映画評「フィッシュストーリー」
☆☆☆(6点/10点満点中)
2009年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
東野圭吾と並んで映画界でモテモテの伊坂幸太郎の短編小説を中村義洋が「アヒルと鴨のコインロッカー」に続いて映画化した一種のファンタジー。
彗星の接近で地球が最後を迎えようとしている2012年のある日、レコード店でセックス・ピストルズがデビューする1年前に発表された日本のパンク・バンド逆鱗のラスト・アルバムが話題になっている。
1982年気の弱い大学生・濱田岳がそのレコードに納められた一曲「フィッシュストーリー」にある謎の無音部分で女性の悲鳴を聞き、勇気を振り絞って暴行男に立ち向かう。
1999年ノストラダムスの予言に乗じたインチキ臭い男が袋叩きに遭う。
2009年彼の仲間だった男のグループが一人はぐれた女子高生・多部未華子が乗ったフェリーでハイジャック(シージャックと言うのは俗な表現)を起すが、父親により「正義の味方になれ」と幼少の頃から教育されて来た料理係の若者・森山未來がその凄い腕前を発揮する。
そこから話は時間を遡って、1975年逆鱗のメンバーの音楽活動が紹介され「フィッシュストーリー」に無音部分が出来た理由が明らかになる。
映画の形式とすれば、互いに関連性のある人物らによる緩やかな独立性を持つ群像劇風オムニバスで、内容的には「風が吹けば桶屋が儲かる」式のお話、或いは「バタフライ・エフェクト」のヴァリエーションである。つまり、無音部分が出来た理由はどうでも良いのだが、その結果が2012年において途轍もなく大きくなっている、という大法螺である。
作劇的には、濱田岳と森山未來との関係のように意図的に予想を当てさせる部分と未華子嬢の2012年における活躍のように大概の方が予想しない部分とを巧みに配置、なかなか面白く見られる所以となっている一方、「桶屋」の面白さを見せるのを主眼とするのであれば1975年のエピソードは些か長すぎる。実際、75年の部分が始まってから暫くするうち重心の掛け方が些か妙な気がして、本作の眼目が何か解らなくなり困った。この部分は時代考証も若干変であります。
もう一つの「2012」でした。
2009年日本映画 監督・中村義洋
ネタバレあり
東野圭吾と並んで映画界でモテモテの伊坂幸太郎の短編小説を中村義洋が「アヒルと鴨のコインロッカー」に続いて映画化した一種のファンタジー。
彗星の接近で地球が最後を迎えようとしている2012年のある日、レコード店でセックス・ピストルズがデビューする1年前に発表された日本のパンク・バンド逆鱗のラスト・アルバムが話題になっている。
1982年気の弱い大学生・濱田岳がそのレコードに納められた一曲「フィッシュストーリー」にある謎の無音部分で女性の悲鳴を聞き、勇気を振り絞って暴行男に立ち向かう。
1999年ノストラダムスの予言に乗じたインチキ臭い男が袋叩きに遭う。
2009年彼の仲間だった男のグループが一人はぐれた女子高生・多部未華子が乗ったフェリーでハイジャック(シージャックと言うのは俗な表現)を起すが、父親により「正義の味方になれ」と幼少の頃から教育されて来た料理係の若者・森山未來がその凄い腕前を発揮する。
そこから話は時間を遡って、1975年逆鱗のメンバーの音楽活動が紹介され「フィッシュストーリー」に無音部分が出来た理由が明らかになる。
映画の形式とすれば、互いに関連性のある人物らによる緩やかな独立性を持つ群像劇風オムニバスで、内容的には「風が吹けば桶屋が儲かる」式のお話、或いは「バタフライ・エフェクト」のヴァリエーションである。つまり、無音部分が出来た理由はどうでも良いのだが、その結果が2012年において途轍もなく大きくなっている、という大法螺である。
作劇的には、濱田岳と森山未來との関係のように意図的に予想を当てさせる部分と未華子嬢の2012年における活躍のように大概の方が予想しない部分とを巧みに配置、なかなか面白く見られる所以となっている一方、「桶屋」の面白さを見せるのを主眼とするのであれば1975年のエピソードは些か長すぎる。実際、75年の部分が始まってから暫くするうち重心の掛け方が些か妙な気がして、本作の眼目が何か解らなくなり困った。この部分は時代考証も若干変であります。
もう一つの「2012」でした。
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