映画評「空気人形」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2009年日本映画 監督・是枝裕和
ネタバレあり
是枝裕和を初めて意識したのはセミ・ドキュメンタリー「誰も知らない」だから、徹底したリアリズムの作家かと思いきや、素材については意外なほどフレキシブルである。
「ワンダフルライフ」は天国へ行く前段のお話だったし、「花よりもなほ」は群像時代劇といった具合だが、一連の作品を観て来ると彼のリアリズムのベースは素材ではなくやはり描写にあることが解って来る。業田良家のコミックを映画化したファンタジーである本作も現実への強い意識があるからこそ馬鹿らしいと感じずに見ることができるのだと思う。
ファミレスに務める孤独な中年男・秀男(板尾創路)が“のぞみ”と名付けて可愛がっているダッチワイフ(ペ・ドゥナ)が――恐らく持ち主の思いが伝わって――突然心を持って動き出す。持ち主のいない日中街を歩き回り偶然入ったビデオレンタル店で働き始め、親切な若い従業員・純一(ARATA)に心を時めかせて、自分が中身のないこと、誰かの代用品に過ぎないことに悲しみを覚えるが、元教師の老人(高橋昌也)から「人間なんて皆空っぽだよ」と言われ、純一からも「僕も君と同じようなもの」とフォローされて癒されていく。しかし、人間の喩え話を理解できない彼女は純一を人形のように扱ってしまい、悲劇が起きる。
人形の恋やその経緯に切なさを感じる向きもあるだろうが、僕は現代に生きる人間の孤独にやるせない気持ちになってたまらなかった。是枝監督が訴えたかったのも、恐らくは人間の相互的補完関係なのであろう。
この作品はその主題故に登場人物が互いに有機的に絡み合うことがないが、吉野弘という詩人が「生命」という詩に言うように、虻や風が植物の生殖を進めるように、人間は表面的には一人で生きているようで知らないところで必ず誰かに補完されている。
だから、最後に漂うタンポポの種は、作者の「解り易いラストにした」と言ったとかいう言を信ずるならば、(漂泊する人間の魂ではなく)他人により補完されて生きていく人間、ひいては決して切ないだけではない現代社会への希望を表していると思われる。表現としては些か直截に過ぎる気がしないではないものの、興味深い。
希望があるラストなのか、そうでないのか、それが問題。
2009年日本映画 監督・是枝裕和
ネタバレあり
是枝裕和を初めて意識したのはセミ・ドキュメンタリー「誰も知らない」だから、徹底したリアリズムの作家かと思いきや、素材については意外なほどフレキシブルである。
「ワンダフルライフ」は天国へ行く前段のお話だったし、「花よりもなほ」は群像時代劇といった具合だが、一連の作品を観て来ると彼のリアリズムのベースは素材ではなくやはり描写にあることが解って来る。業田良家のコミックを映画化したファンタジーである本作も現実への強い意識があるからこそ馬鹿らしいと感じずに見ることができるのだと思う。
ファミレスに務める孤独な中年男・秀男(板尾創路)が“のぞみ”と名付けて可愛がっているダッチワイフ(ペ・ドゥナ)が――恐らく持ち主の思いが伝わって――突然心を持って動き出す。持ち主のいない日中街を歩き回り偶然入ったビデオレンタル店で働き始め、親切な若い従業員・純一(ARATA)に心を時めかせて、自分が中身のないこと、誰かの代用品に過ぎないことに悲しみを覚えるが、元教師の老人(高橋昌也)から「人間なんて皆空っぽだよ」と言われ、純一からも「僕も君と同じようなもの」とフォローされて癒されていく。しかし、人間の喩え話を理解できない彼女は純一を人形のように扱ってしまい、悲劇が起きる。
人形の恋やその経緯に切なさを感じる向きもあるだろうが、僕は現代に生きる人間の孤独にやるせない気持ちになってたまらなかった。是枝監督が訴えたかったのも、恐らくは人間の相互的補完関係なのであろう。
この作品はその主題故に登場人物が互いに有機的に絡み合うことがないが、吉野弘という詩人が「生命」という詩に言うように、虻や風が植物の生殖を進めるように、人間は表面的には一人で生きているようで知らないところで必ず誰かに補完されている。
