(喪中)映画評「トウキョウソナタ」
☆☆☆★(7点/10点満点中)
2008年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
この作品は、4月7日、心房細動による血栓が足の動脈に詰まって入院していた母を病院に見舞って大変元気な姿を確認した後に鑑賞、夕飯を食べた後本稿のオリジナルを書きました。母が「11日にも退院らしいよ」とニコニコ話すのを聞き最高にハッピーだった瞬間です。まさか次の日に脳梗塞を発症するなどとは夢にも思わずに・・・。
推敲している今は罪悪感と後悔からいつ立ち直れるか解らないどん底状態。従って、喪中には括弧をつけることと致しました。ご心配をおかけして誠にすみません。
「CURE」「叫」など文学的恐怖映画のイメージが強い黒沢清の一般映画であるが、考え方によってはこれも一種の恐怖映画と言って良いのではあるまいか?
大手企業の総務課長・香川照之がリストラされるが、妻・小泉今日子にその事実を告げられず、公園で過ごすうちに旧友・津田寛治と再会する。彼も家族に事実を告げられないリストラ組である。
妻は折角作ったドーナツを食べて貰えないなど抱えた孤独を必死に耐えている。
大学生(もしくは浪人生?)の長男・小柳友は突然アメリカの外人部隊に志願する。
小学生の次男・井之脇海は美人の教師・井川遥に憧れたのか勝手にピアノ教室に通い始め、父親の叱咤の後敢行した無賃乗車で警察に逮捕された後家に戻る。
虚無感を覚えた妻は自分を拉致しようとした泥棒・役所広司と逃避行に及ぶが、相手が入水自殺したので家に戻る。
漸く就いた清掃の仕事中に大金を拾った夫は車にはねられた後昏睡から目覚めると現金を遺失物ボックスに投函して家に戻る。
かくして、教師に天才と言われた次男は両親に見守られ音大付属中学を受験する。
絆があると思っていた家族が実は夫々に秘密を持ち、結局バラバラであると判明していく様には恐怖を感じないではいられないが、近年、本作に限らず、小泉今日子がこの3年前に出演した「空中庭園」などどこか恐怖映画とも思えるホームドラマが少なくない。
ところで、この作品は全体的には認められながらも“泥棒の登場でリアリティーがなくなった”という評価が目立つ。しかし、僕は最初から黒沢監督はリアリティーなど目指していなかったと思う。
いくらリストラされたとは言え夫が帰る家庭がありながら配給に並ぶとか、妻が泥棒と一緒に逃げるとか、長男が外人部隊に入るとか、小学生なのに黙秘している為に警察に大人と全く同じ扱いをされる、というのはちょっと変で、これらの挿話を並べてみると、互いの関係が極めて希薄になった平成の家庭を戯画化しようとしたと理解したほうが落ち着く。現実的なテーマだからと言って現実的に扱わなければならないなんてことはない。
昭和的と言って良い中年夫婦が極めて平成的と言うべき嵐に遭遇、遠回りをした末に結局家庭に戻って来る。しかし、この家庭は以前の昭和的父権主義的なものと違い、多分に平成的なものであろう。とは言え、この家庭が、心中を遂げる津田の一家と違いぎりぎりのところで持ちこたえたのは、父親が「戴きます」と言うまで他の家族が食事に手を付けない昭和的な躾が残っていたり、母親に昭和的な忍耐が残っていたからではあるまいか。
小津安二郎が戦前から危惧し始めた家の崩壊は平成に至って小津の想像を超える状態になっていると思うが、次男がピアノを弾いている会場のカーテンが大きく揺れるショットを見ると、黒沢監督は平成的家族関係にも希望があると言っているように感じられる。
2008年日本映画 監督・黒沢清
ネタバレあり
この作品は、4月7日、心房細動による血栓が足の動脈に詰まって入院していた母を病院に見舞って大変元気な姿を確認した後に鑑賞、夕飯を食べた後本稿のオリジナルを書きました。母が「11日にも退院らしいよ」とニコニコ話すのを聞き最高にハッピーだった瞬間です。まさか次の日に脳梗塞を発症するなどとは夢にも思わずに・・・。
推敲している今は罪悪感と後悔からいつ立ち直れるか解らないどん底状態。従って、喪中には括弧をつけることと致しました。ご心配をおかけして誠にすみません。
「CURE」「叫」など文学的恐怖映画のイメージが強い黒沢清の一般映画であるが、考え方によってはこれも一種の恐怖映画と言って良いのではあるまいか?
大手企業の総務課長・香川照之がリストラされるが、妻・小泉今日子にその事実を告げられず、公園で過ごすうちに旧友・津田寛治と再会する。彼も家族に事実を告げられないリストラ組である。
妻は折角作ったドーナツを食べて貰えないなど抱えた孤独を必死に耐えている。
大学生(もしくは浪人生?)の長男・小柳友は突然アメリカの外人部隊に志願する。
小学生の次男・井之脇海は美人の教師・井川遥に憧れたのか勝手にピアノ教室に通い始め、父親の叱咤の後敢行した無賃乗車で警察に逮捕された後家に戻る。
虚無感を覚えた妻は自分を拉致しようとした泥棒・役所広司と逃避行に及ぶが、相手が入水自殺したので家に戻る。
漸く就いた清掃の仕事中に大金を拾った夫は車にはねられた後昏睡から目覚めると現金を遺失物ボックスに投函して家に戻る。
かくして、教師に天才と言われた次男は両親に見守られ音大付属中学を受験する。
絆があると思っていた家族が実は夫々に秘密を持ち、結局バラバラであると判明していく様には恐怖を感じないではいられないが、近年、本作に限らず、小泉今日子がこの3年前に出演した「空中庭園」などどこか恐怖映画とも思えるホームドラマが少なくない。
ところで、この作品は全体的には認められながらも“泥棒の登場でリアリティーがなくなった”という評価が目立つ。しかし、僕は最初から黒沢監督はリアリティーなど目指していなかったと思う。
いくらリストラされたとは言え夫が帰る家庭がありながら配給に並ぶとか、妻が泥棒と一緒に逃げるとか、長男が外人部隊に入るとか、小学生なのに黙秘している為に警察に大人と全く同じ扱いをされる、というのはちょっと変で、これらの挿話を並べてみると、互いの関係が極めて希薄になった平成の家庭を戯画化しようとしたと理解したほうが落ち着く。現実的なテーマだからと言って現実的に扱わなければならないなんてことはない。
昭和的と言って良い中年夫婦が極めて平成的と言うべき嵐に遭遇、遠回りをした末に結局家庭に戻って来る。しかし、この家庭は以前の昭和的父権主義的なものと違い、多分に平成的なものであろう。とは言え、この家庭が、心中を遂げる津田の一家と違いぎりぎりのところで持ちこたえたのは、父親が「戴きます」と言うまで他の家族が食事に手を付けない昭和的な躾が残っていたり、母親に昭和的な忍耐が残っていたからではあるまいか。
小津安二郎が戦前から危惧し始めた家の崩壊は平成に至って小津の想像を超える状態になっていると思うが、次男がピアノを弾いている会場のカーテンが大きく揺れるショットを見ると、黒沢監督は平成的家族関係にも希望があると言っているように感じられる。
この記事へのコメント
最後の「月光」の演奏はじんときました。
解体した家族に、少し希望を示唆してくれたと思いました。
そうですね。
表面だけ昭和的だった家庭が平成的に再構築される。今となっては自信がないですが、平成風の家庭もまんざら悪くないのではないかと言っているような気がしました。