喪中映画評「ガマの油」
☆☆★(5点/10点満点中)
2009年日本映画 監督・役所広司
ネタバレあり
役所広司の初メガフォン作品で、原案も彼自身と中田秀子で、脚本はうらら。
役所はデイトレーダー成金で、その息子の瑛太は高校生の恋人・二階堂ふみと相思相愛の仲だが、少年院から出所する幼馴染・澤屋敷純一を迎えに行く途中交通事項に遭い、昏睡から一度目覚めた後死亡する。
役所は電話をかけた少女に真相を話すことが出来ず、息子の振りをして暫く過ごす一方、自分のせいで死んだと罪悪感に苦しむ澤屋敷少年と納骨する場所を探しに出る旅に出、ぐるり巡った末に辿りついた青森県での幻想的体験の後、遂に彼の死を受け入れることができる。
結果的に僕にとって実に縁起でもない作品となった。本作を見た5時間ほど後に心房細動による下肢塞栓で入院中だった母親が脳梗塞を起したのだ。血栓を起さないように治療していたのに何という様なのか腹が立つというより悔しくてならないが、僅か4日後母は本作の瑛太君のように火葬場で焼かれることになった。
そして本作の澤屋敷少年と同じく僕は罪の意識に苛まれている。彼以上に母の死に対する僕の直接的な責任は大きく、「母ちゃんを守ってくれ、手助けしてくれ」という施設入所(当時は病院入院)中の父との約束を全く守れなかった、いや、守らなかった自分に対する腹立ちは病院に対するものよりずっと大きい。少なくとも2週間くらい早く母を病院に連れて行けば恐らくは脳梗塞は勿論下肢塞栓も引き起こさずに済んだと思う。1月から母が息切れというサインを出していたのに僕は症状を過小評価して何の対応もしなかった。こういうことに積極的な姉に電話かメールをしておけば良かった。
気分を変えて映画に戻りましょう。
本作を見た時(4月8日)は母の退院が見えて(4月11日予定)落ち着いて見られたから内容理解についてはさほど問題ないが、これを書いている現在は精神的に激しく動揺している最中につき映画評としては殆ど価値のないものしか書けない。
で、初演出としては割合良く出来ているものの、少年時代のガマの油売り夫婦(益岡徹=小林聡美)との出会いや青森での幻想的再会の挿入の仕方やタイミングに些か一人合点のところがあると感じた、ように記憶している。
本作は「(死者を)忘れないことが大事」というテーマを打ち出す。勿論僕は忘れるべくもない。死ぬまで重い十字架を背負って生きていくことになるだろう。他方、元気に生きていくことが母の供養になるとも思うので、もっと気持ちを強く持たなければならない。
2009年日本映画 監督・役所広司
ネタバレあり
役所広司の初メガフォン作品で、原案も彼自身と中田秀子で、脚本はうらら。
役所はデイトレーダー成金で、その息子の瑛太は高校生の恋人・二階堂ふみと相思相愛の仲だが、少年院から出所する幼馴染・澤屋敷純一を迎えに行く途中交通事項に遭い、昏睡から一度目覚めた後死亡する。
役所は電話をかけた少女に真相を話すことが出来ず、息子の振りをして暫く過ごす一方、自分のせいで死んだと罪悪感に苦しむ澤屋敷少年と納骨する場所を探しに出る旅に出、ぐるり巡った末に辿りついた青森県での幻想的体験の後、遂に彼の死を受け入れることができる。
結果的に僕にとって実に縁起でもない作品となった。本作を見た5時間ほど後に心房細動による下肢塞栓で入院中だった母親が脳梗塞を起したのだ。血栓を起さないように治療していたのに何という様なのか腹が立つというより悔しくてならないが、僅か4日後母は本作の瑛太君のように火葬場で焼かれることになった。
そして本作の澤屋敷少年と同じく僕は罪の意識に苛まれている。彼以上に母の死に対する僕の直接的な責任は大きく、「母ちゃんを守ってくれ、手助けしてくれ」という施設入所(当時は病院入院)中の父との約束を全く守れなかった、いや、守らなかった自分に対する腹立ちは病院に対するものよりずっと大きい。少なくとも2週間くらい早く母を病院に連れて行けば恐らくは脳梗塞は勿論下肢塞栓も引き起こさずに済んだと思う。1月から母が息切れというサインを出していたのに僕は症状を過小評価して何の対応もしなかった。こういうことに積極的な姉に電話かメールをしておけば良かった。
気分を変えて映画に戻りましょう。
本作を見た時(4月8日)は母の退院が見えて(4月11日予定)落ち着いて見られたから内容理解についてはさほど問題ないが、これを書いている現在は精神的に激しく動揺している最中につき映画評としては殆ど価値のないものしか書けない。
で、初演出としては割合良く出来ているものの、少年時代のガマの油売り夫婦(益岡徹=小林聡美)との出会いや青森での幻想的再会の挿入の仕方やタイミングに些か一人合点のところがあると感じた、ように記憶している。
本作は「(死者を)忘れないことが大事」というテーマを打ち出す。勿論僕は忘れるべくもない。死ぬまで重い十字架を背負って生きていくことになるだろう。他方、元気に生きていくことが母の供養になるとも思うので、もっと気持ちを強く持たなければならない。
この記事へのコメント
ねこのひげは、20代のころ、オフクロを放り出して彼女とアメリカにわたっていたら。いまごろ・・・超セレブ・・・・・・
なんて思うこともありましたが、結果として放り出すことが出来なかったのです。
それはそれで。よかったのかと思っております。
ご自身の為にはちょっと後悔しそうなお話ですが、お母様の為には大変良かったと思います。
僕は10年くらい前まで東京と埼玉で過ごしていたのですが、一身上の事情で実家に舞い戻ることになったのです。貧乏である以外はパーフェクトな親子関係と思っていましたが、最後にとんでもない親不孝をしてしまいました。