だから、最後に漂うタンポポの種は、作者の「解り易いラストにした」と言ったとかいう言を信ずるならば、(漂泊する人間の魂ではなく)他人により補完されて生きていく人間、ひいては決して切ないだけではない現代社会への希望を表していると思われる。表現としては些か直截に過ぎる気がしないではないものの、興味深い。
希望があるラストなのか、そうでないのか、それが問題。
この記事へのコメント
このテーマだと日本の映画だとどこか暗く陰湿になりそうなものだけど、リービンビンのカメラのせいかもしれませんが、乾いた虚無感のようなものが現代風に描写されていたように思います。
後ほど再トライしてみます。
是枝監督は変わった人で、三途の川のお話をセミ・ドキュメンタリー風に撮ってしまうくらいだから、陰湿にならずに作ることができるんでしょうね。
「誰も知らない」はやりきれない映画でしたが。
ご迷惑をお掛けしたようです。<(_ _)>
>エラー表示
エッチ系の言葉などがはねられるように設定している関係かも知れません。僕自身自分で設定したことを忘れ、コメントがはねられて焦ったことがあります(笑)
そう言われてみれば
「ワンダフルライフ」も「誰も知らない」も
この監督さんの制作姿勢として
それぞれ若干意味合いは異なるけれど
主軸にこの「希望」があるのかな~と
思い当たりますね~
~明日という日は明るい日と書くのね~♪
えらく暗いメロディーラインのレトロな曲を
ちょっと思い出したりしています。(^ ^)
少なくとも僕はそう感じました。
あれほど絶望的な「誰も知らない」でさえ幕切れでは“明るい兆し”が見えていた感じがしますよね。
>~明日という日は明るい日と書くのね~♪
「悲しみは駆け足でやってくる」という曲ですね。
僕はまだ小学生でしたよ。^^
空虚な人間たち…心の交流が紡ぎだす世界感に
何度も見たくなりました。
丁度2週間前に母を失くしまして、凡俗な僕は悲しむ心がなければ良いと思ってしまいましたが、やはり心がないのは悲しいですよね。
この作品、レンタルDVDで観ました。
>希望があるラストなのか、そうでないのか、それが問題。
オカピーさんにしては、良い意味で「らしくない」総括ですね(笑)。
実は、わたしは用心棒さんやオカピーさんまでは、映画の熟練者ではないからなのだと思うのですが、このオカピーさんの言葉は琴線に触れてしまいます。
>彼のリアリズムのベースは素材ではなくやはり描写にあることが解って来る。
ほんとだ。さすがオカピーさんです。
この作品は本当に良く現代を風刺していますよね。
最近、日活100周年記念企画「吉永小百合 私のベスト20 DVDマガジン」第1巻「キューポラのある街」を購入してしまいました。
懐古主義に陥ってしまっているのかもしれませんが、60年も経たとはいえ、同じ国とは思えませんよね。
オカピーさんの言うとおり「空気人形」での【希望】の描写は、わたしにもよくわかりました。しかし現実として、日本人の心が空気になっていることも間違いのないことで、だからこのような映画を通じて訴えかけてくるものに感動してしまうのですが、この60年の間の悪い意味での変遷は凄まじいものがあります。本当に何が悪いんでしょうね。
では、また。
何を仰るトムさん(字足らず)・・・(笑)
先日トムさんの最新記事を拝読致しましたが、トムさんは卒業論文あたり、得意だっただろうと想像されますよ~ん。
僕はエイゼンシュテインにういて書こうと思って自信がなくて止め、結局一年留年しました(卒論文の単位を確保する為)・・・
>総括
概して結論を鑑賞者任せにする作品は余り好きではないのですが、現在を描くとそうならざるを得なくなるのかもしれない、などと本作などを見ると思いますね。
>この60年
僕が勝手に思っているのは、宗教という確固たるバックボーンがない日本にアメリカ的民主主義が定着することで民主主義が間違って運用され、世代を経るごとに日本人が阿呆になってしまった、ということ。
しかし、日本だけでなく先進国にほぼ共通する現象でしょう? 物が多すぎること、世界の情報がすぐに伝わることなど・・・といった辺りが背景にありますかねえ。