏低音が非常に利いている。
しかも、若く病死してしまったきみこの実家を訪れた時に彼女が実はなつみ(小学生時代:森迫永依、高校時代:大後寿々花)=菜都美を非常に大事に思っていたことが遺児の存在から明らかになる幕切れに逆転ホームラン的な鮮やかさがあり、きみこの秘めた友情に目頭が熱くならずにはいられない。
その一方で気になったのが、同級生にからかわれるほど貧乏という設定の少女たちが見事に清潔であること。家にしても全然貧乏に見えない。昭和40年代の平均的貧乏家とはあんなものではない。僕は高校まで風を防げないくらいひどい家に住んでいたので「あれが貧乏か」と呆れたものの、わが家との比較はともかく、貧乏や汚らしいことが特に前半では展開上のキーとして使われているのでドラマの完成度に重要な影を落とす。例えば、三人は貧乏でも健やかに健気に青春を過ごして来たという印象が醸成されないのである。
それでもリアルであることを過大に重要視しなければ致命的とは言えず、幕切れの感慨が損なわれることはない。また、その幕切れでは原作が書かれる由来が説明され、本作が一種の入れ子構造になっている辺りに捨てがたい面白さがある。
友達は遠くにありて思うもの、か。
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